LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

橿原神宮前駅

橿原神宮前駅(かしはらじんぐうまええき)は、奈良県橿原市久米町にある、近畿日本鉄道(近鉄)の駅。駅長配置駅である。奈良県中南部、飛鳥地方における主要駅である。駅番号は南大阪線と吉野線がF42、橿原線がB42。中央口駅舎は初代新歌舞伎座の設計で有名な建築家・村野藤吾の設計。第1回近畿の駅百選選定駅。いずれも始終着駅であるが、運転系統上では事実上橿原線のみが始終着駅である。現駅北西の橿原神宮の前に大阪電気軌道畝傍線(広軌、現在の橿原線)の(旧)橿原神宮前駅(終点)があった。1923年(大正12年)12月、狭軌の吉野鉄道は吉野口から北進して(旧)橿原神宮前駅に乗り入れた。1924年(大正13年)、吉野鉄道は省線畝傍駅までさらに北東進し、吉野口・畝傍の双駅で省線と連絡するようになった。一方、久米寺(寺院)の前の大阪鉄道(現在の南大阪線)線上には橿原神宮駅があり、そこから南東進して、吉野鉄道久米寺駅に乗り入れていた(現4 - 7番のりば)。その後、大阪電気軌道が吉野鉄道を吸収し、(旧)橿原神宮前 - 久米寺間を広狭軌併用の三線軌条に改造して、久米寺駅に乗り入れるようになった。1940年(昭和15年)の皇紀2600年祭を控え、橿原神宮周辺整備の都市計画事業により、前年に畝傍線を移設して新たに駅(現在の駅本屋と1 - 3・8番のりば、なお、現台車振替作業所の位置にも狭軌用ホームがあった)を新設した上で久米寺駅から改称し、(旧)橿原神宮前駅、橿原神宮駅は廃止された。この際に、橿原神宮駅駅と改称し、駅名に「駅」が含まれる珍しいケースになった。1970年(昭和45年)には(新)橿原神宮前駅に改称され、列車内・駅構内でも「橿原神宮前」と呼ぶようになった。いまでも奈良交通バスのバス停は「橿原神宮駅」を使用している。なおこれとは別に、駅名と同じの「橿原神宮前」バス停が存在するが、駅からは離れた場所にある。地上駅で2面4線のホームが2つある。西側の4 - 7番のりばは狭軌の南大阪線・吉野線、東側の1 - 3番のりばは標準軌の橿原線である。1番のりばと同一ホームの向かい側にある8番のりばは狭軌となっており、天皇皇后や皇太子の行幸啓や、団体輸送での乗換を便利にするために、南大阪線・吉野線の臨時列車や貸切列車が入線することがある。8番のりばの東側の51番線にはトラバーサなどの設備庫があり、南大阪・吉野線の車両が検査のため五位堂検修車庫へ回送する際に狭軌と標準軌の台車履替を行っている。改札口は3ヶ所で、橿原線ホーム東側に東改札(自動改札機4台)、橿原線ホームと南大阪・吉野線ホームの間に中央改札(自動改札機3台)、南大阪・吉野線ホーム西側地下に西改札(自動改札機4台)がある。橿原線ホームと東改札および中央改札は構内踏切、南大阪・吉野線ホームと中央改札および西改札は地下道で連絡している。橿原線のりばと南大阪線のりばとは中央通路(コンコース)で結ばれており、通路北側に中央改札が位置し、駅長室が隣接している。中央通路両側には、各種駅構内施設が入居している。中央通路西側(南大阪線線路手前)から地下通路への階段となり(エレベータあり)、南大阪線ホームへは、それぞれ階段とエレベータで結ばれている。地下通路の先に西改札が位置する。西改札が地下化される前は、中央通路から直接構内踏切で結ばれており、当時の改札には当駅唯一自動改札機が設置されていた。東改札と橿原線ホーム、中央通路を結ぶ構内踏切は車止め側にあり、橿原線の普通や急行は到着後そのまま折り返し運転するため踏切を通過しない。また、他の一部の駅で見られるような、過走時の保安のためホーム入線時に、列車が通過しないにもかかわらず踏切が閉まるようなこともない。そのためにこの踏切はあまり頻繁に遮断機が降りるわけではないが、橿原線特急は到着後この踏切を越えて南側の車庫で座席転換作業などを行うため、特急到着時は電車の入出庫のタイミングで踏切が作動する。なお、自動改札機はオムロン製が設置されている。赤い自動改札機(U-PG)は、出場時2枚一括処理、PiTaPa・ICOCAに対応する。近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通り。西口中央口東口のりばは西口、中央口、東口の3か所に分かれる。すべて奈良交通により運行されている。詳細は奈良交通葛城営業所などを参照。西口のりば中央口のりば東口1番のりば東口2番のりばかつて南大阪・吉野線ホームは、乗車専用ホームと降車専用ホームに分かれていた時代があった。当時は地下通路ではなく構内踏切で、多数の橿原神宮参拝旅客に備え構内踏切を挟んで阿部野橋方と吉野方それぞれにホームが設けられていた。吉野方面(現4・5番のりば)の場合、一度阿部野橋方ホームで停止し降車客を取り扱い、その後吉野方ホームへ移動し、そこで乗車客を取り扱っていた。阿部野橋方面(現6・7番のりば)の場合は逆に、吉野方が降車・阿部野橋方が乗車の取り扱いとなる。その後、乗客増により列車編成増大が行われホーム別の乗降分離ができなくなり、上記のホーム別による乗降分離の取り扱いは廃止された。構内踏切吉野方に設けられていたホームのうち、吉野方面行ホームは取り壊されたが、阿部野橋方面行ホームはその後も長く残されていた。しかしながらホーム入り口に柵だけでなく特急券券売機が設置され、ホームの半分以上の面積に花壇が作られるなど旅客の利用が困難な状態であった。橿原神宮前駅改良工事の際、その残っていた阿部野橋方面行旧降車ホームも取り壊された。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。