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PUFFY

PUFFY(パフィー)は、日本の女性ボーカルデュオ、ユニット。メンバーは大貫亜美と吉村由美。1996年に奥田民生プロデュースのシングル「アジアの純真」でデビュー。力の抜けた自然体のスタイル、親しみやすいキャラクター、ハイクオリティな楽曲が特徴。2000年にSXSWに出演、2002年にPuffy AmiYumi名義で北米ツアーを行い、2004年にはPUFFYをモデルにしたアニメ『ハイ!ハイ! パフィー・アミユミ』が全米でブレイクし、世界110カ国以上で放送される。2016年にデビュー20周年を迎える。1994年、SMAに所属する大貫亜美と吉村由美が出会い、1995年にユニットを結成。同事務所の奥田民生プロデュースの下、1996年5月にCDデビュー。デビューから4連続でミリオンヒットを飛ばし大ブレーク。また、同年の新人アーティストで最高の売上を記録。二人のキャラクターと音楽性はデビュー当時から異彩を放ち、他のアジア各国でも人気を得て、2002年には北米でもCDデビューしツアーを行う。2004年、二人をモデルにしたアニメ番組『Hi Hi Puffy AmiYumi』が全米でスタートし、現在まで、世界110カ国以上で放映されている。しかし活動拠点はあくまで日本であり、毎年全国ツアーを回り、国内外問わず多くのイベントやフェスに参加するなど、積極的なライブ活動を行っている。東京都出身の大貫亜美は、高校在学中に結成したバンドのデモテープを、「落選通知を受け取るために」 ソニー主催のオーディションに送った。結果は意外にも合格であったが、メンバー全員乗り気でなかったため解散。志望職種であったCAを目指して外語専門学校に進学したが、彼女の声質に魅力を感じたソニーのスタッフに説得され、外語専門学校に通うかたわら歌唱指導を受けるなど、ソロ歌手としてデビューの準備を進めていた。同じ頃、大阪府出身の吉村由美は高校を中退してアルバイトを転々とする、フリーターの生活を送っていたが、彼女の優れた容貌を惜しんだ知人によって(賞金目当てであったとしばしば発言している)、ソニー主催のオーディションに応募させられ、亜美同様、意外にも合格した。どのような芸能活動を行いたいか、というソニー側の質問に何となく「歌手」と答えた由美は、SMA所属のアーティストとして上京し、ボイストレーニングなどを受けた。1994年、事務所で初めて対面した亜美と由美は、双方の内気な性格から当初は打ち解けず、由美が年長の亜美に敬語で対応する関係がしばらく続いた。しかし、思いもよらぬ芸能界入りという同じような境遇にあった二人は、徐々に友情を深め、由美が亜美の実家に出入りするまでに親密な関係となった。ソロデビューに不安を抱えていた亜美は事務所に由美とのデュオを提案し、すでに亜美のソロ音源が録音されていたにも関わらず、すんなり受け入れられた。そこで、亜美のアルバム製作に携わっていた同じ事務所に所属する奥田民生がプロデュース業に関心を示していたことから、二人は彼に託されることになった。結成翌年の1996年5月13日、プロデュースと作曲を奥田、作詞を井上陽水が担当したシングル『アジアの純真』でメジャーデビューし、自身の出演するCMとともに話題となった。ELOに影響された曲調とナンセンスな歌詞を持つこの曲は、何より気さくなユーモアを備えており、それをジーンズにTシャツ姿のパフィーが「自然体」「脱力系」等と評された、力みのないパフォーマンスで表現した。偶然が重なった企画的なユニットであったが、かえって気負いのない二人のキャラクターが、当時全盛であった小室ファミリーとは一線を画す存在として世間に受け、デビュー作にしてミリオンヒットとなった。デビュー後にはPV撮影の為に渡米し、アメリカ大陸を2週間かけて横断した(この模様は『これが私の生きる道』のPVおよびビデオ・フォトブック『RUN!PUFFY!RUN!』に収められている)。その後もアルバム『amiyumi』、2ndシングル『これが私の生きる道』 と相次いで奥田プロデュースの作品を発表し、この曲は翌春の選抜高等学校野球大会の入場曲に使用された。その年の音楽新人賞を、新人としてはPUFFYと人気を二分していたSPEEDとの一騎討ちがあったにもかかわらず、総なめにした。PUFFYのスタイルは、当時の風潮である緊張感や露骨な向上心の対極に位置する物であり、打ち込みサウンドが主流となっていた音楽シーンにおいて1960年代から1970年代のロックやモノラルサウンドが逆に新鮮さを与え、多くの支持を受けたのである。また、プロデューサーの奥田をはじめ豪華な作家陣、有名コレオグラファーの南流石による振り付け、カジュアルではあるが身につけていたジーンズやベルトなどは高価なものと、過剰となりがちな要素をバランス良く消化して自分のスタイルにするセンスが受け入れられ、音楽界のみならず各方面に取り上げられた。