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ミニ四駆

ミニ四駆(ミニよんく)は、タミヤが発売している小型の動力付き自動車模型(プラモデル)である。小型電動機(モーター)を搭載した四輪駆動の模型で、単3型乾電池を動力源として走行する。ラジオコントロールではない。商標権はタミヤが保有(登録商標日本第2168392号ほか)。2度のブームにより日本で一番売れた自動車模型のシリーズである。発売30周年を迎えた2012年時点で、累計約420種以上の車種を発売し、販売台数は1億7000万台。スケールは、一部を除き1/32とされている。これは単3形乾電池2本が入りやすいようにしたサイズである。動力は単3形乾電池2本とFA-130サイズのモーター1個で、ギヤーとシャフトの組み合わせにより動力を前後の車軸に伝達し、4輪を駆動する。従来の製品では、プロペラシャフト両端の二つのピニオン及び二つのクラウンギア、モーターのピニオン及びスパーギアとカウンターギアと呼ばれる2段ギアがそれぞれ一つで、計7個の歯車で減速、駆動している。減速比は種類によるが11.2 - 3.5程度で、ギア比を二つ選べる製品も多い。モーターに近い側の車軸を2段減速とし、そこからシャフトで分岐する形でクラウンギアを2段介してもう一方の車軸を駆動している。最新型のMS、MAシャーシ(ミニ四駆PRO)では車体中央部に両軸出力モーターを配置しプロペラシャフトを廃している。レーシングタイプの場合、MS、MA以外のシャーシではプロペラシャフトを取り外すだけで容易に二輪駆動(FM/スーパーFMではFF、その他ではMR)にする事もできる。なお、MSの2WD化も在来機種用モーターを利用する(この場合MRとなる)、あるいは駆動させたくない側のギヤを抜き取る事により容易に可能である。ストック状態ではディファレンシャルを持たない、いわゆる「直結四駆」状態である為、低速コーナーの多いコースでは敢えて二輪駆動にする者もいた。ただし、公式レギュレーションでは二輪駆動化およびプロペラシャフトのピニオン交換とワンウェイホイールの組み合わせによるフルタイム4WD化は禁止されている。ホイール側でディファレンシャル機構とするワンウェイホイールも販売されていたが、レースによってはレギュレーションで二輪駆動禁止、ワンウェイホイール禁止とするレースもあった。いずれの製品も基本的には組み立てに接着剤は一切不要であり、はめ込みまたはビス止めで組み立てることのできるスナップフィットキットになっている。ただし、タイヤなど一部に接着した方が好ましい部品がある。特にスポンジタイヤの場合、大抵は両面テープが添付されている。改造・補修する際も接着剤が多用されるが、シアノアクリレート系(瞬間接着剤)やFRP接着用のエポキシ樹脂系接着剤などが利用される。タミヤからも、ミニ四駆向けにあらゆる工具が発売された。製造メーカーはドライバーなら兼古製作所、ナイフ・のこ系ならオルファなどであり、値段がやや高額である。これら電動工具はホームセンターで安売りされているものを使用している人がいる一方、中にはボール盤、さらには高性能の工作機械を使用するハードユーザーも存在する。ミニ四駆を構成する各部分について説明する。ミニ四駆の外装となる部分である。次に説明するシャーシの上に被せる。内部機構を覆う蓋(カバー)で、車体の剛性にも大きく寄与する。タミヤRCバギーを小型化したものも多く、製品名には「Jr.;ジュニア」が付される。ミニ四駆用にデザインされたボディは空力性能(エアロダイナミクス)を謳っている商品も多いが、スケールの関係や、空力性能を謳う部分以外の場所に小さな凹凸が存在し、総合的に見ると空力の完成度は低い。モーターや電池の冷却用インテイクのため、または軽量化のために、穴を開けるいわゆる肉抜きの改造を行う者も多かった。また、自作ボディを使用するユーザーもいたが現在はコンクールデレガンス目的以外での使用は禁じられている。ミニ四駆の土台となる部分。ここにモーターやギヤーといった各種パーツを組み込む。前側にはバンパーが取り付けられており、バンパーの左右にはローラーを止める穴がある。