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コニカ

コニカ株式会社("Konica")は、かつて存在した日本のカメラ、写真用フィルムメーカー。2003年のミノルタとの合併により、現在はコニカミノルタとなっている。杉浦六三郎(のちの6代目杉浦六右衞門)が1873年に、東京麹町で薬種問屋小西屋六兵衛店を立ち上げ、写真関係商品や石版印刷材料の販売を開始したことに始まり、のちに小西六写真工業株式会社へと発展し、1987年にコニカ株式会社と改称した。1903年、国産初の印画紙を発売、1940年11月3日には国産初のカラーフィルムであるさくら天然色フヰルム(後のサクラカラーリバーサル)を発表。日本の写真用カメラフィルムのトップブランドの1つとして成長した。また東京都新宿区にある新宿中央公園の区民の森は、1902年に、乾板・印画紙の工場である「六桜社」が設けられた場所であり、記念碑として写真工業発祥の地が建てられている。戦後の国内シェアは、さくらカラー(後に「サクラカラー」に表記変更)が富士写真フイルム(現・富士フイルムホールディングス)のフジカラーを圧倒する状態が続いた。しかし、1970年代に入ると圧倒的な広告費を投入して知名度を向上させたフジカラーが逆転、サクラカラーはその後、コニカカラー、コニカミノルタカラーフィルムを経て事業撤退するまでの間ついに首位の座を奪いかえすことはできなかった。1987年に日本以外でのブランド名であるコニカに統一し、社名もコニカ株式会社に変更。フィルムもサクラカラーからコニカカラーに商標を変更した。この際、コーポレートカラーを赤色(朱色)から青色(コニカブルー)に変更している。コニカミノルタ東京サイト日野(旧 日野事業所)の所在地東京都日野市「さくら町」の名はこの場所で上記のさくら天然色フヰルムを生産していたことにちなんで命名されたもの。2006年、写真フィルム・レンズ付きフィルム・感材(印画紙・薬品)を含めたDPE分野の事業を大日本印刷(DNP)に譲渡して撤退し、コニカブランドのフィルムは事実上消滅した(その後2009年にDNPも生産を打ち切ったため、完全にフィルム製造およびフィルム販売事業から撤退した)。コニカは銀塩フィルムの最大手として、映画用フィルムの製造も手がけた。かつてカラー映画用フィルムはテクニカラー(TECHNICOLOR)・システムという方式が世界の主流であった(現在も著名)。これはプリズム分解式のカメラで3原色ごとに3本のモノクロフィルムを使って撮影し、プリントの段階でカラー化するという、後のテレビカメラに通じる方式だが、フィルムのコストとプリント工程が増加するという欠点もあった。これに対し、1942年に小西六はフィルムの記録面を3層にし、1本のフィルムを3工程で現像することによりカラー化する「コニカラー・システム」を開発した。当時にあっては画期的なシステムだったが、時局柄世界に広まることはなかった。しかし日本映画界には歓迎され、映画界と2つの車輪となってシステムの完成に尽力した。しかし1951年に富士写真フイルムが1本のフィルム・1工程現像の映画用カラーリバーサルフィルムを発売したことで、コニカラー・システムの優位性は覆されてしまい、以降コダックと富士フイルムの世界を二分する商戦の中で埋没していくことになる。家庭用を主体とする8ミリフィルムでは、富士フイルムとの対立から当初コダックのスーパー8陣営についた。「世界で通用するコニカのスーパー8」をキャッチコピーに拡販を狙うが、スーパー8に因縁のある富士フイルムのシングル8の徹底した世界展開により優位性は得られなかった。カメラの製造販売にも力を注ぎ、1903年には国産初の商品名を持つカメラ「チェリー手提暗函」を発売。戦前から「ミニマムアイデア」、「パール」シリーズや「パーレット」シリーズ、「リリー」シリーズなどの大衆~上級者向けの高品質カメラを数多く作り名を馳せた。戦後は「コニカI」から出発。フィルムメーカーという商品戦略上の理由もあり、基本性能を生かしたまま誰でも扱いやすい製品群が生み出された。一例がフラッシュを内蔵しシャッターを押すだけで誰でも簡単に写真が撮れる「ピッカリコニカ」、世界初のオートフォーカス機構を採用した「ジャスピンコニカ」であり、日本中の家庭にコンパクトカメラが浸透するきっかけを作った。また記録写真用に特化された「現場監督」(防塵防水ボディ採用で、精密機器でありながら汚れたら水洗い出来る)で知られるコンパクトカメラや、ワインダーを内蔵した一眼レフカメラFS-1等後に主流となる機能・機構を盛り込んだ数多くの名機を世に送り出した。写真愛好家の中では「ヘキサー」「ヘキサノン」レンズのブランド名で馴染みがある。2000年代初めからはコンパクトデジタルカメラとしてDigital Revioシリーズ(RevioはもともとAPSカメラの商標名で、のちにデジタルカメラのシリーズが投入されたが、末期にはデジタル機も単に「Revio」として発売された)が投入されたが、フィルム事業にも影響しかねない分野だけに集中的な開発は行われず、後にミノルタと合併した際にはデジタル現場監督と一部の銀塩コンパクトカメラのみを残して先方の商品群に飲まれ、姿を消すこととなった。2006年1月19日、コニカミノルタホールディングスは同年3月末に写真フィルムからレンズ・カメラに至る全ての写真関連分野から撤退することを発表した。「α」ブランドを含むデジタル一眼レフカメラについては先に提携を発表していたソニーに譲渡し、同時期をもって長年続いたコニカのカメラ事業は幕を閉じた。他の商品としては「U-bix」ブランドの複写機シリーズがあり、1980年代にはマグナックス("Magnax" )というオーディオブランドで音楽用カセットテープも手がけ、その後もコニカミノルタへの統合までコニカブランドでカセットテープ・ビデオテープの販売を行っていた。2003年4月1日に事業子会社を設立し持株会社化した。同年8月には写真機・複写機大手のミノルタを完全子会社化しコニカミノルタホールディングスを発足させた。同年10月1日、ミノルタ株式会社をコニカミノルタホールディングスに合併させて、その事業をコニカミノルタホールディングスの事業子会社に分割した。この結果、写真フィルム事業は以下のように再編された。2013年4月1日にグループ内の再編に伴ってコニカミノルタエムジーとコニカミノルタビジネステクノロジーズを含む事業子会社7社をコニカミノルタホールディングスへ合併。事業会社となった同社はコニカミノルタ株式会社に商号変更した。本節の出典は、特記ない限り、コニカミノルタホールディングス株式会社 有価証券報告書 ‐ 第107期(平成22年4月1日~平成23年3月31日)第一部「企業情報」 / 第1「企業の概況」 / 2「沿革」。

出典:wikipedia

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