吉田 敦彦(よしだ あつひこ、1934年12月22日 - )は、日本の神話学者で多数の著書がある、学習院大学名誉教授。東京生まれ。小学校から大学まで成蹊学園に学び、成蹊大学政治経済学部卒業。東京大学大学院文学部西洋古典専攻修士課程修了後、フランス国立科学研究センター時代に比較神話学の碩学ジョルジュ・デュメジルの指導を受ける。民族学者大林太良がギリシア神話と日本神話との間に見られる類似を、日本の神話の系統論・比較神話学として論じると一貫して支持、日本神話と印欧語族神話を比較する学術論文を、欧米の学術誌などに発表する。著作では『日本神話と印欧神話』で日本神話に見られる三機能体系について論じ、『ヤマトタケルと大国主』において、『記紀』の登場人物と印欧神話の登場人物との比較を行っている。1980年の哲学奨励山崎賞を受賞。ギリシアの神話や文化の研究でも知られ、『ギリシァ文化の深層』で サントリー学芸賞(1984年度)を受賞する一方で、縄文人の宗教や文化に関する著作も目立つ。成蹊大学の学生時代に、マックス・ウェーバーの『職業としての学問』を読んだことがきっかけで西洋古典学を志し、アテネ・フランセでギリシア語、ラテン語を学び、東京大学大学院に進む、古代ギリシア文学者・西洋古典学の碩学呉茂一(著書「ギリシア神話」文庫解説を担当)や、『新約聖書』の専門家(聖書学者)であった前田護郎に師事する。吉田は前田護郎の勧めにしたがってキリスト教神話と地中海の密儀宗教神話との比較をテーマとした修士論文をフランス語で書き、1959年、フランス政府の給費留学生としてストラスブール大学に留学する。吉田がジョルジュ・デュメジルを知ったのはこのストラスブール時代である。ストラスブール大学で師事したロベール・シリングが、デュメジルと親しかったほか、デュメジルの研究に詳しい人物が多かったためである。デュメジルに関心を持った吉田は著書を読みあさり、翌1960年にはパリで面会を申し込んでいる。デュメジルは吉田に高等研究実習院に来ることを勧めたうえ、珍しいことに以後吉田を弟子同様に遇した(「同様」とは、デュメジルが自分には弟子はいないと言っているため)。吉田は高等研究実習院でデュメジルとジャン=ピエール・ヴェルナンの講義を受講する。吉田はデュメジルが意図的に避けていたギリシア神話における三機能形態(主な神々が、祭祀・主権者、戦士、食糧生産者の三つの機能を分担するグループに分かれているという構造。この神話のもとでは、人間社会にもこの三階層の身分が成立することで秩序が保たれるという思想がみられ、王権をつかさどる宝器にもこの三機能が象徴されている)の研究を行い、この過程でギリシア神話をはじめとする印欧語族の神話と日本神話の類似に気づき、両者の関係について論じた論文を1961年から1963年の3回にわたって発表している(『宗教史学雑誌』)。同時期に日本では大林太良が、日本神話とギリシア神話との類似について論じており(『日本神話の起源』1960年)、2人は知り合いとなって交流が始まっている。また三機能形態をギリシア神話に照合させるという共通の研究テーマから、スコット・リトルトンとも知り合いとなっている。その後、ジュネーブ大学文学部の非常勤講師として日本の宗教、神話を、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の招待講師として古代ローマの宗教について講じ、1969年に帰国、翌1970年に成蹊大学助教授となっている。吉田は大林太良の強い要望を受けて帰国後も日本神話の比較研究を継続するが、こうした研究に対して大野晋や大岡昇平らが評価し、大野晋に誘われ学習院大学に移った。
出典:wikipedia
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