ゼロシャーシからは後側に別売りのリアバンパーパーツを付けられるように穴が空いており、スーパーFMからはバンパーが付属。MS、MA、ARシャーシは標準装備となる。中央には電池を入れる空間がある。MS、MAシャーシはサイドに配置。モーターを置く位置は、FMシャーシのように前方に置くもの、スーパー1、スーパーTZシャーシなど後方に置くもの、MSシャーシのように中央に置くものがある。技術力のあるヘビーユーザーは井桁・鳥居と呼ばれる、まるで自作シャーシのような様相を呈した改造シャーシを使用する場合が多い。また近年では……などアップダウンが強烈でコースアウトが発生する(スピード制御が適切でないとジャンプしすぎたり着地時の衝撃で跳ね返ったりするため)立体セクションが度々登場しており、対策として、トレーリングアーム式サスペンションを搭載するマシンも一部には存在する。なお、井桁・鳥居やサスマシンはタミヤ純正パーツ群のみを使用している限りレギュレーション違反にはならない。だが完全な自作シャーシ、シャーシの換装によるもの以外のホイールベースの変更は、公式レギュレーションで違反となる。キット添付のモーターは、マブチのFA-130である。フルカウル、スーパー、マイティ、エアロには、近年一部車種でシャーシを変更して発売されるプレミアムやスペシャルモデル以外には添付されない。構造上、寸法が全く同じモーターしか使用できない。MS、MAシャーシ(ミニ四駆PRO)では動力軸が延長されたものを使用しており、両側にピニオンギヤを取り付ける。純正非純正の、各種の高性能モーターが存在する。タミヤの開催する公式戦では、個人による改造や他社製品のほか、純正のグレードアップパーツのモーターでも禁止された型番もあり、速さの絶対的な差につながる改造を抑制していた。スロットレーサー用のモーターでは炭素電極ブラシ使用など極端なものが存在した。電池は単三電池2本を使用する。マンガン乾電池は非力なため、レース等ではアルカリマンガン乾電池を使用することがもっぱらである。また、経済性の理由からニッカド電池も使用された。ニッカド電池はタミヤブランドでもミニ四駆向け(黄色、橙・黄緑のラベル)、ラジコン向け(灰のラベル)があり充電器も豊富だった。公式戦ではタミヤブランドで販売されていた「パワーチャンプゴールド」や、スポンサーでもあった富士通(FDK)製のアルカリ電池を指定していた時期もあり、充電式電池はタミヤも富士通も原則禁止だった。公認競技会規則では2011年4月現在使用できる電池はタミヤブランドのみである。ジャパンカップのみ富士製のアルカリ乾電池を使用できる。このルール改定と同時期に新商品「ネオチャンプ」が発売され、ニッケル水素電池により充電式電池が解禁された。動力源周辺のその他のパーツとしては、アルミ製でモーターに接着する冷却フィンといったものがある。ギアレシオはモデルによって異なるが、レーシングタイプではPROで6個(ピニオン×2含む)、従来型でも6個(ピニオン含む、プロペラシャフトは一式で1個とカウント)使用している。加速重視用と最高速重視用の、異なるギアレシオのセットが付属することが多く、組み合わせるモーターとの相性で選択することができた。オプショナルパーツとして、モーター出力軸に取り付ける金属製のギアや、公式レース会場で限定販売されたギアレシオのセットもあった。カスタム用パーツに軽量化された中空ドライブシャフトが存在し、素材としてはステンレスやチタン合金が使用されたものも存在する。またプロペラシャフトに関しても中空シャフト仕様が存在した。前後のドライブシャフトとフレームを介しホイールと接する部分、いわゆるハブは、ノーマルではプラスチック部品にハトメのような真鍮部品を組み合わせたものだったが、オプショナルパーツとしてベアリングタイプのハブが販売されていた。チューンナップモーターと並ぶ定番パーツで、その定価は600円と、キット価格に匹敵した。今現在トップグレードのベアリングは四個で定価1000円となっている。タイヤ・ホイールに関しては以下のように分類される。大きく分けて、に分類される。かつて汎用またはRC用のボールベアリングをローラーに転用するケースも見られたが、現在のルールでは禁じられている。6個まで付ける。7個以上付けるのが禁止。