第十三号型駆潜艇は大日本帝国海軍が運用していた駆潜艇の艇級。15隻が建造され、太平洋戦争によって9隻が失われた。1939年(昭和14年)のマル4計画で4隻の建造が計画され、翌年11隻の追加建造が決まった。就役開始は1940年(昭和15年)からである。沿岸防備を目的として建造されたため、排水量は少なく外洋向けの船ではなかったが、太平洋戦争の勃発に伴う護衛艦艇の不足によって,外洋を航行する船舶の護衛任務も行うこととなった。対空装備は貧弱で、計画時は高角砲1門と13mm連装機銃1基のみである。後に、25mm機銃などの増設が行われたものの、喪失艇のほとんどは航空攻撃によって失われている。武装は、防盾なしの高角砲を前甲板に配置し、後部甲板は爆雷装備となっている。第二八号型駆潜艇は本艇の艦尾形状を変更し、また量産に適するよう簡略化したものである。各艦によって若干の違いがあるが、1944年(昭和19年)8月の第18号駆潜艇を例にすると艦橋前方と煙突前方に25mm単装機銃が合計3挺増備された。また探照燈が前方に移設され、その位置に22号電探1基が装備された。対潜兵装としては九四式爆雷投射機2基が推定されている。また開戦時より各艦には舷外電路が装備されていた。
出典:wikipedia
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