吉川 美代子(よしかわ みよこ、1954年5月8日 - )は、日本のニュースキャスター、アナウンサー。神奈川県横浜市出身。キャスト・プラス取締役。早稲田大学教育学部卒業。血液型AB型。趣味はジャズを歌うこと。ラッコや海洋動物にも造詣が深い。1977年(昭和52年)4月に、TBSにアナウンサー第17期生として入社。アナウンサー兼解説委員、TBSアナウンススクール校長、プリンスウィリアムサウンドサイエンスセンター研究員、日本鯨類研究所非常勤理事等を歴任後、2014年(平成26年)5月31日にTBSを定年退職してからは、キャスト・プラス取締役の他にキャスター、アナウンサー、コメンテーターも務める。子供の頃からTBSラジオをよく聴いていたなどのことから、アナウンサーに憧れていた。本格的にアナウンサーを志したきっかけは、中学生時代に吉川の通っていた中学校のブラスバンド部がTBSラジオの番組『こども音楽コンクール』に取り上げられたことである。生徒を代表して吉川がブラスバンド部の紹介を行ったところ、当時同番組の司会を担当していたアナウンサーの山本文郎に「素晴らしい紹介だったよ。君は将来の吉川アナウンサーですね」と褒められたことが強く印象に残り、以後アナウンサーになることを将来の目標とするようになる。中学と神奈川県立横浜平沼高等学校では放送部に所属し、高校卒業後は早稲田大学教育学部に進学、大学在学中は成績優秀により大隈奨学金を授与。しかし大学卒業の時には「アナウンサーは狭き門で自分にはコネもないし、現実として難しそう」と思い、父親が中学教師だったこともあって同じく中学の社会科教師を目指し、教員採用試験にも合格していた。就職活動時に当時の東京放送(現・TBS)のアナウンサー採用試験を受けた際に、3次試験で1分間の自己紹介をすることになったのだが、吉川の目の前に座っていた面接官の一人が偶然にも前述の山本であったため、吉川は機転を利かせて事前に考えていた自己紹介内容を変更し、中学時代に山本から言われた一言がきっかけでアナウンサーを志すようになったエピソードを話したという(ちなみにこの吉川の自己紹介について山本は◎の採点をつけたそうである)。大学卒業後の1977年4月に東京放送に約300倍の倍率をくぐり抜けてアナウンサー17期生として入社(同期に神津栄子(旧姓・浅井)、三雲孝江)。TBSにとっても9年ぶりの女性アナウンサー採用となった。若手時代は、「TBSの松坂慶子」と呼ばれた。 アナウンサー1期先輩の生島ヒロシとは仲が良く)、生島は吉川の事を「美代ちゃん」と呼んでいた。先述の採用試験のエピソードもあって、入社以降も吉川は山本から度々声をかけて励ましてもらうなど親しく接してもらえるようになる(山本は吉川と20才も歳が離れているため、山本は吉川を「美代子」と呼び、娘のように接していた。また、吉川は山本を「文(ぶん)さん」と呼んでいた)。入社2年目の1978年にはかつて山本が担当していた『こども音楽コンクール』の司会への抜擢を山本自ら吉川に告げたところ、吉川は大変喜んだという。1981年1月 - 3月は国会記者クラブ記者を兼務。まだ当時は報道を担当する女性アナウンサーは少なかったため、報道という慣れない仕事で思い悩む吉川に山本は頻繁に声をかけて励まし、吉川もいつも楽しんで仕事をしている山本の姿に刺激を受け、目標にしていたという。1993年6月9日の特別番組「朝見の儀」中継ではスタジオにてアナウンスを担当。山本が1994年にTBSを退社してフリーになってからも吉川と山本との交流は続いていた。2008年に山本が再婚して以降、ある時山本から「美代子、俺の奥さんの料理は美味いから食べに来いよ」と誘われていたが、都合がつかず行けずにいるうちに2014年2月に山本が死去し、約束を果たせなかったことを悔やんでいると語っている。2014年(平成26年)5月31日に、TBSを定年退職となり、当日に『サワコの朝』にゲスト出演。6月にキャスト・プラス取締役(7月1日、講師・カルチャーコメンテーターとの兼務)、NPO「全国万引き犯罪防止機構」広報委員会委員長、警察大学校講師等を務める。TBSアナウンススクールの校長職を岡田泰典が承継。退職翌月の6月28日にはフジテレビの『新・週刊フジテレビ批評』にゲスト出演し、法政大学教授の稲増龍夫と「テレビ局女子アナウンサー」を巡って討論を繰り広げた。
出典:wikipedia
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