疑似科学(ぎじかがく、)とは、うわべだけの科学や、誤った科学のことであり、科学的方法に基づいていると誤って考えられたり、あるいは科学的事実だと(間違って)位置付けられてしまった 一連の信念のことである。疑似科学(pseudoscience)という言葉は、科学哲学で伝統的に用いられてきた。科学の手法とは、実験結果が再現でき、他者が間主観的に検証可能であるということ()である。科学とはあくまで現象の再現性であり、メカニズムの解明のことは指していない。しかし、科学と疑似科学の境界線はあいまいであり、一致しないことで悪い名声を持つ。過去には1934年にカール・ポパーによって反証主義(反証可能性を科学の条件とする考え)が提示された。しかし現代の科学哲学者に反証主義を擁護するものはほとんどいない。1960年代以降もトーマス・クーンのパラダイムといった、さまざまな考えが提示され、ラウダンの「線引き問題の逝去」により議論は下火となった。それとは別にベイズ主義が登場し、現代科学では頻繁に統計が用いられて21世紀でも議論となっている。研究結果の統計学的解析を行うメタアナリシスを通して、証拠の強さを決定するが、医学を主体とした領域においては専門家による意見は証拠としては最も弱い。2002年よりイギリスの団体である「Sense about science 科学のセンス」は公共における科学の理解を高め、また非科学的な誤情報を修正するために「根拠を尋ねよう」というキャンペーンを行っている。現代の疑似科学の分野や傾向は多岐にわたり、科学研究・科学教育を行なう立場からは様々な文脈で批判されているのだが、一部の疑似科学はいわゆる悪徳商法と親和性が高く、科学や学問や教育などの領域の外側、巷でおこなわれている商業行為などで人(消費者)を騙すために用いられることもある。英語の (スードウサイエンス、または、スュードウサイエンス)は、「偽の」「紛いの」「似ているが本物ではない(擬似)」を表す "pseudo-" と、科学 "science" との複合語である。初期の用例としては、仏語 " (スュドスィヤンス)は、19世紀前半に実験生理学の先駆者とされるフランス人生理学者フランソワ・マジャンディーが著書 "Précis élémentaire de physiologie"で骨相学について用いた。科学と疑似科学の境界線はあいまいであり、21世紀初頭の現代では、疑似科学という用語は乱用されている。海外の哲学用語辞書では pseudo-science 後に紹介する科学哲学のポパーが紹介されている。心理学者の菊池聡によると、日本語の「疑似科学」は、科学性をうたっているが実際には非科学的であるもの、を指している、とのことである。ほかにも、科学者によるデータ捏造などの科学における不正行為の結果として流布した科学的誤謬を含む知見も、やはり疑似科学とされる。病的科学という言葉は、化学者のアーヴィング・ラングミュアが1989年に公表した。菊池聡によると、病的科学と表現されるのは、通常の科学研究において起こりうる事態で、正当な科学研究であったつもりが主観を軽視したために、誤って何らかの事柄を発見してしまい、訂正されずに続いてしまうことである。「ニセ科学」や「エセ科学」とは、菊池聡によると、だますために科学を装っているものである。『疑似科学と科学の哲学』の著作を持つ哲学者の伊勢田哲治は、ニセという言葉には価値判断が含まれるため、用語法として疑似科学という言葉の使用にこだわっている。一方で、このニセ科学という表現は、物理学者の菊池誠の活動によって知名度が上がったが、菊池誠自身はそのような悪意を想定していない。菊池誠によれば、「ニセ科学」には定義はなく、科学を装っているが科学ではないものという意味で使っているとのことである。菊池誠によれば、疑似科学の語は科学に似ていることを指し、ニセ科学の語が科学らしさを装っているという意味を含むのだということである。「非科学」とは、科学ではないものを指す表現である。芸術、文学、思想など多くあり、菊池聡によると、科学とはまったく別である。