(ただし、ローラー用パーツであっても固定され回らないものに関してはローラーと見なされず、逆にローラー用パーツでなくても回ればローラーと見なされる。マスダンパーも規定ライン(前後ローラーの中心軸を結んだ線)より外側に付けてしまうとローラーと見なされる。)専用コースにて走行させ、スピードを競い合うタイプ。世間一般では、ミニ四駆といえばこのオンロードタイプという解釈がされている。シャーシは重心が低く、ギア比も高いため高速かつ安定した走行が可能となっている。不整地路を走行させることができるタイプ。不整地路での走破性を優先するため、シャーシは地上高が高い構造となり、ギア比もトルクが重視されている。スケールモデル同様、飾って楽しむタイプ。他のミニ四駆と異なり、シャーシには走行するための機構が装備されていない。車種ラインナップはミニ四駆一覧を参照のこと。1968年、単二電池2本を乗せ後輪二輪駆動で走る300円の半完成品自動車模型『クイックレーサー』が田宮模型から発売される。この『クイックレーサー』という商標は、1996年にミニ四駆のサイクロンマグナムとハリケーンソニックをラジコンカーにした商品の商標として流用された。それから後、田宮模型社長の田宮俊作は目が衰えた事によって「もっと簡単に作れる模型製品を作りたい」と考えていた。また、同社の模型が精密さを追い求め過ぎ高度化している事も憂慮して「子供でも作りやすいキット」の製品化を思い立った。そして「何処でもよく走る四駆の動力模型。小学生でも気軽に買える数百円程度のキット。パーツは極力減らし、なおかつ接着剤不要で手軽に作れるスナップフィットキットにする」という方針の下にミニ四駆の開発が始まった。スナップフィットキットにした理由は、シンナー遊びの影響で当時の日本に接着剤に対し悪い印象が定着していたためである。また、パーツも何銭単位で細かく調整され、配線も廃し、配線の代わりの電極部の金具もパーツ化し、直接金具からモーターへ通電する構造にした。1982年7月13日、車種には当時人気のあったフォード・レンジャー4×4とシボレー・ピックアップ4×4を選び、四駆らしく走破性に長じたギヤ比設定にした初のミニ四駆が発売された。その後田宮模型が田宮との面識もあった大塚康生に相談したところ、子供達の目線に沿ったマシン作りを提案され、大塚監修の下数台のキットが発売されることとなる。大塚監修のキット以降を「コミカルミニ四駆」として改名している。ハイパワーギア設定のミニ四駆は子供達にとっては「遅い」というイメージがあった。そこでホイールベースやギヤ比をハイスピード設定に変えたり低重心化等をして「レーサーミニ四駆」が売られるようになる。第1弾車種にはやはりオフロードタイプで人気が高かった「ホットショット」が選ばれた。当時、RCカーはホビーとしては高嶺の花で、同じ小学生の友達が遊んでいるのを指を咥えて見ているという状況も多かったため、RCカーのホットショットのJr.版として企画された。当初は「走らせられる場所が無い」という欠点も生じたが、スタッフの一人がバケツの壁を走らせる事を思いつき、そこからレーサーミニ四駆用のコースを設計する。このバケツでの遊び方は後に「サイクロンループ」という縦置きの円形コースを何回走れるかという競技にも発展した。さらに全てスナップフィットで組み立てられるためにモーター、ギア、ホイール、タイヤ、シャフトなど全て交換可能なため、カスタマイズ用のオプション部品「グレードアップパーツ」も売られるようになった。しかし、それのためのコースを設計しても今度は簡単にコースアウトしてしまうという問題があった。これを解決したのは小学生で、その子供はバンパー部に洋服のボタンを釘止めしてローラーにし、コーナリング時のコース側壁との接触をスムーズにしていた。これをヒントに「ガイドローラー」が発売され、現在売られているオンロードタイプのミニ四駆には標準搭載されている。また別の小学生は待ち針を何本か束ねてバンパーに立て、車体全高よりも高い位置でコース側壁に接触させることで車体を転覆しにくくした。これも「スタビライザーポール」としてグレードアップパーツとなった。このようにミニ四駆は子供達がアイディアを出し合って能力を向上させ、またタミヤがその思いに応えブームとなった。