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大友克洋

大友 克洋(おおとも かつひろ、本名同じ、1954年4月14日 - )は、日本の漫画家、映画監督。宮城県登米郡迫町(現在の登米市迫町)出身。宮城県佐沼高等学校卒。血液型はA型。1973年『漫画アクション』にてデビュー。代表作に『童夢』『AKIRA』など。ペンタッチに頼らない均一な線による緻密な描き込み、複雑なパースを持つ画面構成などそれまでの日本の漫画にはなかった作風で、80年代以降の漫画界に大きな影響を与えた。息子はイラストレーターのSHOHEI(大友昇平)。1988年、自作を元に自ら制作したアニメーション映画『AKIRA』は日本国外でも高い評価を得、「ジャパニメーション」と呼ばれる、日本国外における日本アニメムーブメントのさきがけとなった。近年は主に映画監督として活動している。幼少の頃より、手塚治虫の「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」を見て育つ。中学時代に漫画家を志すが、高校時代は映画漬けの日々を送り一時漫画から離れる。当時は映画を作りたいと思っていたが、一人立ちを考えて漫画を描き始め、1971年末に処女作『マッチ売りの少女』を執筆。手塚治虫の雑誌『COM』や『りぼん』に数度投稿を行い、1973年、プロスペル・メリメ『マテオ・ファルコーネ』を原作とする『銃声』で『漫画アクション』にてデビュー、以後『漫画アクション』を中心に短編作品を発表していく。1979年、初の単行本となる自選作品集『ショートピース』刊行。このころより『マンガ奇想天外』『コミックアゲイン』などのSF雑誌・マイナー雑誌に寄稿しニューウェーブの作家と目されるようになる。1980年、『アクションデラックス』に『童夢』(-1981年)、『漫画アクション』に『気分はもう戦争』(-1981年、原作:矢作俊彦)を連載。1982年、『週刊ヤングマガジン』にて『AKIRA』(-1993年)の連載を開始し、この作品で一気にメジャー作家となる。1983年、石ノ森章太郎の漫画作品を原作とするアニメ映画『幻魔大戦』にキャラクターデザインとして参加、以降アニメーション映画にも携わるようになる。1984年にはキヤノンのカメラのCMアニメでキャラクターデザインのほか、絵コンテと原画を手掛けた。オムニバスアニメ『迷宮物語』の中の一編「工事中止命令」を監督として手掛けた後、自作『AKIRA』を自ら監督しアニメーション映画化。1988年7月に日本公開、12月に全米で公開された。以降は漫画よりも映画の分野で活動している。2004年には8年ぶりの長編監督作となる『スチームボーイ』が公開、2007年には漆原友紀の同名作品を原作とする実写映画『蟲師』が公開された。2012年、東京都千代田区の3331 Arts Chiyodaで、東日本大震災の復興支援を兼ねた初の原画展「大友克洋GENGA展」が開催。『AKIRA』の全原稿など約3000枚の原画が展示され、漫画家の原画展としては世界最大規模となる。大友の作品が一般的に知られるようになるのは初作品集『ショートピース』が刊行され「ニューウェーブ」作家とも交流を持つようになる1979年頃であるが、76年-78年頃にはすでに作風を確立し一部の漫画読者からは知られた存在になっていた。大友の初期の作品はアメリカン・ニューシネマの影響が強く、ロックやジャズ、ドラッグといった70年代の文化を背景とした日常風景を淡々と描くものが多かった。また緻密に描き込まれているにも関わらず、余白を大胆に取ることで白っぽい画面が作られており、リアルでありながら劇画のような泥臭さや過剰さのない乾いた画風が注目された。さらに初期の大友作品の大きな特徴は、日本人のキャラクターをまったく美化せずに、見たままアジア人的な容姿(細い目、低い鼻、短い足、小さい乳房)で描いたことであり、これは男はかっこよく、女はかわいらしく描くのが当然とされていた漫画界において異例のことであった。このような大友のスタイルの新鮮さは漫画志望者や既成の漫画家に大きな影響を与え、『ショートピース』刊行前後より模倣者が数多く出現、その影響は吉田秋生などの少女漫画家にも及んだ。前述のように、大友は当初は70年的な文化を背景とする物語を主に描いていたが、1979年の52ページの未完の作品「Fire-Ball」(『彼女の想いで‥‥』に収録)ではサイバーパンク風のSFを描いている。この作品はそれまでロングショットだけで作中人物を描いてきた大友が初めてアップを使った作品でもあり、『童夢』『AKIRA』と続く80年代のSF作品への前触れとなった。