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瀬谷駅

瀬谷駅(せやえき)は、神奈川県横浜市瀬谷区瀬谷四丁目にある、相模鉄道本線の駅である。駅番号はSO13。島式ホーム2面4線を有する地上駅。橋上駅舎を持っている。なお、橋上駅舎化以前は南北それぞれに駅舎があり、ホーム間を跨線橋で連絡していた。2012年3月までは相対式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の形を取っていたが、3番線は貨物列車が運行していた頃に待避線として使用されていた。そのため下り列車も待避可能なように、下り線には上り線に転線可能な渡り線が設けられている。しかし貨物列車が廃止されて以降は通常使用されなかった。現在はJR線・東急線とそれぞれ相互乗り入れする都心直通プロジェクト(神奈川東部方面線も参照)に伴い、下り線側に線路を新たに整備して上下線とも待避可能な2面4線にする工事が行われ、2012年4月に新設の下り待避線を新1番線とする番線変更が行われた(旧1番線⇒新2番線、旧2番線⇒新3番線、旧3番線⇒新4番線)。同年4月29日からは本線の改良工事に伴い2・3番線の使用を停止し1・4番線を使用する運用に変更されたが、再整備が完了したことから2013年5月19日より発着番線が2・3番線に再度変更されている。なお特急運行開始時の2014年4月27日のダイヤ改正では1・4番線の旅客利用はされていなかったが、4番線については2015年5月31日のダイヤ改正以降は、平日朝の特急による急行・快速の追い抜きが行われている。駅構内にはVie de France、stationIST(イスト)やファミリーマートといった商業施設がある。戦時中は海軍道路沿いに鉄道の引き込み線があった。その分岐点はかつて当駅から存在していた二ツ橋駅方面に近い位置にあり、横浜市立瀬谷中学校の敷地を通過して海軍道路に通じていた。2007年12月にICカード専用改札機が導入された。神奈川東部方面線構想に伴い相鉄本線に速達列車を運行させる計画のため、上り線のみにある待避線を2010年4月から下り線にも敷設して4線化させる工事を開始した。当駅は昔からホームの2面4線化が想定されており、新駅舎自体に待避線を設ける空間は確保されていたが、列車の編成が長大化したことから線路沿い南側のそうてつローゼンなどを閉店し、また駐輪場を一時移設した上で敷地を確保した。当初は2011年3月に完成する予定だったが、下り待避線の線路と架線を敷設した後は上り待避線を撤去して再整備が行われ、同年夏に構内工事が完成、その後も本線や分岐線を撤去しつつ再整備を行っており工事は継続され、2013年12月をもって整備は終了した。2014年度の1日平均乗降人員は43,630人であった。近年の1日平均乗降・乗車人員推移は下表のとおり。戦後しばらくの間は、商業施設は南口のスーパーマーケットなどが主であり、貸し自転車店や風呂桶店があった。金融機関は横浜南農協と瀬谷郵便局だけであった。北口は戸塚区役所瀬谷支所・横浜市立瀬谷小学校・横浜市立瀬谷中学校・瀬谷消防署・瀬谷北郵便局などが主だった施設であった。昭和40年代後半になると、金融機関は南口に横浜信用金庫、北口に横浜銀行が出店し、その後北口にも八千代信用金庫(現・八千代銀行)、南口にも静岡銀行(その後撤退)が進出した。スーパーマーケットは北口に西友(2006年閉店)が出店し、南口の相模鉄道資材置き場跡地にも相鉄ストア(現・そうてつローゼン)が出店した。昭和50年代には北口にバス乗り場が設置され、相模鉄道バスは細谷戸団地行、神奈川中央交通は戸塚駅東口行、鶴間駅行、原町田行の路線が乗り入れていた。また、家電量販店チェーンであるダイオー(現・ラオックス)も開店した。1983年に放映されたフジテレビ系列の連続ドラマ『早春スケッチブック』の舞台となった希望ヶ丘駅周辺と共に、主人公の一人である望月省一(河原崎長一郎が演じた)が八千代信用金庫瀬谷支店の渉外課長という設定で、同支店と北口広場でロケ撮影が行われた。他には、南口から少し離れた厚木街道沿いにある洋食レストラン「シオタ」でもロケ撮影が行われた。1988年に事業計画決定された再開発は、瀬谷駅北地区については店舗が少ないこともあって順調に進み、4棟のマンションなどが完成した。スーパーマーケットは、1999年にマルエツ、翌2000年にユータカラヤが出店した。また、1998年には相鉄駐車場ビルが完成した。1階がバス・タクシー乗り場になっている。北口からは、神奈中バスが立場バスターミナルまでいずみ野線いずみ野駅経由で毎時3本運行されている。また、八幡神社前・鶴間駅東口・マークスプリングス行のバスも運行されている。相模鉄道バスでは2007年12月に細谷戸線からの路線撤退を発表し、翌2008年8月16日に神奈川中央交通へ移譲した。2009年4月より北側(元・ダイソーから宝くじ売り場付近)に地上3階建ての商業ビルを建設し、2010年7月1日に「スマイルストリート瀬谷」(管理:相鉄ビルマネジメント)としてグランドオープンした。一方、南口は権利関係が絡んで再開発計画は遅延しているものの、1棟のマンションが建設される予定である。2005年の環状4号線の部分開通で跨線橋が仮設(仮高架化)され、交通量は増加傾向にある。駅周辺の観光資源として瀬谷八福神がある。年始になると、その窓口としてスタンプブックの販売なども行われる。かつてはそうてつローゼンも立地していたが、2010年に閉店した。1950年代後半に横浜市は瀬谷の市街地造成を打ち出したが、上瀬谷通信施設周辺の工場化・住宅化を嫌った在日米軍が基地周囲に電波緩衝地区の設定を要求、1959年には当駅を含む極めて広範囲に電波規制と建設規制が布かれた。冷戦終結後の1994年に電波規制が解除されると当駅周囲の再開発が行われ、北口の再開発(1988年事業計画決定・2000年事業完了)は一部地域を除きほぼ完成した。一方で南口の再開発(1988年事業計画決定)は遅延している。2000年代に入ってからは一部商店が閉店し、跡地が駐車場・駐輪場となった箇所も見られ、北口や環状4号線沿いの賑わいに比べて活気がなくなっている。開業時の駅の所在地「鎌倉郡瀬谷村大字瀬谷」から。なお、瀬谷の地名の由来については「瀬谷区#地名の由来」を参照のこと。相模鉄道では将来的に地下駅化する構想もあり、瀬谷区のマスタープランによると、「半地下計画」とされている。当駅 - 三ツ境駅間には、1960年まで二ツ橋駅が存在していた。

出典:wikipedia

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