連珠(れんじゅ)は、五目並べ競技として成立するようにルールを整えたボードゲームの一種である。連珠は碁盤の上に黒白の碁石を交互に置き、先に石を縦横斜めのいずれかに5つ並べた者が勝ちである。
しかしこの条件では先手の必勝法が解明(後述の#歴史を参照)されており競技として成立しないため、ルールにより先手の着手を制限して先手と後手の均衡をとったものを連珠もしくは着手制限連珠と呼称することが多い。しかし、先手の着手を制限してもなお、先手必勝の方法が発見されたため、現在では単純に先手・後手を決めるのではなく、変則的な方法によるものが正式なルールとなっている(詳細は「開局規定」の項を参照)。連珠は、二人零和有限確定完全情報ゲームに分類される。かつては「聯珠」とも表記していたが、戦後は常用漢字制限により「連珠」という表記がほとんどである。連珠では以下の用具を用いる。通常使用される縦横15本の線を持つ盤を15道盤(じゅうごどうばん)という。交点(目)の数は225、マス目の数は196。第3世名人・高木楽山がルールとして15道盤の採用を決めるまでは碁盤(19道盤。囲碁では19路盤という)が使われ、現在でも公式戦以外では碁盤を代用することもある。連珠はそもそも先手が優位に立ちやすい性質上15道より数が増えるとより先手持ちの対局進行になるので先手に禁手を与えると共にこれ以上の数は増やさず15道で定められている。連珠盤を作る木材には碁盤と同様、カヤ、スプルース(新カヤ)、カツラ、イチョウ、ヒノキ、ヒバ、アガチス(新カツラ)などがあり、カヤ製の柾目盤が最も高価である。またプラスチック製のものやゴム製、持ち運び用のマグネット碁石に対応した金属製のものもある。連珠盤の価格は将棋盤とほぼ同じで数千円から数百万円までさまざま。競技人口が少ないせいもあって受注生産となる場合がほとんどである。形状は畳などの上で椅子を用いない対局で床に直接置き使用する足付盤以外にも、テーブルの上で用いる薄い板状のものも公式戦で使用される。それ以外にも折畳式のものなどもある。足付き連珠盤の裏側の中央部分にはへこみがある。これは血溜まりと呼ばれ、対局中に横から口を挟む人間は首を刎ねられ、このへこみに乗せられる事になると言う。しかし実際には打ったときの音の響きをよくするためとも言われている。足付き盤でも2寸程度の薄い盤にはへこみはついていない。大きさは将棋盤(縦1尺2寸、横1尺1寸)とほぼ同じで、厚さは足付き盤で2寸-9寸程度まである。木製のものは将棋盤用に切った材料から製作され、将棋盤の天面を削り線を引きなおす場合もある。練習対局では、連珠盤と碁石の代わりに、碁盤や縦横15本ずつ線を引いた方眼紙と筆記具を用いることもある。五目並べのような、石を連続して並べることを競うゲームについては、日本のほかに囲碁の発祥であった中国、その他の国についても類似のルールがあるとされる。とはいえ、原型であると主張されたものが後に全く別のゲームであることがわかるなど、それらの説はそれほど定かではない。連珠そのものは日本が発祥であることは明らかである。この原型となった五目並べについて歴史をさかのぼると、平安時代には存在していることははっきりしている。この時期のものは碁盤を使い、特に禁手もないものであったようだ。しかし、明治に入ると、禁手のない五目並べが完全に先手必勝であることがわかるようになる。黒岩涙香は五目並べに興味を持ち、1899年、自身が主幹であった萬朝報に五目並べの先手必勝法を掲載する。これが反響を呼び、彼は同年12月6日、このゲームを「聯珠」と呼ぶことを同紙上で提案した。この日が連珠の発祥した日となる。このころ既に三三は黒白とも禁手、長連は黒白ともに無効な手とされていたが、1903年には三三は黒のみの禁じ手とされることになった。なお、連珠の初代永世名人である高山互楽とは黒岩涙香本人であり、高山互楽は彼の号である。1912年には、たとえ守りのためであっても(打たされても)黒が三三を打った際には負けとなる一方、白が長連を打っても勝ちとなるようルール改正が行われた。1918年までに黒の長連ははっきり負けとなり、また同年に黒の四三三も負けとなった。