さらに二人のユニークで自由なキャラクターをテレビ業界は放っておかず、1997年10月に初の冠番組である『パパパパパフィー』が放送開始された。この番組は、デビュー直後のHEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP(1996年10月28日放送)出演時に、内気な性格と経験不足から何も喋ることができない二人に対し、「その様なことでは、もし冠番組を持ったときにどうするのか」として、司会の予行演習を行わせようとした松本人志が発した架空のTV番組のタイトルを、そのまま採用して生まれたものであった。また、2010年に千原ジュニアが戦場カメラマン渡部陽一を初めて見た際に「初めてPUFFYを見た時と同じ感覚で、この人引っ張りだこになるやろな」と感じたと引き合いに出している。こうした成功は単なる音楽的成功というより、さらに広範な文化的成功と呼ぶべきものであり、日本のみならず台湾等の東アジア地域にも波及した。1997年からアジアキャンペーンを行い、1998年には台湾で発売したCD全てがゴールドディスクを受賞した。1998年、1999年にはツアーの一環として香港・台湾でもコンサートを行った(1999年は台湾大地震により中止)。シングルCDのジャケット等を担当していた、米国のイラストレーター、ロドニー・アラン・グリーンブラットによるキャラクター商品は人気を博した。ツアーグッズは飛ぶように売れ、本人たちもステージで着用したTシャツは偽物が出回るほど爆発的な人気を得た。この時期、二人はドラマの撮影やMCを担当していた朝の生番組、パパパパパフィーの収録と、寝る暇がないほど非常に多忙を極めていたが、レコーディングや全国ツアーなど音楽活動も確実に続けていた。冠番組が4年半に渡り毎週放送されたことは、デビュー時のブームで獲得した認知度を定着させる上で重要な役割を果たし、音楽活動と併せて、PUFFYの活動の両輪とも言うべき重要な位置を占めた。しかし、この番組によって歌手としてのPUFFYの認識が薄れてしまい、現実と世間のイメージに徐々にギャップが生じてしまう事となる。また、PUFFYを直接キャラクター化したものではないが、コナミの音楽ゲーム『pop'n music』のメインキャラクターである『ミミ(ウサギ)』と『ニャミ(ネコ)』は、明らかに亜美・由美2人のキャラ性をモチーフとしている。2000年、米国テキサス州で行われたロック・フェスティバル「SXSW」(サウス・バイ・サウスウエスト)に出演した。この時は「思い出作り(本人談)」のつもりで気軽にライブを行ったが、現地のアメリカ人にウケが良く、また、同じく日本から出演したナンバーガールやロリータ18号のライブに感銘を受け、二人はライブに対する考え方が変化したという。レギュラー番組が終了したのを機に、2002年に初の北米ツアーを行い、『SPIKE』で全米インディーズデビューをした。なお、北米で「Puffy AmiYumi」と名乗るのは、パフィーの愛称を持つラッパー、ショーン・コムズから警告を受けての事である。2003年、米国のカートゥーン・ネットワークのアニメ『Teen Titans』の主題歌を担当した。アメリカのテレビアニメで、日本人がテーマソングを歌うのは異例のことである。また、同局のプロデューサーは二人をモデルにしたアニメの制作をかねてより打診しており、2004年11月、アニメ『Hi Hi Puffy AmiYumi』の全米放送が開始し、それに伴ってアニメの主題歌を含むアルバム『Hi Hi Puffy Amiyumi』で全米メジャーデビューを果たす。他国に概念がなかった"kawaii"という単語が世界に浸透したのは、PUFFYやアニメの登場が少なからず影響している。また、同年公開のアメリカのアニメ実写映画『スクービー・ドゥー2 モンスターパニック』において、 エンディングテーマと劇中挿入歌を担当した。同時期、国内では『SDガンダムフォース』の主題歌を担当、業界初のガンプラ付きCDを発売した。2005年、デビュー時から在籍していたEPICレコードからKi/oonレコードへレーベル移籍した。これはSME内の配置転換である。この年の11月、NYで毎年開催される全米最大の感謝祭行事である「Macy's Thanksgiving Day Parade」に、日本人として初めて参加した。2006年にはデビュー10周年を迎えた。米国での活躍を認められ、国土交通省が中心となって推進する『ビジット・ジャパン・キャンペーン』の重点市場国の一つである米国における観光親善大使に任命された。また、同じくアニバーサリーイヤーを迎えるリプトンの紅茶アンバサダーに任命され、東京スカパラダイスオーケストラとのコラボレーションバンドを結成。