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日産・サニー

サニー("SUNNY" )は、日産自動車が1966年から2004年まで製造・販売していた自動車(大衆車)。本項目ではサニーシリーズの基本型となるセダンを中心に記述する。また、この項目では以下のモデルについても便宜上記述する。なお、2010年より中国を皮切りに発売されている新型サニー(日本名・ラティオ(2代目)、米国名・ヴァーサセダン(2代目)、タイ国名・アルメーラ)は、マーチなどと同じVプラットフォームを使用した、主に新興国向けの海外専売4ドアセダンである。仕向地によって名称が異なるが、型式がB17であることからB15以前からのサニーの正式な後継車と言える(B15以前の時代も仕向地によって名称が異なっていた点は変わりない)。1960年代初頭、日産自動車では「ダットサン・110/210型系」の堅調な人気を反映し、その後継となる1,000cc - 1,200cc級の小型乗用車、初代「ブルーバード」310型系が大成功を収め、続く2代目モデルの410型系はスタイリングが市場の不評を買ったものの、小型車市場での地歩を確実に固めつつあった。しかし、410型系ブルーバードが1,200cc以上を主力とするモデルに移行したため、日産には、それより若干小型で700cc - 1,000cc級のベーシックカーが空位となった。当時最大のライバルであったトヨタ自動車は、700cc級の「パブリカ」をエントリーモデルとして市場に送り出し、一定の成果を収めつつあり、その他の中堅メーカー各社も、700cc - 1,000cc級の小型車で市場参入を進めていた。日産社内ではこれを危惧し、ダットサンの小型モデルを開発しようとする動きがあったが、当時の日産自動車社長であった川又克二は、ブルーバードと同志討ちになりかねないエントリーモデルの開発には当初消極的で、「お金のない方はブルーバードの中古をお買いになればよろしい」と評する始末であった。開発陣は商用車開発などの名目で川又社長を説き伏せ、ようやく小型ベーシックカーの開発にこぎ着けた。サニーが大成功したことで、川又も部下たちに対し「(サニーの開発を)やっておいて良かったな」と反省の弁を残している。サニーは日産の最小排気量クラスを担う主力車種として、高度経済成長期からバブル経済期までのベストセラーカーとなった。日本の大衆車の中でもトヨタ・カローラと双璧をなす存在で、その最盛期には「CS戦争」ともいわれる、販売台数の熾烈な争いを繰り広げたことで知られる。ボディタイプは2ドアセダンからスタートし、4ドアセダン、2ドアクーペ、ピックアップトラック、2ドアライトバン、3ドアクーペ、4ドアライトバン、ステーションワゴン(カリフォルニア)、3ドアハッチバックなどのバリエーションが存在した。競合車種のカローラ同様に実用性と経済性、信頼性、安心感に優れた大衆車として市場の地位を長い間保っていたが1990年代中期以降、日産車全体のシェア低迷と小型セダン離れ、そして度重なるユーザー層の高年齢化などから、市場での存在感も次第に希薄となり、2004年を以って日本国内での当ブランドの消滅を迎えた。以後そのポジションはティーダラティオ(後にラティオと改称)が担う事となった。ピックアップトラック(B20)のみ:1967年 - 1971年当初は2ドアセダンから先行発売された。大型プレス材を有効に用い、少ない部品点数で組み上げられた軽量モノコックボディのデザインは、サイズや横置きリーフスプリング使用の前輪サスペンション構造ともども、1962年(昭和37年)に開発された西ドイツ(当時)の大衆車、オペル・カデット(そのバッジエンジニアリング版にあたるイギリスのボクスホール・ヴィーヴァを含む)の影響が非常に強いものであった。アメリカ資本の欧州メーカー製小型乗用車からの影響は、後輪駆動時代のサニー、カローラ双方において非常に色濃い。ボディタイプは順次追加され、2ドア / 4ドアセダン、2ドアクーペ、2ドアライトバン、トラックの計5種類のラインナップとなる。また、この初代サニー用に開発された直列4気筒の「A型エンジン」は、実用上好成績をあげ、その後改良を受けつつ30年にわたって作り続けられ、傑作エンジンの評価を得た(当初、1,000 cc ハイカムシャフト、ターンフロー、OHVのA10型)。