このようにユーザーのアイディアがパーツになる流れはマスダンパーのように、第二次・第三次ブームでもいくらか見られる。1987年にミニ四駆を題材にした漫画『ダッシュ!四駆郎』(徳田ザウルス)が『月刊コロコロコミック』(小学館)にて連載されますます人気は上昇、1988年夏からはミニ四駆全国選手権大会「ジャパンカップ」が開催されるようになった。小学館と共同のメディアミックス戦略が人気に拍車をかけることになる。タミヤは以前、ラジコンカーでの商業戦略で自社主催レースやタミヤ宣伝部社員扮する独自キャラクターを打ち出して製品アピールを行っており、テレビ番組でもテレビ東京系で『タミヤRCカーグランプリ』が放送された。ミニ四駆でもこの手法を利用し、ラジコンカー商業戦略時のキャラクター「タミヤの前ちゃん」「ラジコンマン」「メカニックマン」だけでなく、改造のアドバイスや関連イベント案内を行うミニ四駆専門商業広報キャラクター「ミニ四ファイター(通称:ファイター)」もデビュー。この「ミニ四ファイター」の活動は『コロコロコミック増刊号』などで漫画家おちよしひこにより『GO!GO!ミニ四ファイター』の題で漫画化された。ファイターはブームに乗って前述の「前ちゃん」と組み、CDデビューまで果たした。こうして盛り上がったブームに乗って大会が各地で多数開かれるようになる。更に『ダッシュ!四駆郎』はアニメにもなって社会的認知も高まった。ところが、1991年ごろに突然ブームが去った。当時はタミヤ公認のミニ四駆大会には中学生まで出場することが出来たが、経年によって、ブームになった当初に主要層だった世代(1975~78年生まれ)からの興味が薄くなってしまったこと、バブル崩壊による経済的問題や受験戦争の加熱などが要因としていわれる。その後、更なる高速化を目指して「スーパーミニ四駆シリーズ」が発売されるも、子供の「模型離れ」による人気低下に歯止めはかけられなかった。第一次ブームと時を同じくして、それに便乗するかのように他社からミニ四駆の類似品や非正規パーツが発売された。主にミニ四駆(車体)の類似品を発売していたのはバンダイ、青島文化教材社、グンゼ産業(現・GSIクレオス)、東京マルイなど。バンダイを中心とした3社は、2004年から2008年までミニ四駆の類似品であるバクシードを発売していた。また、公式レースでは一切使用できない非正規品の超高回転型モーターが出回ったのもこの頃からで、一つの例としては、一部の玩具店やホームセンターなどで販売されていた「龍神」と呼ばれるミニ四駆用モーターがあった。価格が約1500円と高額ながら、タミヤ正規品の中では当時最も速いといわれていた「ハイパーダッシュモーター」の数倍の回転数であり、搭載することで尋常ではない速さで走行することができた。この他にも数々の非正規のモーターが出回ったが、車体パーツの設計上想定されていないあまりの高出力や過熱に、樹脂製のパーツが変形・溶解・発火する、相対的に車体の強度が不足しギア部分や車体そのものが破損する、短期間でモーター自体が破損するなどのトラブルも多く発生した。ハイパーダッシュモーターの最高回転数が約19,000rpmなのに対して、様々な非正規品モーターは数万〜十数万rpmの間で各種ラインアップがあったとも言われている。青島文化教材社製「スーパー無限竜」と、サニー製「スーパーサンダーボルト」いう非正規モーターは120,000rpmもの回転数で、条件さえ揃えば時速100km/hを超える速度を出すことが出来るという。当時の子供たちの中には、これらの非正規のモーターの部品を利用して正規品のモーターの中身を組み替え、正規品に偽装してレースに使用する者もいた。これは誰の目から見ても不自然なほど圧倒的勝利を収めてしまうため、タミヤの公式レースでは搭載出来るモーターの種類がレギュレーションとして指定されたり、モーターの性能を実測するモーターチェックなどの不正防止策が頻繁に行われたりするようになった。また、公式レースでも正規品のモーターであっても、ハイパーダッシュモーター(現在は絶版)以上のモーターの使用が禁止または制限されていた。これは、コース内での事故防止による措置と思われる。