境界科学(周辺科学、フリンジサイエンス)という表現は、主流ではない科学の呼称としても、また非科学的なものと見なす場合にも用いられる。。定着した用語ではない。英語圏においては、一般人が用いる類義語として、「 ブードゥーサイエンス」「 ジャンクサイエンス」、「 バッドサイエンス」が用いられている。科学的な多数の知識、方法論、実践の決定のための基準は、分野ごとに実際は様々である。だが、多くの基本原則に関して言えば、科学者において広く意見が一致している。ケンブリッジ大学出版の科学的手法についてのGauchの著作では、科学の基本的な概念は、すべての実験結果が再現的である必要があり、他者によってと、いうことである。実験を確保するというこれらの原則の目的は、同様の条件下で ある程度再現され、現象に関した仮説や理論の、妥当性と信頼性の両方を判断するためのさらなる調査を許容する。科学的方法に求められる基準は至る所で応用され、は、ランダム化や、偏りのない抽出手続き、盲検法、あるいは他の方法によって、管理あるいは抑制される。実験や環境条件を含むすべての収集データは、精査と査読に利用するために文献化することが期待されており、結果を確認あるいは反証するようなさらなる実験や研究を実施することを許容している。有意の統計的な数量化、信頼区間、も科学的方法のための重要な道具である。懐疑論協会を主宰し、雑誌"を出版するシャーマー(Shermer, M.)の、『サイエンティフィック・アメリカン』に掲載された記事では、科学とは仮説を試し理論を構築するための方法であるため、科学者がそうしたことを行ったかによって、科学と疑似科学を区別することができる、と説明している。科学哲学者のアレックス・ローゼンバーグによれば、理論の選択は観察結果に基づいて行われる。もし、理論のほうが観察結果や実験と矛盾する場合には、理論のほうが放棄されることが想定される。好み、心理的性向、社会的影響力、流行といった非実験的な要因は、理論の選択に、理解をゆがめる非科学的な影響を与える。科学者の菊池誠が一般書で説明するには、メカニズムが不明のものを疑似科学だと言うのは危険であり、科学の考え方として間違っているということである。科学的事実というのは、再現性のある客観的な事実、現象が存在するということであって、メカニズムの解明を指してはいない。超伝導は、現象の発見から理論の確立まで50年かかったが、その間にオカルトだとか言う疑問は起こっていなかった。科学とそうでないものを、いかに区別や線引きしたらいいのか?、そもそも線引きはできるのか?という科学と疑似科学の境界を決定する問題は、科学哲学で扱われてきた。科学哲学が登場するのは1920年代後半からである。科学哲学における、カール・ポパー、ラカトシュ・イムレ、トーマス・クーンといった科学哲学の見解の推移を解説する。科学との「線引き問題」(demarcation problem、あるいは境界設定問題)が当初扱われ、そして線引きはできないことが明らかになっていく。論理実証主義はドイツで出現し、1928年のベルリンの経験哲学協会、1929年のウィーン学団の発足による。論理実証主義者は、科学的な命題とそうでないものを区別しようとし、「検証可能性」の考え方を生み出し、科学的な命題は実験や観察による事実によって検証でき、非科学的な命題は「神の姿」のように検証方法がないものであるとした。しかし科学で言われる命題は、全称の命題であり、つまり「金属は」と定義するときの金属には、存在するすべての金属を含めなければならないため、検証できず非科学的な命題である。ほかにも、「他の条件が同じであれば」その現象が観察できるという実験の前提は、論理実証主義者が要請するものだが、あらゆる条件の一致することはこれまでに確かめられたことはない。このため次に考え出されたのは、観察して確認できた例が増えていけば、確からしさが増大していくという「確証可能性」の考えだが、ヘンペルの指摘によれば、実際にカラスを観察しなくても、白い紙がカラスではないというような観察によって、実際に観察していないカラスについて確証できてしまうために、受け入れがたいものであった。