ケネス・スコット・ロジャース(Kenneth Scott Rogers , 1964年11月10日‐)は、メジャーリーグベースボールの元選手。ポジションは投手。アメリカ合衆国ジョージア州サバンナ出身。ニックネームは「The Gambler」。のドラフトでテキサス・レンジャーズから39巡目に指名され入団。高校時代は家の農場の手伝いなどで、まともに野球に打ち込んだのは3年時の1年だけで、外野手だったが投手へ転向した。怪我などもあり、メジャーデビューはプロ入り8年目の4月6日。この年、リーグ3位の73試合に登板し、防御率は2.93。新人選手としてはメジャー最多の登板数となった。4月9日にメジャー初勝利を記録し、7月20日にメジャー初セーブを記録した。はジェフ・ラッセルの故障により、6月以降クローザーとして起用され、チーム最多の69試合に登板し、15セーブを記録した。リリーフとして9勝(リーグ3位)を挙げ、左投手としての球団記録となった。はリーグ最多の81試合に登板したが、に先発投手に転向し、チーム最多の16勝を挙げ、防御率4.10。7月28日のカリフォルニア・エンゼルス戦でMLB史上12人目の完全試合を達成。は自己最多の17勝を記録し、ロジャース自身が持つ左投手としての球団記録を更新した。5月には4試合連続無失点に抑え、39回連続無失点を達成した。これはチャーリー・ハフの36回連続無失点(1983年)を上回る球団新記録となった。オールスターに初めて選出され、1回を2三振、無失点に抑えている。にFAでニューヨーク・ヤンキースと4年総額2,000万ドルで移籍した。シーズンは12勝8敗を記録し、防御率は4.68。ロジャースは初のポストシーズンとなった。4試合に登板し、防御率14.14で全くの期待外れとなったが、チームは18年ぶりにワールドシリーズを制覇した。は開幕から不調で5月27日から6月15日にかけての5試合の防御率は8.87。6月22日には4年ぶりにリリーフとして登板した。8月5日に先発に復帰したが、この年の成績は6勝7敗・防御率5.65と1993年に先発転向後最悪の成績となった。一度ケガを隠して先発登板したためジョー・トーリ監督の信頼を完全に失い、ポストシーズンでは登板機会がなかった。11月7日に1998年と1999年の年俸の半分をヤンキースが負担し、スコット・ブロシアスとのトレードでオークランド・アスレチックスへ移籍した。はチーム最多の16勝、防御率は3.17(リーグ3位)を記録し、8月20日には通算100勝を達成した。守備ではMLB最多の66補殺を記録し、ア・リーグでは1977年にジェリー・ガーヴィンが66補殺して以来の多さである。7月23日にニューヨーク・メッツにトレードされ、にレンジャーズに復帰。この年は13勝をあげ、ゴールドグラブ賞を4年連続で受賞中だったマイク・ムッシーナに代わり初受賞。翌は怪我により7月17日の登板を最後にシーズンを終え、5勝7敗・防御率6.18の成績に終わった。はチーム最多の13勝を挙げ、通算10回目の2桁勝利となった。はミネソタ・ツインズへ移籍。1月14日に2年総額600万ドルでレンジャースに復帰した。9回当たり6.85点(リーグ4位)の打線の援護もあり、自己最多の18勝を挙げ、投手としてリーグ史上最高齢で3回目のゴールドグラブ賞を受賞した。は4月27日から6月17日にかけて9連勝し、その間に球団史上3番目の長さとなる31回連続無失点を達成している。オールスターまでに10勝4敗・防御率2.54の成績を残し、3回目のオールスターに選出されたが、6月に地元テレビ局のカメラマンに暴行し、怪我を負わせたため、ブーイングを浴びた。それ以後の後半戦は4勝4敗・防御率4.72だった。から2年総額1600万ドルの契約でタイガースに移籍。移籍してからは若い投手のまとめ役、相談役としてリーダーシップを発揮。苦手だったメディアとも積極的につきあうようになった。6月18日に通算200勝を達成。40歳代で2度目の14勝以上を達成(MLB史上10人目)。チームは19年ぶりのリーグ優勝。2005年までのポストシーズンの成績は0勝3敗、防御率8.85と苦手にしていたが、10月6日のヤンキースとのディビジョンシリーズ3戦を7回・2/3を無失点。 ランディ・ジョンソンとの史上初の40歳代対決に完勝し、続くオークランド・アスレチックスとのリーグチャンピオンシップシリーズ第3戦でも7回・1/3を無失点に抑え勝ち投手となった。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズ第2戦では8回を無失点で勝ち投手となった。チームは第5戦で敗退。ワールドチャンピオンになれなかったが、ポストシーズンで23イニング連続無失点を記録し、これを上回ったのはクリスティ・マシューソン(1905年、27回連続無失点)しかいない。シーズン終了後FAを宣言したが、代理人のスコット・ボラスを解雇し、自ら交渉し、1年800万ドルで残留。5月9日に92回目の牽制で走者をアウトにし、マーク・ラングストンを抜きMLB史上最多記録となった。若い頃は速球派だったが、晩年はベテランらしいカーブとチェンジアップを駆使した投球術が光った。元野手だけあってフィールディングも軽快で、ゴールドグラブ賞を5度受賞している(2000年、2002年、2004年 - 2006年)。
出典:wikipedia
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