『三省堂国語辞典』(さんせいどうこくごじてん)は三省堂が発行する国語辞典の一つ。三省堂による略称は『三国』(さんこく)。第7版の収録項目数は約8万2000(見出し項目が約7万6600、「派生」などの関連項目が約5400)。初代編集主幹は見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)。見坊の採集した広範で膨大な日本語の用例がこの辞書を支えている。共著者には、金田一京助・金田一春彦(初版から)、柴田武(第2版から)、飛田良文(第4版から)らがいる。山田忠雄も初版から第2版まで共著者に名を連ねたが、第3版以降は編集から外れた。これは、山田が見坊の業績である『明解国語辞典』を元に、見坊とは別に『新明解国語辞典』の編集を始めたことで、感情的なしこりが生まれたためと考えられる。第4版刊行後に見坊が死去した後、編集委員には変遷があり、第7版では市川孝・飛田良文・山崎誠・飯間浩明・塩田雄大が参加している。新語・カタカナ語・日常の語を含め、新しい言葉に広く目配りし、収録している。新しく発生した意味も他の辞書にさきがけて収録している場合が多い。街やマスコミなどで目や耳に入ることばとその意味を網羅しようという方針である。衣服や料理など、庶民生活に関する項目が詳しいのも特色である。また、だれにでも分かるような簡明な語釈の文体も独特である。たとえば、「水」を、別のある国語辞典では、学術的に、「無味・無臭・無色・透明の液体……化学式HO 1気圧のとき、99.974℃以上で水蒸気になり……」と説明する。一方、『三国』では、ごく平易に、「われわれの生活に なくてはならない、すき通った つめたい液体。海・川・雨・雲などの形をとって あらわれる」と記す。国語辞典は百科事典ではなく、言葉を説明する書物であるという、主幹・見坊の考え方による。語釈の中で、特に『三国』らしい言い回しとしては、「金銭」「……さま。」と言わず「おかね」「……ようす。」と表現することなどがある。見坊は、すでに小型辞典『明解国語辞典』(1943年初版、1952年改訂版)の実質的編纂者として業績を残していた(ただし、表紙の監修者名は金田一京助)。1959年6月、この『明解国語辞典』を基礎として、新たに、中学生を含む広い利用者層を想定した『三省堂国語辞典』の編集に着手した。1960年10月に校正を終え、同年12月に初版が刊行された。初版の項目数は約5万7000であった。その後、想定する利用者は一般にまで広げられた。項目数も第2版(1974年)で約6万2000、第3版(1982年)で約6万5000、第4版(1992年)で約7万3000、第5版(2001年)で約7万6000、第6版(2008年)で約8万、第7版(2014年)で約8万2000と、長い間に大きく増えている。『三省堂国語辞典』を編纂するために、見坊が行った用例採集の規模は並大抵ではない。彼は初版刊行と同時に、新聞・週刊誌・放送など、あらゆる日本語の資料から辞書に載せるべき語を独力で探索し、カードに記した。その数は、第4版刊行直前に、実に145万語(延べ)に達した。見坊は、辞書編纂当初は国立国語研究所に勤務していたが、全生活を現代語の用例収集に充てるため、1968年に同研究所を退職した。以後の人生は、ほぼ『三国』に捧げたと言って過言ではない。一般に、辞書は、先行する辞書の項目を少なからず参考にして編纂される。これは、ともすると、単なる先行辞書の引き写しに堕する危険がある。ところが、見坊の場合は、『三国』の初版にない言葉を、次回以降の版で補うにあたって、実際の新聞・週刊誌・放送などから直接採集した。このことが、多数の独特な項目(次節参照)を立てることにつながった。なお、用例カードは見坊の死後、遺族から三省堂に譲られたが、その後、特に活用されることもなく、八王子市の同社資料室で保存されている。しかし、用例データベースは用途に合わせて設計・構築する必要があり、別の辞書・別の編者が活用することは困難とみられる。『三省堂国語辞典』が、いち早く新しい語や用法を取り入れた例を、以下に若干挙げる。なお、これらのうちには、後に他の国語辞典も採用するようになったものも含まれる。(『三省堂国語辞典』の前身)発行日は並版による。小型版の発行日は異なる場合がある。
出典:wikipedia
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