1934年、科学哲学者のカール・ポパーは『科学的発見の論理』で、命題というのは、それまで科学者らがナイーブに信じてきたように帰納法によって正しさを示せるようなものではなく、いかなる命題であれ正しさを保証することはそもそもできないのであって、命題というのは反証されるまでのあいだ暫定的に認められるものだとの見解を示した。反証主義である。そして反証が可能であるという意味の「反証可能性 (falsifiability)」をもつ理論を科学とした。「反証が不可能」な理論は、科学では無いとして線引きされる、という考え方である。反証主義によれば、神の存在は事実がないから非科学的なのではなく、これを反証するような実験を特定できないためである。間違っていると考えられるような新規の理論は、反証を受ける可能性は高く、情報としての価値は高い。反証可能性の問題は、反証自体がさらに反証される可能性があるため、完全に反証されることがないという矛盾があることである。これを理由として科学者集団に合意されて受け入れられているポパーが「基礎言明」と名づけた命題があることを、ポパーを認めた。現実に実際の科学の命題さえ、物理学の慣性の法則であれば「外部から力を加えられないかぎり」のように検証しようがない命題を含んでおり、このような前提を認めていくと他の疑似科学とされる事例との区別はできなくなってしまう。ほかには、デュエムが提唱しクワインがさらにとりあげたため「デュエム=クワインテーゼ」と呼ばれる過小決定の問題があり、補助の仮説を入れることで反証を避けることができ、このためもはや反証主義を擁護するような科学哲学者はほとんど存在しない。また、後の科学哲学者の述べるところでは、過小決定は実際にはまず生じない。また1983年のラリー・ラウダンによる「線引き問題の逝去」という論文以降は、線引き問題はあまり論じられなくなった。ラウダンついては後で解説する。それまでの科学哲学は論理学を基盤としたが、1960年代には、すぐに述べていくがクーンの登場によって科学史という要素が加わり、社会や集団からも考えられることとなった。クーンの理論もラウダン、ハッキング、ラカトシュといった科学哲学者によって問題を明確化していったが、1980年代にはそうした活動も衰えを見せ、(線引きとはまったく別の)科学的実在論論争など別の方向へ向かったが、それも1990年代に入ると下火となった。1962年のクーンによる『科学革命の構造』"The structure of scientific revolutions" は、科学哲学の分野で間違いなく最高のヒット作だとされ、発行部数、翻訳言語の数、影響は大きい。トーマス・クーンによれば、反証例のない研究など存在せず、そのような反証もクーンがパラダイムと呼ぶ、理論などを含む科学の規範に適合させられていくことになる。ハンソンが提唱した「観察の理論負荷性」によって説明しており、同じデータでも、人によって解釈が異なるということであり、同じデータが別のパラダイムからは見えなくなっていたりする。パラダイムと別のパラダイムとで共通の尺度を持たないという「共約不可能性」があるため、ある研究は、あるパラダイムからは支持するように、別のパラダイムからは反証するように見えるということである。しかし、適合しない反証が増えると、時のパラダイムは危機を迎え、次のパラダイムが出現する準備が整う。そうして科学革命が到来するのである。クーンの用語ではパラダイムシフトするのである。クーンの登場は科学哲学に決定的な影響を与え、深刻に受け止めたポパー派の科学哲学者は、1965年に国際科学哲学コロキアムの「批判と知識の成長」にてクーンと討論した。ポパーの元で学んだラカトシュ・イムレは、ポパーの反証主義は成り立たないし、クーンのパラダイムも異なるとした。ある時代ごとに科学者の集団を駆り立てている、特定の信念や思い込みやプログラムのようなもの「科学的リサーチプログラム」があり、そのリサーチプログラムには、核(コア)となっている命題「堅い核」(ハードコア)と、その周囲をとりかこむ命題があるとした。