なお、もともとハイパーダッシュモーターはミニ四駆専用に開発されたものではなく、マブチモーターの既存製品であるFC-130モーターの設計を流用して投入された製品である。当時のタイプ1シャーシはこの高出力を前提としたものではなかったため、あくまでトライアル用の製品として発売されたものである。第一次ブーム当時はFA-130ノーマルモーターまたはハイパーミニモーター(絶版)・第二次ブームではそれに加えてトルクチューン/レブチューンモーター(元々はミニF向けパーツ)・アトミックチューンモーター(ハイパーミニモーター後継モーター)に限定されているケースがあった。ハイパーダッシュモーターの後継品でスペックが低下したハイパーダッシュ2モーターと、パワーダッシュモーター、スプリントダッシュモーターの3種類の使用が2008年のレギュレーション改定により認められた。また、ミニ四駆PRO用のモーターは、全種類の使用が認められるようになった。しかし、ハイパーダッシュ・マッハダッシュ・ジェットダッシュ・タッチダッシュのような絶版品や、ZENチューン・ターボダッシュのような限定販売モーターや、プラズマダッシュ・ウルトラダッシュのような非正規品の超高回転型モーターに匹敵する高出力モーターの使用は、原則として認められていない。ハイパーミニモーターは2012年7月に再発売され、同年のジャパンカップより使用可能となった。1994年には、タイヤをカウルが覆う形のボディを採用した「フルカウルミニ四駆シリーズ」が発売された。さらにフルカウルミニ四駆を題材にした漫画『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』が『コロコロコミック』に掲載され、ミニ四駆は再び子供達の注目を集めた。スーパーミニ四駆と同じシャーシを採用しているため基本性能は変わらないものの、その独特のボディデザインは子供達の心をとらえた。停滞期にラインナップを強化したグレードアップパーツも助けとなり、第一次ブーム世代の引退に伴う世代交代で再び人気が再熱した。当初は読み切り漫画だった『爆走兄弟レッツ&ゴー!』も、非常に好評だったため後に連載化、アニメ化、ゲーム化、映画化までされ、第一次ブームと同様に強力なメディアミックス戦略がブームをさらに加速させた。1ヶ月ごとにニューマシンが登場し、グレードアップパーツも次々と高性能なものが発売され、子供達の気持ちに必死になって応えようとするタミヤの気合が存分に感じられた。当時、各地の模型店や玩具店では最新マシンが発売されると即品切れ、次回入荷予定が未定となることもしばしばだった。その後、走らせるわけではない魅せるためのディスプレイタイプのミニ四駆「リアルミニ四駆シリーズ」や、より高速走行が可能になった「エアロミニ四駆シリーズ」「マイティミニ四駆シリーズ」などの派生シリーズが生まれた。ちょうどこの頃から各地の模型店や玩具店にてサーキット常設店が増え、店頭主催による「街角レース」と呼ばれるレースの開催が活発化していた。タミヤ公式レースのジャパンカップさながらの巨大なコースを用意して市民体育館などを借りてレースを行う店も多く、公式レースなど開催されない地方ではかなり盛況だった。また、『TVチャンピオン』(テレビ東京系)など、多くのテレビ番組にてミニ四駆の特集が組まれた。このブームに合わせて、小学校の理科教材にもミニ四駆に似た形状のものが現れた。他社からも再びミニ四駆の類似品が発売された。例を挙げると、青島文化教材社からはアニメ『サイバーフォーミュラ』に登場するレーシングカーをモデルにした「テクニ四駆」や、アリイの「超スーパー四駆」という類似品が販売されている。しかし、マシン性能の上昇からか第一次ブーム期よりも参入メーカーは少なく、むしろマシン自体より、主に性能アップを主眼においたパーツ群を発売するメーカーが多かった。モーターは前述のとおり多くのメーカーから発売され、その性能の高さゆえ、レギュレーション無制限の街角レースが多く開催されていた時期もあった。一部の主催者によってはタミヤ公式ルールどおりのレースと無制限のレースを分けて行う場合があり、無制限のレースの参加費がやや高めであり、場所を借りて行う大会では特に高額となる傾向があった。これらの無制限マシンは俗に「フリースタイル」と呼ばれ、タミヤ製品とはまた違った道を歩むことになった。