なお、『AKIRA』以降の作品では登場キャラクターのヒーロー・ヒロイン化に伴い、初期に比べて登場人物の目が大きくなり、造形をかっこよく・可愛らしく描くようになっている。過去のインタビューでは、「そういった(一般的なアニメらしい可愛さの)絵柄も簡単に描けるが、描く理由もない。描かないと生き残れないなら描く」と語っている。『ショート・ピース』刊行以後大友の名が知られるに従って日本の漫画の画風、手法が大きく変わったため、漫画の表現史を画するものとして「大友以前、大友以後」という言葉もしばしば用いられている。この言葉を用いた一人である米澤嘉博は、記号化された絵を使い意味のあるコマの連続で物語を表現するという、手塚治虫によって体系化された漫画の手法に対して、事態をリアルに一枚の風景として描き出し、自在に変化するカメラワークによる画面の連続で作品を構成する大友の手法を「非手塚的手法」と呼んだ。大友の作品ではしばしばキャラクターのいない、風景だけが大写しにされたコマが続けて描かれるが、風景を物語の説明的な背景として使うのではなく「風景だけで何かを語らせる」このような方法はそれ以前の漫画にはない新しい手法であった(米澤は「キャラクターと背景ではなく、キャラクターのいる風景こそが描かれる」と述べている)。ササキバラ・ゴウは、漫画の絵から説明的な意味・文脈を取り去り、人物も風景も同じ質感を持った単なる「もの」として写実的・立体的に描く大友の表現が、漫画の作品世界の中で均質な空間を表現することを可能にしたと指摘している。このことは一面では、箱庭的な物語世界のなかにディテイルを描き込むことへの欲求を作家に与え、70年代以降のSFブーム・アニメブームと連動して、作品に細かな世界設定を描きこむ傾向を育てた。このような傾向はのちに士郎正宗らによって徹底的に追究されていくことになる。他面、人物の立体的な造形は80年代以降の士郎正宗や桂正和、遊人などの描く美少女像を変化させ、「記号的な顔」と「写実的な肉体」を併せ持つ、日本の漫画表現独特の美少女キャラクターを生み出す一因ともなった。上記に加え、老人を口元に皺を一本入れるというような記号的な方法でなく、骨格から皮膚のたるみまで老人として表現するような大友のデッサン力、建物を様々な角度から正確な遠近法で描き出す描写力、写真や映画などから影響を受けた光学的な表現方法などは、以後の漫画界全体の画力を底上げすることになった。この他にも、効果音を描き文字ではなくフキダシを使って描く方法や、超能力などの大きな力によって地面が割れたり、球状にへこんだりするといった表現方法など、大友が始めたことでスタンダードとなった手法は数多い。大友は上記のような新しい手法で、戦後に漫画において描かれてきた物語を解体し語りなおす作家として登場した。そのため写実的な作風である一方で、作品には過去の漫画作品を始めとする他の作品からのパロディ、引用も数多くなされている。1978年から『rockin'on』で連載された「大友克洋の栄養満点!」(のち『ヘンゼルとグレーテル』に収録。なお、原稿の大半は渋谷陽一が大友に確認せず勝手に廃棄した)では『白雪姫』『赤頭巾』といった有名な童話をシニカルなファンタジーとして語り直しており、1979年より『バラエティ』に連載された『饅頭こわい』(単行本未収録)では毎回2ページを使って『鉄人28号』や『ゲゲゲの鬼太郎』などといった様々な漫画作品のパロディを行なっている。また上述したようにデビュー前の大友は少女漫画誌への投稿歴があるが、1979年『コミックアゲイン』誌では少女漫画の画風を模倣したパロディ作品「危ない! 生徒会長」(『SOS大東京探検隊』収録)を掲載している。代表作である『童夢』は破壊的な超能力を持つ少女が登場する作品であるが、その少女の悦子という名は同じく超能力を持つ少女が登場する作品『さるとびエッちゃん』の主人公にちなんでつけられており、そのほかにも破壊的なパワーを持つ少女(アンドロイド)である則巻アラレ(『Dr.スランプ』)の帽子が描かれるなど、これらの作品へのオマージュであることを示している。OVEにもなった短編作品『猫はよく朝方に帰って来る』に登場する私立探偵は青池保子の『エロイカより愛をこめて』に登場するスパイ、エーベルバッハ少佐のパロディだと筆者自身がコメントしている。長編SF作品『AKIRA』では、主要人物の名前を横山光輝のロボット漫画『鉄人28号』にちなんでつけており、作品の構造も同作品の一種のパロディとなっていることが指摘されている。また2004年の映画監督作品『スチームボーイ』のタイトルは、手塚治虫の『鉄腕アトム』の英題である『アストロボーイ』を意識したものであった。

出典:wikipedia

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