そして、科学者の集団というのは、実際にはある実験を行った結果、彼らの意に反して反証された場合、それを素直に認めることはなく、自分たちが信仰している中心的な命題を守りたがるもので、「他の(周辺的な)命題が間違っていたのだ」などと解釈することで、たとえば「実験のほうが失敗だったのだろう」などと解釈したり、アドホックな仮説を付け加えることで、信仰対象の命題を守っている。ラリー・ラウダンは、クーンのいうパラダイムや、ラカトシュのいう核のように固定的であり、変更を許さないような構造は、実際の科学の歴史の中では特定が困難であると指摘した。ラウダンが「研究伝統」と名づける、すべき、あるいはすべきではないを定める思想上の命題の一揃いがあり、それらは理論ではないので確証も反証もできない。諸問題に十分な解決能力をもたらすものがうまくいっている研究伝統であり、科学の進歩は問題解決能力とし、競合している場合には、もっとも問題解決の妥当性がある研究伝統を選択すべきとした。また研究伝統は、かなりの長い間の歴史があるが、理論は短命であることが多い。1983年のラリー・ラウダンによる「線引き問題の逝去」という論文以降は、線引き問題はあまり論じられなくなった。問題解決能力を基準とすれば、疑似科学とみなされる分野も問題を解決しており、ラウダンも科学と疑似科学をはっきり区別するのは不可能だと論じた。心理学的に確認されてきたことは認知バイアスと呼ばれるものであり、すぐに思いついたり、近くにあるものをより高く評価してしまう「利用可能性バイアス」といったものがさまざまに存在する。同調の心理実験は、まわりの人が選択した選択につられてしまうということを明らかにしてきた。また社会心理学における多くの実証的な研究によって、人間というのは集団の場では集団心理というものが働いていて、多数派の意見に追随して安心したい、とか、少数派になることは怖い、という心理的なバイアスがかかり行動・言説が変化してしまうということが明らかにされている。人間関係における力学や、政治的な動機などで、説の「正しさ」が決定されることについては、マイケル・フリードランダーも指摘しており、旧ソ連におけるルイセンコ説を例として挙げている。このケースなどでは、スターリンが“弁証法的唯物論”の証明になる、などという、間違った主義を間違った方法で根拠づけようとする動機でルイセンコ説を保護・優遇し、反対にルイセンコ説の間違いを指摘した科学者はスターリンに弾圧され殺され(粛清され)た結果、当時の学会は支持者で埋め尽くされた、と歴史学者によって明らかにされている。科学者も自分の身が可愛いので権力者におもねった説を支持しがちになる、ということである。20世紀後半には、ベイズ主義が登場した。実証主義の後継者は、仮説を試すための科学実験の中心に確率をおいてきた。確率によるどれくらい起こりうるかという程度を取り入れることは、これまでに論じたような線引きするのをやめるということである。「が起こりやすい」という確率を含む判断は、ポパーが想定した反証の形ではない。そうした理論では、認識と無関係である確率的な性向を根拠とみなすことはなさそうである。しかし現代科学では、仮説を検証するために、頻繁に統計が用いられているし、量子力学の基本法則では統計的であることが避けられないものである。ベイズ主義者は、科学者による確率を心理的に解釈し、信念の度合い、賭けの勝算であるとみなす。主観的な側面に対する懸念については、ベイズ主義は、長期に試行していくことによってもっとも合理的な確率に収束していくと説明する。哲学者の伊勢田哲治は、2003年の『疑似科学と科学の哲学』では、線を引かずに疑似科学を判定するとして、成功している科学とどれくらい統計的に相関するか(数値化して似ているか)を考えることができると提案している。2010年の日本科学哲学会で、ラウダン以降語られていない境界設定の問題を再提起して、実用的(プラグマティック)にベイズ主義を用いるという提案を行っている。集団遺伝学を築いたロナルド・フィッシャーによる統計学(実験計画法)が発展していった。