このようにミニ四駆の高速化は進んだものの、『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』のTVシリーズは1998年末、漫画も1999年10月に終了。ジャパンカップも1999年で終了し、第二次ブームは終焉を迎えた。そしてミニ四駆のレース大会の模様を紹介していた『タミヤRCカーグランプリ』も1999年3月で終了し14年半の歴史に幕をとじ、2000年にはタミヤ公式レースも殆ど開かれなくなった。この第二次ブーム終了後、レーサー自身の年齢上昇という避けられない問題と、テレビゲーム機の高性能化を筆頭に遊戯王OCGやベイブレードなどのミニ四駆以外の玩具などが人気を集めている事などにより、ミニ四駆人気は下火となった。第二次ブーム終了後しばらくは派生商品であるダンガンレーサーやラジ四駆に主力を譲り、ミニ四駆の扱いは大幅に絞り込まれた。2000年以降は、ダンガンレーサーやラジ四駆への新製品の投入がメインだったため、ミニ四駆の新製品は従来車種のリメイク仕様が中心だった。大きな話題を呼ぶ新商品の登場が皆無だった状態の中、当時小中学生だった子供達が大人になったため、オークションサイトでは昔の生産停止品が高値で取引されていた。当時、非常に人気の高かったアバンテJr・アバンテ2001Jrを始めとして、『ダッシュ四駆郎』にて登場した各マシンのほか、ごく少量のみ生産された車種は数万円単位で取引されることもしばしばだった。しかし、バンダイからミニ四駆を参考にした類似品であるバクシードシリーズが発売され人気を博するに及び、対抗する形で2005年から人気のあった旧車種の再発売を開始。その一環として「メモリアルボックス」というマシンのセットも販売され、その中には生産停止されていたグレードアップパーツ(主にボディ系パーツ)も付属されていた。そして、対抗商品の本命として6年ぶりとなる本格的な新製品「ミニ四駆PRO」シリーズを2005年11月に投入する。このミニ四駆PROには、新開発のシャーシ「MSシャーシ」が採用されたことが大きな特徴であった。モーターと電池をシャーシ中央の低い位置に集中配置して前後の重量バランスを最適化するとともに低重心化を図った。今までのプロペラシャフトを使用した駆動方式から一変して、ダブルシャフトタイプのモーターを伝わって前後輪をダイレクトに駆動する、駆動抵抗の少ない構造となっている。また、前述のバクシードシリーズに対抗する必要から構造も意識したものとなり、シャーシを3分割としてカスタマイズの自由度がこれまで以上に高まった上に、従来のシャーシを上回る剛性を実現した。主催の公式レース大会、いわゆるミニ四駆公認競技会の改革も行われ、今まで公式レース大会に参加できなかった高校生以上でも参加できる「エキスパートクラス」を新設。従来の中学生以下のレースは「ジュニアクラス」として、年齢によるクラス分けを行った。このエキスパートクラスにより、過去2回のブームを収束させてしまう一因となっていた年齢上限を撤廃したことは画期的なことであった。エキスパートクラスの創設とミニ四駆PROの投入もあってバクシードからのユーザーの呼び戻しに成功し、後に第三次ブーム拡大へ発展する素地が作られた。エキスパートクラスでは、2007年まではミニ四駆PROのみ使用可能だったが、2008年よりすべてのミニ四駆が使用可能となり、「オープンクラス」と名称も改められた。オープンクラス・ジュニアクラスとは別に、独自レギュレーションによるクラス分けの試みも行われた。直径26mm以下のタイヤの使用が義務付けられている「小径タイヤ限定クラス」、一部シャーシを除くレーサーミニ四駆のみの「クラシック部門」、2007年より初心者向けに、車検場に設置されているスピードチェッカーで時速を計測し、計測結果が25km/h以下でなければ出走できない「ルーキー部門」が主なものであった。2006年2月1日には、主にミニ四駆を題材にしたビジネスを展開する企業「ミニ四駆ネットワークス株式会社」をケイブとタミヤの共同で設立。メディアミックスなどライツビジネスの展開、ショップの経営やイベントの企画運営に加え、ミニ四駆に関する世界観の創作などを行うと発表。