宮脇 檀(みやわき まゆみ、1936年2月16日 - 1998年10月21日)は、建築家、エッセイスト。男性。洋画家宮脇晴とアップリケ作家の宮脇綾子の子として愛知県名古屋市で生まれた。1954年東京芸術大学入学、担当教授は岡田捷五郎、吉田五十八、吉村順三。病気のため1年休学ののち1959年卒業。東京大学大学院に入学、芸大時代から都市計画に興味を持ち、東京大学では高山英華研究室に所属。在学中、石津健介の依頼で帝人メンズショップの設計を行い、その設計料で車を買って2か月かけて日本一周。全国の集落を見て、その美しさに感激する。その経験がのちのデザインサーベイ、住宅地の全体計画の仕事につながってゆく。代表的な建築作品に打放しコンクリートの箱型構造と木の架構を組み合わせたボックスシリーズがあり、「松川ボックス」は1979年に第31回日本建築学会賞作品賞を受賞した。また住宅地の全体計画においては、単体の住宅ではなく、その集合の在り方、街並みとしての景観の作り方、コミュニティーの在り方、車と歩行者の共存を考え、クルドサック、ボンエルフなどの考え方を取り入れた。同世代で関西で活躍していた建築家、都市計画家水谷頴介と親友関係にあった。水谷が顧問を務めていた都市計画コンサルタント、株式会社コー・プランが阪神淡路大震災による被害を受けた際、食料等を東京から自ら届けている。また社屋の再建の設計は、宮脇が勤めている。法政大学、東京大学、共立女子大学等の講師、日本建築家協会理事、東京建築士会評議員、日本建築学会委員を務めた。大学院時代の日本一周旅行で、日本の集落をつぶさに観察し、その美しさに感動した宮脇は、その個人的な感動をその基盤がどこに存し、どのように分析する方法があるのかを模索していた。また、伝統的な街について語るとき、感覚的な印象論・抽象論か、歴史学的な文献分析で終わってしまうもどかしさに対し、少なくとも町が僕たちに与える感動の実態を客観かつ実証的に解明することが必要である、とも語っている。1965年の夏にオレゴン大学が金沢幸町の調査を行い、その抄録が「国際建築」1966年11月号に掲載されて、伊藤ていじはその巻頭論文として「デザイン・サーベイ方法論考」を書いている。1964年に法政大学工学部建築学科の非常勤講師となっていた宮脇は、それに触発されるように1966年には、ゼミの学生の卒論のテーマとして、倉敷のデザインサーベイを行う。以降、8年間で日本の伝統的な集落9カ所のデザインサーベイを行った。従来のフィールドワークが建築単体、もしくは集落の狭い部分を対象としていたのに対して、デザインサーベイの概念は、ある目的を持って集落全体、もしくはそれに準ずるひとつの共同体を実測し、それらを図化することによって視覚的な資料を作成、そして分析する手法と言える。宮脇ゼミのデザインサーベイは、一貫して集落の構造と景観を分析するための客観的資料の作成と言うスタンスを取ってきた。これらの成果は次の本にまとめられた。「日本の伝統的都市空間」(中央公論美術出版)、「実測術」(学芸出版社)
出典:wikipedia
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