また1955年に偽薬や偽治療によっても心理作用によって効果が出るというプラシーボ効果が発表され、従来認められていた効果が単なるバイアスやプラシーボ効果である可能性が指摘され、観察者にも誰に偽薬を渡したのか分からない計測方法である二重盲検法も行われるようになった。1990年には医学分野で根拠に基づく医療(EBM)が提唱され、よりバイアスを排除できる研究や、複数の文献をもとに評価したものほど科学的根拠が強いとし、科学的根拠の強弱の概念を採用している。こうした統計によって有効性が認められなかった方法や理論は、効果のない疑似科学であると批判されることがある。2000年以降は、医学の分野では根拠に基づく医療(Evidence Based Medicine)が大きく展開され、統計的な有効性といった科学的根拠に基づいた診療ガイドラインが作成されるに至った。現在の文脈では、専門家の意見は最も証拠としては弱いものとされる。ランダム化比較試験によって実際に得られた結果はより高い証拠であるとされ、こうした試験を結合して統計的に解析したメタアナリシスが最も証拠として強い。こうした審査の過程には、文献を網羅的に収集し吟味していくことが含まれる。2011年には、イギリスの科学の理解を促進する団体である科学のセンス()は「根拠を尋ねよう」(Ask for evidence)キャンペーンを行った。キャンペーンは、科学的証拠が公の議論の最前線にあることを確認したり、非科学的な誤情報を修正するために科学者と協働できることを目的としている。キャンペーンの賛同には、イギリス上院科学技術委員会長、王立協会長、ロイヤル統計学会、ロイヤル気象学会、、生物学会、一般微生物学会、オックスフォード大学教授、インペリアル・カレッジ・ロンドン教授、食品基準庁主任、キャンサーリサーチUK、内分泌学会、国立リウマチ学会、多発性硬化症協会、サイエンスライターの賛同がある。2012年4月には、一般大衆による誤情報や曲解、科学についての基本的な理解不足のために団体を立ち上げたTaverne卿は、「根拠(エビデンス)を尋ねよう」キャンペーンも大きな運動となり、団体の立ち上げ当初の2002年の状況では科学者も公衆とはほとんど議論をしたがらなかったが、現在では議論をするための5000人以上の科学者のリストがあるとしている。実際に疑似科学について告発してきたのは、科学出版物の著者であるガードナーや、懐疑論協会を主宰するシャーマーのような人物であるマーティン・ガードナーは1950年ころの著書において、科学/疑似科学の区別について、「区別がむずかしいボーダーラインのケースは常にある」「黒色がさまざまな灰色(グレー)の段階をへて白色に移るという事実がある」と認めつつ、だが「それは黒色と白色の区別がむずかしいことを意味するものではない」と主張した。そして二種類の連続体(連続的に変化する一連のものをグループとして扱う概念)がこれ(=科学と疑似科学の判定)に関係している、と主張した。そして「一つはある科学理論がどれほど証拠によって確かめられるかという実証の度合いだ」と主張した。「この連続対の片方の端には、間違っていることがほとんど確実な理論がある」「連続体のなかほどには、作業仮説として提案されているものの、データが不足しているため賛否両論がたたかわされている理論がある」「連続体のもう一方の端には、正しいことがほとんど確実な理論がある」といったことを主張した。ある理論がどの程度まで確証されているのか、ということに関して、その度合いを決定するというというのは、きわめて困難で専門的な問題であり、実際問題として、ある仮説に対して正確な“確率値”を与える方法などというのはまだ知られていない、とガードナーは述べた。また、ガードナーは第二の連続体として“科学者としての資格の尺度”を主張した。「これにも両極端があって、明らかに尊敬できる科学者から、同じくらい明らかに不適格な人までにわたる」とした。不適格な人(奇人)と呼ぶ根拠になるのは、その理論自体を評価するよりどころになる専門的基準である、と主張した。