村山市(むらやまし)は、山形県中央部にある人口約2万5千人の市。旧北村山郡及び西村山郡の一部。東西に広い形をしており、東西を山(奥羽山脈と出羽丘陵)に囲まれ、中央には最上川(もがみがわ)が北に流れる。最上川はかつて舟運の道として使われており、当時「三難所」と呼ばれていた「碁点(ごてん)」「三ケ瀬(みかのせ)」「隼(はやぶさ)」が村山市内に集中して存在する。年間平均気温は11度前後。冬の寒さは厳しく、気温が零下15度を下回ることもある。夏は暑く、寒暖の差は大きい盆地型の気候である。極値(2002年 - )村山市の図書館は、地元名士の喜早彦太が開館させた喜早図書館に始まる。喜早は進学のために東京にいる間、たびたび東京書籍館を訪れては本を読んでいた。その経験から図書館の有用さを体験し、地域への奉仕のために図書館建設の意志をあらわにした。喜早の図書館は自宅周辺の土地1155平方メートルに建てられることになり、1918年5月7日に工事が着工、翌年9月20日に竣工、その建設費用は116,400円を要した。図書の購入にも喜早の私財が投入され、最終的に図書館の開館に要した費用は約165,000円にもふくれあがった。1920年10月10日に喜早図書館は開館の日を迎えた。開館に当たっては当時の東京大学付属図書館長・和田廣吉、山形県知事・依田銈次郎が式典に出席し、日本図書館協会長・坪谷善四郎が祝の詞を贈った。1923年に図書館は財団法人喜早図書館として認可を受け、補助金が下りるようになったが、その後も私財が投じられている。1947年、楯岡町に簡易裁判所と区検察庁が設置されることになったが、庁舎に適した建物がなかったことから、喜早図書館に同居させられた(なお、両施設は、1950年度に庁舎が建てられ、移転している)。この同居により、図書館サービスの質は著しく低下し、貸出のみの業務となった。1949年、図書館建物が裁判所の所有になるという噂を聞きつけた町は、「図書館を町のものさせて欲しい」と願い出る文書を図書館側へ送り、1951年4月3日に楯岡町へ図書館が寄贈された。楯岡町に喜早図書館が寄贈されたことで図書館は楯岡町図書館と改名された。村山市が誕生すると「村山市立公民館図書部」に改名され、1979年にようやく「村山市立図書館」として開館した。2016年現在は甑葉プラザに入居する形で図書館が運営されている。移転後の旧館は、1億円以上を投じて全面的な改装を施す案、4千万円程度で規模を縮小した改装を施す案、同額程度で閉架書庫とする案、1千万円程度で取り壊し、跡地を公園とする案が上がったが、町内会が廃墟化を恐れたことから、取り壊す方向で決まり、取り壊された。山形新幹線の村山駅がある。なお、村山駅は山形新幹線の山形 - 新庄間開通に合わせて、1999年(平成11年)12月4日に楯岡(たておか)駅から改称された。市域内に空港はない。最寄りの空港は東根市の山形空港である。大石田町や尾花沢市と並び蕎麦の実の生産が盛んであり、村山市の西部には最上川を挟んで最上川三難所そば街道が存在する。田舎蕎麦として知られる板そばを提供している店が多い。ひっぱりうどんの発祥の地でもある。
出典:wikipedia
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