1931年、第三代の名人であり囲碁も強かった高木楽山は15道盤の採用や黒の四四を禁じ手とするなどのルール改正を提唱した。しかしこれは論争を引き起こし、連珠関連団体の分裂の遠因となった。1966年、分裂していた連盟が社団法人日本連珠社として1つになる。そして1988年、連珠国際連盟が発足した。連珠国際連盟は日本連珠社のルールに準拠したルールを採用している。1989年から連珠国際連盟が主催する連珠世界選手権が開始され、奇数年に個人世界選手権が、偶数年にチーム世界選手権が実施されている。2014年、日本連珠社は公益社団法人化された。連珠の特徴は、黒と白とでルールが違うところである。双方の均衡を募るため黒にさまざまな制約を課している。2人の対局者がそれぞれ黒、白の碁石を持ち、交互に1つずつ石を置いていく。石を置く場所は線の交点上である。 黒が先手で1手目は天元(中央の星)に打つ。また、白の2手目は天元から1目離れた場所に、黒の3手目は天元から2目以内離れた場所に打たなければならない。このため、3手目までの形が(対称形を除き)26通りあり、これらを珠型(しゅけい)と呼ぶ。珠型にはそれぞれ名がついている。なお4手目以降の打つ場所に制限はない。黒が有利とならないよう、黒に限って五連を並べる前の三三、四四、長連は禁手となる。黒が禁手を打った場合はその時点で指摘されれば負けとなる。白に禁手はなく、長連は五連とみなして勝ちとなる。ただし、長連を除いては、黒が禁手を打ち白が黒の禁手に気づかずに次の手を着手した場合は、禁手が解除され対局を続行させることができる。上記のルールにより、三と四と四が同時にできる三四四を黒が作った場合は黒の禁手になる。一方、黒が五連を作った瞬間に三三も同時にできる五三三や四四ができる五四四、五六など五連と同時に長連もできる場合は禁手とならず、黒の勝ちである。白の2手目は、黒の1手目(天元)の1つ上に並べて置くか、右斜め上に置くことになっている。並べて置くほうを直接打ちといい、斜めに置くほうを間接打ちといって区別する。珠型には、「月」または「星」の文字が入った名がそれぞれの形ごとに決まっている。白石を月に見立て、黒石を木や山などに見立てて名づけられたのが珠型の名の起源である。(例:月、山巓に在り。故に山月と謂ふ。)かつて珠型は、黒の1手目と3手目の石の位置を基準に・連(2つの石が隣り合った位置)・間(縦横斜めのいずれかに1つ飛ばした位置)桂(囲碁でいうケイマの位置)に分類され、桂と連に「月」、間に「星」のつく名が割り当てられた。現在では珠型を直接打ち・間接打ちに分類するため、それぞれに「月」と「星」のつく名が混在している。開局規定(オープニングルール)とは、その名の通り開局を行うための規定である。単に交互に打ち進めていくだけでは多くの珠型で必ず先手が勝ってしまうため、先手後手の均等を取るために開局規定が考案された。現在の世界共通ルール(RIFルール)では珠型交替・五珠二ヶ所打ちが用いられる。これは以下の手順によって行う。珠型五珠題数提示選択打ちは日本の山口釉水九段が提唱したルールである。通称で「題数指定打ち」「題数提示打ち」と呼ばれる。現在の二ヶ所打ちよりオープニングの幅を増やそうと考案された次世代ルール。今後は二ヶ所打ちに変わってこれが主流になると思われる。均衡打ちとは、坂田吾朗九段が提唱したルール。五回交代打ちとは、ロシアのユーリー・タラニコフが提唱したルール。二回交代打ちとは、スウェーデンのピーター・ヨンソンが提唱したルール。連珠は先手番による必勝定石が存在することが知られている数少ないゲームである。禁手を設けても、単純に黒白が交互に打っていくならば、先手側に様々な必勝手順があることが確立されている。そこで、現行では珠型交替・五珠二ヶ所打ちなどの開局規定により、両対局者間の均衡をとっている。ただし、必勝といわれている定石でも非常に変化に富んだものが多く、実際に対局で打ちこなすには相当の知識と技量が必要である。そのため、逆にあえて必勝といわれる形を打たせて、間違いを誘うことで勝ちを得ようとする後手策も数多く存在する。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。