伝統的な実証主義の科学観に立つ物理学者マイケル・フリードランダーによる、1995年の一般書『きわどい科学 ウソとマコトの境域を探る』 ("At the Fringes of Science") によれば、全ての立場の要求に適いどのような批判にも耐えうる「科学の定義」は存在せず、同様に過去に繰り返された「科学」と「そのまがいもの(疑似科学)」の境界確定の試みも、全ての人の満足を勝ち得たことはない。極端な疑似科学であればほとんどの科学者は比較的容易に見分けることができるが、その周辺には明瞭に峻別できない領域が存在し、科学者でも分類に苦しむ研究報告や革新的な主張が存在する。フリードランダーは、科学者も科学者でない人も往々にしてこうした「シャドーゾーン」の微妙さを忘れがちであると述べている。懐疑論協会を主宰するシャーマー(Shermer, M.)も科学と非科学の間にはグレーな領域があり、白黒に二分するのは馴染まないとし、例えば、鍼灸は境界科学としている。以下は1984年、思想家であるケン・ウィルバーによる指摘である。もし、科学を「機器」を使って立証される知識とするならば、見解は二分される。アインシュタイン、マックス・プランク、エディントンといった物理学者のように、科学と宗教は異なる領域に属しており、宗教は個人的な価値観や信仰でしかないという見解と、実証主義者やフロイトやマルクスのように宗教は非科学的であるという見解である。しかし、一般的な教科書では科学や科学的手法は、経験やデータに言及することで仮説を実験的に検証するという、知識の獲得のための手法だと説明され、非科学は独断的で立証不可能な、非経験的なものである。そして、数学や論理学、心理学は科学と呼ばれており、その検証は「機器」によるのではなく、同様の訓練を受けた他の者によって内的経験に一貫性があるものとして検証されており、これらは心的な証拠に基づくということである。そのため、科学的手法が適用可能な領域が再考されることになり、境界線は科学と宗教との間に設けられるのではなくて、経験的に検証可能な主張と検証不可能な主張との間に設けられるのである。精神の直接的知識を検証することができないという意味での検証不可能な似非宗教は、似非科学と同じように存在している。疑似科学の特徴や傾向について包括的に把握する試みはあるが、過不足なくリストなどに提示することは難しい。以下は提唱された例である。これらは、前述の反証主義を疑似科学と決定する根拠としていたり、現在これを疑似科学を判定する基準とするには時代遅れの様相があることに注意が必要である。1952年、アメリカ合衆国の懐疑論者マーティン・ガードナーは、その著書において、疑似科学者の傾向として以下の5項目を挙げた。原著は1952年初版であり、この分野の古典ともされる。1988年、アメリカ合衆国の心理学者テレンス・ハインズは自著において疑似科学の傾向を以下のようにまとめた:ロバート・アーリックは、疑似科学の主張はデータの扱い方が作為的であり、想定された結論に矛盾するデータの無視、引用文献と異なる結論の導出、データや根拠および研究方法の非公開などといったものが見られるとしている。疑似科学は学界・一般社会の双方に悪影響があるものとして批判されている。その一方で、疑似科学批判を行う者が十分な論証や検討(例えば1990年以降のアメリカにおける臨床比較実験に基く代替医療の吟味のように)を示さず、非科学的・非論理的な「批判」を行うことがあり、これは疑似科学批判としても問題があると指摘されている。それによれば、検証・論証を抜きにした頭ごなしの否定は、否定された疑似科学の主張があたかも真正ながらも不遇の学説であるかのように語られるという、批判者の側からすれば逆の反響を生むことがある。疑似科学の存在によって、無名の研究者が新規性のある成果を発表した際に正しい評価を受けられず、「疑似科学」の一種として片付けられてしまうという弊害が指摘されている。一部の学識者においては、自身の権威付けだけの為に科学的な専門用語をもともとの意味を無視して出鱈目に用いる傾向が指摘されている。よく知られているのは、物理学者のアラン・ソーカルがこのような事態への批判として科学用語を敢えて出鱈目に使用した「疑似哲学論文」を作成し、ポストモダン系の人文学評論誌『ソーシャル・テキスト』に投稿したところ編集者がニセ論文と見抜けずに見事に載録されてしまった(1996年)ことに端を発する「事件」である。