軽量、簡潔でバランスの良い経済型エンジンであるだけでなく、低回転域の柔軟性と高回転まで軽快に回る良好な特性を備え、レーシングエンジンとしてのチューニングのポテンシャルも高かった。クランクシャフトは当初3ベアリング仕様だったが、後に5ベアリングとなって強化されている。発売されると市場で好成績を収めたものの、続いて発売されたトヨタ・カローラのデラックスさをアピールする販売戦略の前に後塵を拝し、以後長年にわたる両車の販売競争が勃発することになった。ピックアップトラック(B120)のみ:1971年 - 1994年ボディタイプは2ドア/4ドアセダン、2ドアクーペ、ライトバンの4種類。フロントサスペンションに本格的なマクファーソン・ストラット式独立懸架を採用するとともに、車体はスクエアな形態を保ちつつ若干大型化され、初代モデルの簡素で華奢な印象を払拭した。1,000ccエンジンを搭載していた初代サニーに対し、1,100ccエンジンを搭載して「プラス100ccの余裕」のコピーを掲げた初代カローラを意識した発売時の広告コピーである「隣のクルマが小さく見えます」は、良くも悪くもこの時代のメーカーと大衆双方が持っていた上昇志向を象徴するものとして、後年まで広く伝えられている(『絶版日本車カタログ』三推社・講談社68頁参照)。エンジンは直列4気筒ターンフローOHVのA12型1,200ccエンジンで、高回転化に適した5ベアリング式へ変更され、当初から5ベアリング4気筒ターンフローOHVを採用していたカローラのK型/3K型エンジンに対抗し、それを凌駕することを目指して改良された。更には、より排気量の大きいエンジン(直列4気筒クロスフローOHVのT型エンジン等)を搭載したモデルを追加したカローラに対抗するため、ブルーバード1400用の直列4気筒ターンフローSOHCのL14型1,400ccエンジンを搭載した上級シリーズの「エクセレント」を中途追加している。この代にもピックアップトラック型のサニートラック B120型が設定されたが、このモデルは乗用車系のB110型生産終了後もマイナーチェンジを繰り返し、日本国内向けは1994年3月までの23年間、海外向けにいたっては2008年9月まで37年間の長きにわたり生産が続けられ、NP200の発売後に至っても在庫分が併売されていた。後継モデルのB210型系がピックアップトラック化を考慮していないスタイルであったことが理由であるが、B120型の設計が優れていたことも一因である。B120型系列は「サニトラ」の愛称で広く親しまれている。北米市場では当時の市販車中、最良の省燃費車であることが燃費テストによって判明し、市場から評価され、日産車の販売実績向上に貢献した。日本では、ツーリングカーレース(TSクラス)のベース車としても大きな成功を収めており、生産中止後も非常な長期に渡ってレースフィールドで強豪モデルとしての地位を保ち続けたことでも知られる。110型系の生産中止後、その重量と寸法の増大から後継の210型系での開発・出走を嫌った多くのユーザーからの「請願」により、数度のホモロゲーション延長が行われているが、これは車両の進化が速いレースの世界にあっては極めて異例の措置である。レース用にチューニングされたA型エンジンは、燃料噴射装置の効果もあり、自然吸気のOHV1,300cc から、その末期には175馬力/約10,000rpmを搾り出しており、何の変哲もない実用向けの原設計からは想像しがたいほどの驚異的なポテンシャルを見せた。また軽量で運動性が良く、空気抵抗の少ない車体や、旧態依然としたリーフスプリングに吊られたリジッドアクスルながら、高いトラクションとコーナリング性能を発揮する足回りなどとの相乗効果で新鋭のDOHCマシンを下す場面もあった。前述のとおり210型系では積極的なレース活動は行われていないが、310型系のツーリングカーにこの資産は引き継がれている。バンを除き:1977年 - 1981年最後のFR駆動モデルであり、B110型同様にTSレースや富士フレッシュマンレースといった下位クラスのレースで活躍した。時代の趨勢に合わせて駆動方式を前輪駆動に改め、エンジンも一新。SOHCへ移行、カムシャフトもサニー初のタイミングベルト駆動となる。