第一弾の企画として、ミニ四駆を題材にしたフリーペーパー『少年アクセル』を全国のイベント会場や模型店にて無料配布した。2006年に行われた文化庁メディア芸術祭の10周年記念アンケート「日本のメディア芸術100選」・エンターテインメント部門では20位にランクインし、その根強い人気を再確認するに至り、タミヤ側もミニ四駆のさらなる展開を企画するようになっていく。2006年6月からオンラインコミック『吉祥寺フェニックス』の配信を開始したのを皮切りに、同年7月からはソーシャル・ネットワーキング・サービス「ミニヨンクラブ」もサービス開始。主にインターネットを通じたプロモーションが積極的に行われた。2007年はミニ四駆が発売されて25周年となり、その記念イベント「ミニ四駆まつり」を同年3月に開催。25周年記念セレモニー、歴史展示、ヒストリックカーミーティングなどが行われた。また、25周年記念企画としてデザインコンテストの開催し最優秀作品は「サバンナレオ」として商品化、年間チャンピオン戦の開催、静岡県の静岡県コンベンションアーツセンター(グランシップ)にて海外からの招待選手を交えて「ワールドグランプリ」を開催、『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の作者・こしたてつひろがデザインを手掛ける25周年記念モデル「バイソンマグナム」と「ロデオソニック」の発売などの様々な企画が立て続けに行われた。ニュースサイトや雑誌社などメディア関係者を対象としたレース「プレスカップ」も開催され、レースの模様が各メディアにて取り上げられた。いずれも年齢は無制限で、「クラシック部門」以外は全てのミニ四駆が使用可能であった。プレスカップは後述する発展期には一時的に消滅するが、盛況期になりメディアレースや企業対抗レースという形で発展的復活がなされることになる。ミニ四駆PROシリーズが発売してから、ミニ四駆公認競技会もやや試行錯誤の形が続いていたが、2008年以降は「オープンクラス」「ジュニアクラス」「限定クラス」の3クラスにまとめられるようになった。限定クラスのうち、2009年は小径タイヤ限定、2010年は大径タイヤ限定、2011年ならびに2012年途中までは、主催者指定のシャーシのみが出場できるシャーシ限定クラスが行われた。また2013年1月~3月には、2人1組で出場してリレーするタッグクラスが行われ、2014年からは親子で共同製作したミニ四駆で出場できる、子供ならびに初心者用のレース体験クラスとしてファミリークラスが行われている。実施される公式レースの種類も、第一次・第二次ブームで行われていた「ジャパンカップ」は当面再開させない方針が採られた。そのため、1年を通じて各地で行われるGP大会(ニューイヤーGP・スプリングGP・サマーGP・オータムGP・ミニ四駆GP)が行われ、12月に各GP大会の優勝者同士によって行われる「年間チャンピオン戦」によって、その年の日本一が争われる方式となった。プロモーション面では、ミニ四駆情報サイト「ミニ四駆オンライン」の開設のほか、ミニ四駆を題材にしたオンラインゲーム『ミニ四駆オンラインレーサー』を提携企業のケイブと共同開発、2007年4月20日より体験版の配信を開始した。その1年後の2008年「ワクワク無限大∞ミニ四駆ワールド」にタイトルを変更し、12月12日から1週間クローズドベータテストが実施、その後何度かベータテストが実施されて、2010年3月24日より正式サービス開始したが、不調に終わりサービスは早期で打ち切られた。2008年以降、長い間ミニ四駆から離れていた第一次・第二次ブームを担った世代の呼び戻しに成功したことから、第二次ブーム収縮後の長い氷河期を経て、第三次ブームと呼べる活況を見せるようになった。ミニ四駆PROシリーズの展開と並行して、旧車種の再発売やリメイクを行ったこともそれを後押しし、模型店ではミニ四駆関連商品の売れ行きが大幅に伸び、2011年頃になるとマシンやパーツの品切れも起こるほどになった。2010年には従来の公式レース大会とは別に、全国のミニ四駆取扱店(ミニ四駆ステーション)の店舗レースを勝ち抜いた、ステーション代表者同士による店舗対抗戦、ステーションチャンピオンシップがツインメッセ静岡で開催されるようになった。