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養命酒

養命酒(ようめいしゅ)は、養命酒製造株式会社が製造販売する薬用酒で、同社の登録商標(第520137号ほか)である。正式な商品名は「薬用養命酒(やくようようめいしゅ)」である。14種類の生薬により、滋養強壮の効能を持つとして販売されている。なお、生薬の内訳は以下の通り。上記の生薬を、日局規定のチンキ剤製法に準じて味醂に冷浸して作られる。他にアルコール、ブドウ糖、カラメルが添加されている(先に挙げた味醂も添加物扱い)。アルコール分14vol%を含有する。なお、血行を促進するため手術や出産直後などで出血中の場合と、アルコールを含有するため乗物・機械類の運転操作を行う場合の服用は禁忌とされている。第2類医薬品(>滋養強壮保健薬>薬用酒)として、薬局やドラッグストア等で販売されている。医薬品医療機器等法と酒税法の両方の適用を受けるため、パッケージに「薬用養命酒」の表示を付けている。2009年末までは、酒類販売業者において酒類(>リキュール類>薬味酒)としての「養命酒」も販売されていた。「薬用養命酒」とはパッケージのデザインが異なっていたが、中身は両者とも同じであった。しかし酒系市場における売り上げが減少の一途をたどったことから、販売が打ち切られている。養命酒は、日本産の薬用酒である。製造元に残る伝承によれば、慶長年間、信州伊那郡大草領(現在の長野県上伊那郡中川村大草)に住んでいた庄屋の塩沢宗閑翁が、雪の中で倒れていた老人を助けた。この老人が塩沢の元を去るときに、礼として薬用酒の製法を教えてくれたものが養命酒の起源だという。1602年、「養命酒」の名で製造開始。1603年には徳川家康に献上され、そのときに「飛龍」の印を使うことが許されたという。日本初の商標ともいわれている。赤穂浪士が養命酒を飲んでいた記録があるほか、1774年刊行の小説、『異国奇談和荘兵衛』に養命酒が登場している。長らく塩沢家で製造されてきたが、1923年には製造元が会社組織になった。東京への進出当初は全く売れなかったが、広告を出した所反響が大きく、一気に販売量を増やしたと言われている。1930年に東京で本格的に養命酒を売り出そうとした時に試飲した東京の酒類販売業者たちは「こんなものが売れるものか」と大笑いしたという。しかし徐々に売り上げを伸ばし33年後の1963年の東京での売り上げは発売開始初年度の約80倍にまで膨らんでいた。日本国外に知られるようになったのは、海軍大将の山本五十六が養命酒の愛飲家で、ロンドン海軍軍縮会議に参加する若槻禮次郎全権大使に同行した際に持っていったのがきっかけと言われている。その後、中国やマレーシア、シンガポール、ブラジルなどに輸出するようになる。タイ王国では、味・効能とも非常によく似たが現在も販売されている。戦後は、『週刊少年サンデー』や『週刊少年マガジン』などの少年少女向けの漫画雑誌にも一時、広告を出していた事があったり、自動車のおもちゃなどの付録をつけて児童に向けても販売していた。当時は虚弱体質の子供が多かったため、滋養用によく「養命酒」が飲まれていたからだとされる。ただ、アルコールを含み、かつて酒類としても扱われていたことを踏まえると、子供の服用は控えるべきものと言える。事実、現在の「薬用養命酒」の用法・用量は成人のみと表示されている。

出典:wikipedia

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