アストゥリアス州(西:、アストゥリアス語:)は、スペインを構成する自治州の一つ。原語名はアストゥリアス公(Príncipe de Asturias)の領土を意味する。アストゥリアス州はアストゥリアス県1つからなる一県一州の自治州である。州都はオビエド。イベリア半島の北部に位置し、東はカンタブリア州、南はカスティーリャ・イ・レオン州、西はガリシア州に接し、北岸はカンタブリア海に面している。アストゥリアス州の地理の特徴は、起伏の多い海岸線と、内陸の険しい山地である。海岸線は長く、多くの砂浜、入り江、海岸洞窟がある。険しい崖に区切られた美しい砂浜は、リゾート地となっている。山地では、登山、ハイキング、スキー、ケイビングが楽しめる。州の西から東に連なるカンタブリア山脈は、南のレオン県との自然な境になっている。山脈のうち州東部の部分は、ピコス・デ・エウローパ(直訳では「ヨーロッパの頂」)と呼ばれ、最高峰は2,648mのトレセレド山である。この地域は、アストゥリアス、カンタブリア、カスティーリャ・イ・レオンの3州にまたがるピコス・デ・エウローパ国立公園として保護されている。アストゥリアスを含むスペイン北部の気候は、中央部や南部に比べて変化に富んでおり、エスパーニャ・ベルデ(緑のスペイン)と呼ばれる。夏は温暖で湿度が高く、晴天が多いが雨も降る。冬は厳しくはないが、急激に冷えることもある。内陸の山地では11月から5月まで雪が降る。年間の降水量は900mm程度で、内陸ほど増える。アストゥリアスはカンタブリアとともに、険しい地形のためにローマ時代、西ゴート時代を通じて中央の実効支配の及ばない地域であった。8世紀初頭にイスラム勢力に征服されたが、718年ごろに伝説的な王ペラーヨがコバトンガの戦い()で初めてイスラム軍を破ったといい、のちにこの勝利がレコンキスタの出発点と見なされるようになった。ペラーヨを祖とするアストゥリアス王国はカンガス・デ・オニス、のちにオビエドを首都とし、10世紀にレオンに遷都してレオン王国となった。1388年、カスティーリャ王フアン1世は、王子エンリケ(エンリケ3世)に「アストゥリアス公」()の称号を与えた。これが、カスティーリャ王国、のちスペイン王国の王位継承者の称号となり、現在のレオノール王女まで続いている。19世紀からは炭鉱の開発が進み、鉱工業が発展した。20世紀前半には、アストゥリアスは労働運動の牙城となった。1933年にスペインに右派の政権が誕生すると、1934年10月に労働者が「アストゥリアス革命」を起こしたが、のちに独裁者となるフランコ指揮の政府軍に鎮圧された。アストゥリアスは19世紀の県制度導入によって「オビエド県」となっていたが、1978年憲法によって自治州制度が導入されると、1981年12月30日に一県一州としてアストゥリアス自治憲章が承認された。一県一州となったのは、レコンキスタの出発点という歴史や、産業発展に対する自信によっている。アストゥリアス州の公用語はカスティーリャ語(スペイン語)だが、アストゥリアス州の固有の言語はアストゥリエス語(アストゥリアス語、伝統的にはバブレと呼ばれた)で、州固有の言語として法律で保護されている。アストゥリエス語の日常的話者はおよそ10万人で、そのほかに第2言語等で言語能力を有する者が45万人以上いるとされる。話者の多くが山間部の集落に居住する。アストゥリエス語は、バスク語を除くイベリア半島の諸言語同様、俗ラテン語から変化したロマンス語(イベロ・ロマンス語)のひとつで、カスティーリャ語から派生したものではないが、しばしばスペイン語(カスティーリャ語)の方言として扱われているのが現状である。州西部エオ=ナビア地域ではガリシア語が話されている。アストゥリアス州には78の自治体がある。最大の都市はヒホン。州内は18の司法管轄区に分けられる。オビエドなどにはアストゥリアス王国時代の教会が残されている。西ゴートの様式を受け継いだ8世紀から10世紀の建築物で、「オビエドとアストゥリアス王国の建築物」(1985年、1998年拡大、文化遺産)としてユネスコの世界遺産に登録された。
出典:wikipedia
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