6月には『パパパパパフィー』の限定復活番組が放送され、7月から1クールで『Hi Hi PUFFY部』が放送された。2008年、アヴリル・ラヴィーンの東京ドーム公演にゲストとしてライブ出演。2009年7月、アルバム『Bring it!』をフランスでも発売し、パリで行われたJapan Expoにてライブ出演。2010年元日、初のオフィシャルファンクラブ期間限定結成が発表された。6月からファンクラブ旗揚げ公演と称して全国ツアーを敢行、香港で11年ぶり、台湾で12年ぶりの公演も果たし、チケットは完売、衰えない人気を示した。また、NYでのイベント出演に合わせて、『honeycreeper』『Bring it!』を全米配信リリース。2011年にはデビュー15周年を迎え、アルバム『Thank You!』の発売と4月からの全国ツアーが発表された。アニバーサリーイヤーをプロモーションすべく、例年より多くのメディア出演をこなす。2015年11月18日、シングル「パフィピポ山」を発売。サウンドプロデュースをもふくちゃん、作詞を前山田健一、作曲をPandaBoY、編曲を浅野尚志、ミュージックビデオを「スミネム(スミス・夢眠ねむ)」が手がけた。プロデューサーである奥田は、PUFFYがアイドルの様に短期間で消費されてしまうことを嫌い、責任ある姿勢で指導に当たった。二人もまた、こうした彼の人間性とミュージシャンとしての抜きん出た才能を、「先生ちゃん」と呼んで慕った。奥田は、個々のボーカルよりも二人の合わさった声に魅力を感じており、歌い方に関しても『自分のビブラートなしの歌い方を勝手に押し付けたわけですから、二人は大変だったんですよ。二人で真っ直ぐ歌えないと駄目なんで。ごまかしがきかない。日本のいわゆる歌姫と呼ばれる人たちに、PUFFYのようにやれって言ってもできないでしょうね。』と語っている。奥田はPUFFYが特定の指導者に依存することを望まず、1999年のアルバム 『FEVER*FEVER』では、笹路正徳にプロデュースを託し、2003年のアルバム『NICE.』及び2004年のミニアルバム『59』では、アンディ・スターマーがプロデュースに当たった。特に『NICE.』では、彼が全曲を作曲した。デビュー当初、PUFFYは「企画モノ」で終わるつもりであったため、特に目指すべき方向を持たなかった。その後は人気の下降と共に徐々にアーティスト寄りの方向に進み、『NICE.』で一つの到達点を示したことで“キャラクターから脱出し、シリアスになりかけた”。しかし、それを阻止したのはアメリカでの『Hi Hi Puffy AmiYumi』の成功であり、自身のポップ・キャラクターとしての魅力を再確認させられ、二人のやりたい音楽も明確になった。また、デビュー当時より様々な楽曲のカバーを行った経験が、ジャンルに括られないバラエティーに富んだ楽曲を器用に歌いこなす、柔軟性が高いPUFFYとしてのスタイルに磨きをかけていった。『Splurge』以降は、かつての様に複数の作曲者から作品の提供を受け、個々にプロデュースを依頼するといった傾向が続いている。曲の提供は、しばしば奥田やアンディも手掛けるが、アルバムには国内外問わず二人が好きなアーティストにリクエストし、椎名林檎や斉藤和義、チバユウスケ、山中さわおなどは複数の楽曲を提供している。これほど多くのアーティストから曲提供を受ける歌手は珍しく、また他者に楽曲提供をすることの少ない個性的なアーティスト達もクレジットに名を連ねるのは、二人のキャラクターの魅力、ジャンルレスに受け入れる寛容さ、柔軟なボーカルセンスの賜物である。作詞面では、デビュー作の井上陽水による歌詞のイメージで語られることが多いが、初期より二人あるいは個人での作詞も行っており、シングルとしては「たららん/パフィーのツアーメン」(1998年)で初めてPUFFYとしてクレジットされた。2006年に発表した9thアルバム『Splurge』では、ロッキング・オン編集者である兵庫慎司の全曲解説が寄せられ、二人の作詞家ぶりを絶賛している。しかし本人達としては、作詞へのこだわりは一切無く、あわよくば詞曲で提供してもらいたいらしい。全編英語詞のシングルも数曲リリースしている。レコーディングには楽曲ごとに多くの名うてのミュージシャンが参加しており、提供者やそのバンドメンバーが演奏することもよくある。2011年に発表した『Thank You!』では、ライブのバンドメンバーで全楽曲を演奏している。ライブはほぼ固定されたバンドで行い、TV出演やツアーでメンバーが替わることがあるが、リズム隊はデビュー当時からほぼ変わらない。

出典:wikipedia

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