鈴木 銀一郎(すずき ぎんいちろう、1934年11月24日 - )は、作家、ゲームデザイナー。有限会社翔企画取締役。愛称は「銀爺」「(ヒゲの)大佐」など。日本におけるカードゲーム・ブームの火付け役となった「モンスターメーカー」シリーズのデザイナーとして知られるほか、ボードゲーム(ウォー・シミュレーションゲーム)、テーブルトークRPG(モンスターメーカー関連など)のデザインも手がけている。同じゲームデザイナーである鈴木一也は実子である。1934年(昭和9年)11月24日、東京生まれ。早稲田大学高等学院卒、早稲田大学政治経済学部中退。実家は3代続いた履物商。中学時代には声優もしていたという。大学中退後、実家の仕事を手伝いながら商売を憶える。代替わりの際に実家をバーに商売替え。店は繁盛するもツケを断り切れない性格から金策に追われ、商売を畳む。その後大手出版社の子会社で百科事典の編集者となる。自伝によれば優秀な中間管理職であったというが、上司である雇われ社長に疎まれて49歳の時に退職に追い込まれる。その後、編集プロダクション「翔企画」を設立。小学館の百科事典「ニッポニカ」やキリンビール社内報の編集を手がける。同時に「シミュレイター」誌刊行、安価なシミュレーションゲームの「SSシリーズ」製作販売、カードゲーム「モンスターメーカー」シリーズ製作販売なども。しかしシミュレーションゲーム・ブームの終焉とトレーディング・カード・ブームの勃興を読み切れず、1990年代半ばに会社経営は行き詰まり、以後はフリーの著述家として活動を続けている。その後最近までゲーム開発の専門学校 Digital Entertainment Academy にコンピュータAIの講座を持ち,後進の育成にも努めてきた(2009年3月閉校)。 (有)銀河企画・顧問(2002年4月~2005年3月)。 翔エンタープライズ・顧問(2012年7月~)。幼少時から将棋などの盤ゲームを愛好し、自作の野球ゲームなどをつくって遊んでいたこともあるという。中学時代に麻雀も覚える。40歳の時に海外から輸入されたウォー・シミュレーションゲームに触れ、衝撃を受ける(最初に購入したのは「タクテクスII」)。同時に翻訳ルールの出来の悪さや輸入品ゆえの価格の高さに着目し、「日本人好みのテーマで、質のよい低価格の国産製品を作れば、商品になる」と企画を思い立つ。ゲームショップでたまたま出会った黒田幸弘と知り合って意気投合し、共同でゲームデザイン組織「レック・カンパニー」を1981年 に設立。エポック社に企画を持ち込み、「ワールド・ウォーゲーム」のブランドを築く。鈴木曰く、ゲームを制作する専門職の認知のために、「ゲームデザイナー」を名乗り、(おそらく日本で初めて)その肩書きの名刺をつくったという。黒田と共にレック・カンパニーの主幹として、またメインデザイナーとして、シミュレーション・ゲームの制作に関わり、いくつかの作品を残した。翔企画創業時(1984年)の多忙により「レック・カンパニー」から一時離れる。その後は、経営が安定した翔企画で、ゲーム関連の制作・出版を自ら行うことになり、従来の業務の傍ら、ゲームの企画・制作や自社出版を開始する。レック・カンパニーが発行していた、シミュレイターを新生創刊して、自ら編集・出版し、これを活動の中心とした。この時期、鈴木銀一郎が編集長を務めるシミュレイター誌の元、多くのライター、ゲームデザイナーが集うことになった。佐藤大輔の小説「レッドサン・ブラッククロス」に登場する「鹿内靖」「山田道夫」「高梨俊一」なるキャラは、いずれも「シミュレイター」誌で活動していたライターである(鹿内靖は後に編集長になる。高梨は現在日本大学理工学部教授)。また「赤城毅」としてデビューする以前の赤城毅が本名で執筆活動を行っていたこともある。その後シミュレーションゲームの市場が冷え込むと共に、制作と出版の規模は縮小してしまうが、1988年、モンスターメーカーの大ヒットにより、さらに広い層に認知されることになる。モンスターメーカーの関連商品として、自ら執筆した小説も、単なるキャラクター小説に留まらない重厚なエピック・ファンタジーとして評価を受け、小説家としての力量も示した。現在は、フリーランスのゲームデザイナーとして、シミュレーションゲーム、ボードゲーム、カードゲーム、TRPGなどを広くデザインしている。「パンツァーグルッペ・グデーリアン」を特に好み、プレイ回数と作戦研究はアメリカのゲーマー以上だろうと自負する。戦略性の高い対人ゲームにおける実力の高さも非常に有名で、ボードゲームはもちろん、麻雀では「一時は麻雀で食っていた」と噂されるほど高い実力を持つ。自らの著書「ゲーム的人生ろん」でも、会社勤めで家族を抱えて薄給の時代に、麻雀の勝ちで糊口をしのいでいたことが述懐されている。一部のウォー・シミュレーションゲーム愛好者から「神様」と称される。伝説の雀鬼こと桜井章一の著書にしばしば登場する「鈴銀」は、鈴木銀一郎のこと。編集長を務めた雑誌『シミュレイター』は創刊当初、発売が常に遅延した。ついに鈴木は「次号の発売日が遅れたら坊主頭になる」と誌面で公約したものの、やはり発売日を守ることはできなかった。後日、頭を丸めた鈴木の写真が同誌に掲載された。2001年12月に創刊されたゲームジャーナル(Game Journal)誌では、目玉として創刊号の付録ゲーム『真・バルバロッサ作戦』をデザインしたが、これは鈴木にとって約10年ぶりのゲームデザインであった。ゲームジャーナル誌では、鈴木を審査委員長として『鈴木銀一郎杯ゲームデザイン賞』という投稿ゲームの賞を設けており、いくつもの作品が出版されている。2013年には、自らの小説・ゲームを題材とした音楽(作詞・作曲)を公募している。『鈴木銀一郎ゲーム音楽コンテスト』
出典:wikipedia
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