ソーカルはその後数理物理学者ジャン・ブリクモンとともに『「知」の欺瞞』(原題:Fashionable Nonsense)を発表し、ポストモダンないしいわゆるフランス現代思想に対し、「用語の本当の意味をろくに気にせず、科学的な(あるいは疑似科学的な)用語を使って見せる」、「人文科学のあいまいな言説に数学的な装いを施して『科学的な』体裁をつくり出すための絶望的な努力」をしていると批判している。これに対しポストモダンにおける科学は比喩に過ぎないという反論もあったが、ソーカル等はジャック・ラカンやブルーノ・ラトゥールによる「自身の科学的記述は比喩でない」という趣旨の発言のある事を指摘し、同時に彼らの言っている「科学」や「数学」が「あまりにも荒唐無稽」である事を指摘している。なお比喩に関しては、ソーカルらは比喩や詩的表現そのものは批判しておらず、「簡単な事を難しく言うために」こうした表現を用いることを批判している。疑似科学は悪徳商法と親和性が高く、例としては金融工学やミクロ経済学に誤った文脈を与えて騙る詐欺やねずみ講や連鎖販売取引(MLM)、あるいは「イオン」などの科学用語を誤用した、あるいはそうした語彙で意図的に粉飾した工業製品が販売されることがある。疑似科学を用いる者には法的には悪意の者(自分で説いている説明が科学的でないことを承知の上で非科学的な説明をして相手に何らかの不利益を与えようとしている者)もいれば善意の者(自らも信じており、それが非科学的とは思っていない者)もいる。また同様に疑似科学は、偽医療の分野に親和性が高く、療法の根拠として使われることがある。世間に広く知れ渡っている医学的俗説の中には、医学的な正当性がないにも拘らず医師がこれを信奉しているものもあるため、不適切な医療行為の原因になる恐れが指摘されている。疑似科学の社会的な悪影響を問題視する場合に、ニセ科学という表現が使われることがある。悪徳商法の手段となっている疑似科学を強く批判し、被害の発生阻止を企図する活動を「ニセ科学批判」と自称・呼称する者もいる。こういった活動の中には名誉毀損や営業妨害として法的紛争に発展するケースもあり、「ニセ科学批判」は一定のリスクを伴う行為であるといえる。一般的に「学者」というと権威的なものと見がちであるが、専門誌などに学術論文を発表し、研究結果が実証されるのはごく限られた一握りで、大多数の学者や医者などは日々の単調な診療や研究の業務に忙殺されている。見解や討論になると職業的な立場から専門知識を用いた難解で無味乾燥な説明になる側面がある。科学者による不正行為、例えばデータの捏造などによりデッチあげられ、科学雑誌・専門誌などで流布したウソの知識というのは疑似科学であるとマイケル・フリードランダーらによって指摘されている。例えば、ジョン・ダーシーという医学研究者は、エモリー大学とハーバード大学の医学部に籍を置いていたが、ダーシーが基本的なデータを捏造していることに、同僚数名が1981年に気づいた。ハーバードの科学者たちは、ダーシーを傑出した才能の持ち主と考え、彼についてなされた告発を頭から否定していた、という。この件は『ネイチャー』において、ウォルター・スチュアートとネッド・フェダーによって告発された。別の事例では、スティーヴン・ブローニングは、知的発育の治療のための医薬品についての研究について連邦研究資金の申請を行った際にデータを偽造したことで訴追され、罪を認めた。実験室を訪問した者が、個別のテストの値がどれもあまりに一致していたことから疑問を抱き、国立精神衛生研究所(NIMH)の調査により、ブローニングが実験結果を自分ではよく承知していたうえで、データをねじ曲げていたことが突き止められた。1952年の著書で言及されているもの。近年における根拠に基づく医療の提唱以前のものである点に注意が必要である。(日本語訳版)
出典:wikipedia
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