LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

公証人役場事務長逮捕監禁致死事件

公証人役場事務長逮捕監禁致死事件(こうしょうにんやくばじむちょうたいほかんきんちしじけん)とは、オウム真理教が1995年(平成7年)に当時目黒公証役場事務長だった男性(以下、事務長)を逮捕(拉致)・監禁し、殺害・死体遺棄した事件。一連のオウム真理教事件のひとつ。被害者となった事務長の妹は、1993年(平成5年)10月頃にオウム真理教に入信し、これまでに数千万円を教団に布施していた。ところが教団は、被害者の妹の所有物となっている「目黒公証役場」の土地・建物(当時の時価で2億7千万円)を含めた全財産も布施して出家するように強要したため、オウムから逃げ出し、目黒公証役場事務長である被害者に匿われることになった。1995年(平成7年)2月28日午後4時半ごろ、東京都品川区上大崎の路上で、目黒公証役場から出てきた事務長を信徒らがワゴン車に連れ込んで拉致、山梨県西八代郡上九一色村(現:南都留郡富士河口湖町)のサティアンに連れ込んだ。教団は麻酔薬のチオペンタールを投与することで、事務長の妹の居所を自白させようとしたが果たせなかった。そこで麻原彰晃は、拉致実行犯の一人に事務長を絞殺させることとし、「(被害者を)ポアさせることによって(実行者)に徳を積ませる」と称し、東京からサティアンに呼び戻すことになった。その間、事務長は麻酔薬を過剰に投与されたため、3月1日午前中に死亡した。午後になって麻原指名の実行者が到着し、既に死亡したことを知らせずに被害者の首を絞めさせた。遺体は教団信者数名がマイクロウェーブを応用した焼却炉で焼却し、骨や灰は細かく砕いて本栖湖に流して死体遺棄をし、証拠を隠滅した。麻原は中川らに報酬として、おはぎとオレンジジュースを渡した。麻原は被害者死亡の報を聞き、「被害者は前世で俺の弟子だった。前世でポアしてくれと請願されて、約束を果たした。」と嘯いたという。3月4日にこの事件が明るみに出た。教団は名誉毀損で最初に報道した朝日新聞社を訴えたが、他のマスコミも朝日に追随し大々的に報道した。3月18日にはこの事務長の名を冠した団体の主催による1万人集会が開かれている。警察は拉致される瞬間を複数の民間人が目撃していたことを受けて捜査を開始し、拉致に使用したレンタカーの書類からオウム信者の1人の指紋が採取され、さらにレンタカーから松本の指紋と被害者の指紋と血痕が確認されたことにより、警察がオウム真理教が凶悪事件に関与していたことを確定的に認識する初の事件となった。3月22日に警視庁は拉致監禁の容疑で教団本部に強制捜査に入った。これは、地下鉄サリン事件の2日後だった。目黒公証役場事務長の死亡については、誘拐罪と殺人罪ではなく逮捕監禁致死罪と死体損壊罪で立件されている。事件の中心人物の1人である井上嘉浩が、2011年夏に事務長の長男に関係者を介して手紙を出し、これまで事務長の死因を麻酔薬の副作用と述べていたがそれは事実ではなく、医師(当時)の共犯者が故意に殺害した可能性がある、との内容を告げた。しかし、捜査機関は特に対応しなかった。その後、2012年1月と6月に逃走中の共犯者が逮捕されたため、本件に対する捜査が再開された。しかし、井上の新主張を裏付ける証拠はなく、当の医師や他の共犯者は軒並み井上の新主張を否定。井上が事件発生から16年以上経って自らの過去の証言や供述を覆したこともあり、捜査機関の認定は、麻酔薬の副作用による死亡ということで変わらなかった。新たに逮捕された共犯者の裁判員裁判の判決でも、同様の認定となった。井上が新主張を行った理由については、事務長の長男が「これまでの説明とあまりにも違い、すべてを信じることはできない。再審のための証言ではないかと受け止めた」と語っているとおり、医師の共犯者が井上と無関係に被害者を殺害したのであれば被害者に対する井上の責任は軽くなるため、再審請求が目的だったのではないかと指摘する報道も存在する。オウム真理教犯罪被害者等を救済するための給付金の支給に関する法律における給付金支給対象事件に指定されている。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。