それまで日本国内で「ダットサン」ブランドで販売されていたサニーも、B11型へのフルモデルチェンジを機に正式車名を「日産 サニー」へと切り替える。ボディタイプは4ドアセダン、3ドアハッチバッククーペ、5ドアワゴン(カリフォルニア)。先代モデルまで存在した2ドアセダンは国内向け廃止。輸出仕様のセントラには継続して設定され、バンはB11型のコンポーネンツを流用したADバンとして独立している。日本国外への輸出ではこれまでのダットサン210から北米のセントラとメキシコのツル以外では「日産サニー」となった。デザイン、構造において1984年から1990年まで日産でライセンス生産を行っていたVWサンタナの影響を受け、品質・性能とも大きく向上を果たしたモデルである。ボディタイプは2/4ドアセダン、3ドアハッチバック(1.3L:303, 1.5L:305)、5ドアワゴン(カリフォルニア)。2ドアセダンは国内仕様のラインナップにはない。さらに、ボディ一体型のウレタンバンパー(上級モデルはカラードバンパー)を採用し、直線・平面基調の独特なデザインとなる。B11後期で一度消滅したサニーエンブレムが、丸円にSの文字をモチーフにした形に変わって復活。B13型前期まで踏襲された。車重はやや増加したが、ボディ剛性や品質面を改善した。この代から高張力鋼板および亜鉛ニッケル合金メッキを用いた防錆鋼板が用いられるようになった。この点ではデザインともどもVWサンタナの影響が強い。また、サニー初の4WDはパートタイム方式で、唯一セダンのみに設定されており、リアサスペンションも逆Aアームを用いた独立懸架となっている。この代からホイールのPCDが100.0mmになり、12インチホイール&12インチタイヤを装着した仕様が消滅した。海外でも前作B11型同様、北米は「セントラ」、メキシコでは「ツル」として販売。アジア圏でもタクシーなどで使われることも多く、香港・マレーシア・インドネシアでもタクシー車として重宝していた。メキシコ仕様(車名:ツル)を除き:1990年 - 1994年(『90年代国産車のすべて』三栄書房 76頁参照)B12型からのキープコンセプトであるが歴代モデルで最も高品質を追求したのが特徴。
ボディは4ドアセダンのみ。クーペモデルはサニーの名を冠せずNXクーペとなり、EXAの後継としての役割を担う。エンジンはガソリンエンジン全車をDOHC化。シングルチェーンを用いた上下2段のタイミングチェーンでカムシャフトを駆動している。1,600ccのGA16DE型のみ同社初にしてサニー初のメカニカル式可変バルブタイミング機構が装備されている。サニー初の1,800ccガソリンエンジンも設定された。グレードは1.8GT-Sで、専用外装パーツ、DOHC16バルブ・プレミアムガソリン仕様・140仏馬力のSR18DE型を搭載。上級グレードであるスーパーサルーン系は、エンジンや駆動方式を問わず、8種類用意された外装と内装を自由に組み合わせることができるスーパーセレクション方式を採用。組み合わせにより、外観はノーマルのままで内装のみ「GT-Sインテリア」という選択や「ラグジュアリーインテリア」に「GT-Sルック」という選択も可能であった。また、ラグジュアリーインテリアとラグジュアリールックを同時選択した場合のみ、このクラスとしては極めて珍しい「電子制御式サスペンション」も装着可能であった。このモデルから多くのグレードに油圧式のABSがメーカーオプション。なお、1.8GT-S以外のグレードでABSをメーカーオプションで装着するとリアブレーキがディスクブレーキとなる。一部の塗装色に限り、メーカーオプションでスーパー・ファインコート塗装(フッ素樹脂塗装)が選択することが出来た。4WDは1,500cc車にはフルオート・フルタイム4WD、1,800cc車にはアテーサ、ディーゼル車(後に追加)はパートタイム4WDを採用。ディーゼル車はマニュアルのみ。先代と同じく1600㏄モデルに競技仕様のVRがラインナップされていたが、ラリーの同クラスにマーチRが存在していたために主力マシンとはなれなかった。1992年、キャロッセが全日本ダートトライアル選手権CIIクラスをサニー1.8GT-Sで参戦しチャンピオンを獲得。以後、ダートラCIIクラスの主力マシンへとなっていった。ユーザーの若返りや大幅なコストダウンを課題として開発された。