2011年の公式大会動員数は約16,000人となり、第一次・第二次ブームを担った世代が親となり、子供と揃って参加する光景が多く見られるようになった。旧車種の再発売や、オープンクラスの常設化により年齢上限やシャーシによる出場制限が無くなったことで、ミニ四駆PROシリーズをはじめとした新世代のミニ四駆と、第一次・第二次ブーム時代の旧世代のミニ四駆とが入り乱れてレースを行う光景も見られるようになるなど、緩やかながらも順調にユーザーを増やしていった。2012年になると、機は熟したと見たタミヤはそれまで開催を見送っていた「ジャパンカップ」を再開させることを決定した。13年ぶりに復活を果たしたジャパンカップには、それまでの公式レース大会を大幅に超える人数が参加、第三次ブームの到来を決定的なものとした。ジャパンカップは2011年までに培ってきた公式レース大会の運営フォーマットを流用して行われたが、参加人数があまりにも短期間で急激に増えたため、十分に対応できたとは言い難い側面があった。その典型が、それまでオープンクラス・ジュニアクラスと並ぶ開催クラスであった限定クラスの自然消滅的な廃止で、2012年のジャパンカップ以降は、その開幕直前のミニ四駆GP東京大会(五反田で開催)まで行われていたシャーシ限定クラスは行うことができなくなったほどである。(2012年のシャーシ限定クラスの年間チャンピオン戦は、1月~6月までに権利を獲得した選手のみを対象として12月に行われた)2012年以降、2013年・2014年とジャパンカップは連続開催されるようになり、公式レース大会の参加者は急激に増加し、それに伴いミニ四駆ステーションの数も大幅に増加した。プロモーションにもさらに力が入れられ、2012年にTV番組「百識王」にて取り上げられたのを皮切りに、2013年・2014年にはテレビ東京系列にてミニ四駆の特集番組を放送し、従来のインターネット主体のプロモーションからの脱却を図った。さらに、「ミニ四駆超速ガイド」と呼ばれるオフィシャルガイドブックを2013年から毎年刊行している(学研・GetNavi)ほか、ミニ四駆を題材にした空気系のコミック作品として「二ツ星動力学研究所」がとなりのヤングジャンプ上にて連載されるなど、積極的なメディア戦略を展開して新規ユーザーの獲得に努めた。一方で、2014年11月には小学館から対象年齢を大人向きにした不定期誌『コロコロアニキ』が刊行されると、その中で『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の続編『爆走兄弟レッツ&ゴー!! Return Racers!!』の連載を開始。2015年3月刊行の第2号では『ダッシュ!四駆郎』の続編として『ハイパーダッシュ!四駆郎』の連載が開始され、2014年以降は第一次・第二次ブーム世代の旧ユーザーの再取り込みを強化するプロモーション活動にシフトしつつある。第三次ブームは、子供が主役を担った過去2回のブームとは違い、第一次・第二次ブームを担った世代が大人となり、再び主役となって子供を巻き込む形で展開していることが特徴となっている。タミヤ主催の公式レース大会については、ミニ四駆公認競技会を参照。「ジャパンカップ」についてもこちらを参照。各方面で展開された作品から派生したゲームは各項目を参照のこと。平成27年6月10日、エアロアバンテ(以下「アバンテ」)を1/1の大きさに(実際に自力で走行可能な)実車化する「1/1 GIANT MINI 4WD PROJECT」が発表された。この実車版アバンテは同年10月に完成し、「ミニ四駆ジャパンカップ2015 チャンピオン決定戦」が開催された東京都江東区「MEGAWEB」特設コースで初披露。以降もミニ四駆絡みのビッグイベント開催時には自走する機会の有無にかかわらず、しばしば展示されている。なお、ミニ四駆の実車化に関しては1997年にも爆走兄弟レッツ&ゴー!!WGP 暴走ミニ四駆大追跡!の公開に合わせてガンブラスターXTOをモデルに行われている。

出典:wikipedia

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