ボディタイプは4ドアセダンのみ。ただしクーペモデルのルキノは、前期型のみサニー・ルキノの名でも販売されていた。ホイールベースを延長(B12型およびB13型に対して105mm延長)、居住性を向上させ、FF車のリアサスペンションに新開発のマルチリンクビームサスペンションを採用した。4WDシステムはガソリン車はフルオート・フルタイム4WD、ディーゼル車にはアテーサを採用。また、ガソリンエンジンはすべてマルチポイントインジェクション化。直列4気筒DOHCエンジンの1,300ccGA13DE型と1,500ccGA15DE型を改良して搭載。「スーパーツーリング」にはプレミアムガソリン仕様の1,800ccSR18DE型またはレギュラーガソリン仕様の1,600ccGA16DE型を搭載。ディーゼルエンジン車は2,000ccのCD20型となった。その後、B14型登場から4か月後に「1.5EXサルーン」をベースにリーンバーン仕様の1,500ccGA15DE型エンジンに換装した「1.5CX」を追加。1995年1月にはセダンの一部が変更。スーパーサルーン、EXサルーン、CXのグリルをメッキ化し、リアフィニッシャーをボディカラー化。このほか、1.5スーパーサルーンのFF車のフロントディスクブレーキのベンチレーテッドディスクブレーキ化やタイヤサイズの変更(165SR13 → 175/70R13 82S)などが挙げられる。エンジンをSR20DEに換装したB14型サニーが1994年・1995年のオールシーズンと1996年のシーズン途中まで参戦。1995年にMINEサーキットで行なわれた第9戦(第2ヒート目)で、ザナヴィ・サニーを駆る飯田章が、ジャックス・シビックフェリオを駆る服部尚貴との激闘を制する。ちなみに、このJTCCレースカーはその後、東南アジア・ツーリングカー・ゾーン・チャレンジ(SEATCZC)に地元チームの手で参戦。現在は日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。B14型サニーのJTCC参戦記念モデルとして、ニスモでは1,800ccの4ドアセダンをベースに、「NISMO 180R」というロードコンプリートカーを企画。車名は最大出力である180馬力に由来し、走行可能なプロトタイプが1台のみ製作されたが、市販化はされなかった。エンジンはSR20DE型のファインチューニング版を搭載し、ニスモ製強化サスペンションと15インチアルミホイールに加え、専用エアロパーツをフル装着。搭載されていたエンジンとトランスミッションは、同年発売のB14型ルキノクーペ、及びN15型パルサーセリエ / ルキノハッチをベースとした「AUTECH VERSION」にSR20DE改良型として搭載され、発売された。ボディタイプは4ドアセダンのみでなおかつ歴代サニーで唯一派生モデルが存在せず、完全な国内専用車となった。プラットフォームはMSプラットフォーム。ただし、ディーゼル車は1999年9月まではB14型車が併売されていた。開発主管は、B14型に引続き深井吉男が担当。エンジンは新開発のQG13DE型、QG15DE型リーンバーン/LEV、可変バルブリフト&タイミング機構付き「NEO VVL」を採用したSR16VE型、QG18DD型NEO Di直噴ガソリンの4機種6仕様のエンジンが用意されていた。また、歴代サニーとして最初にして最後となる、ハイパーCVTの搭載モデルが存在した。さらに、ホイールのPCDがB11型系以前と同じ114.3mmに戻る。ヘッドランプのバルブは希少なIH01型を採用。スポーツグレードである「1.6 VZ-R」には、B14型ルキノやN15型パルサー/ルキノハッチで採用された青いヘッドカバーの1,600cc「NEO VVL」エンジンSR16VE型を搭載。無鉛プレミアムガソリン仕様。トランスミッションは5速MTのみ。エアコンはマニュアルエアコンのみの設定で、「スーパーサルーン」系に匹敵する快適装備を有する。312台の少数販売にとどまり、2000年8月に販売終了。車名の由来は「太陽光」や「晴れた天候」を表す英単語「Sunny」より。

出典:wikipedia

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