LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

香取型練習巡洋艦

香取型練習巡洋艦(かとりがたれんしゅうじゅんようかん)は、旧日本海軍の練習巡洋艦。日本海軍では旧式化した装甲巡洋艦を練習艦任務に使用していたが、装甲巡洋艦の老朽化や海兵卒業者の増加という事態に対応するために、昭和13年度計画から練習艦任務に特化した巡洋艦を備する計画を立てた。当初3隻が計上されたが2隻のみ承認され、後に昭和14年度計画において「香椎」が、昭和15年度第2次追加計画において4番艦「橿原」が追加された結果、昭和16年度計画において計4隻の建造が承認された。これが香取型練習巡洋艦である。4隻はいずれも秩父丸や氷川丸を建造した三菱重工業横浜製作所に発注された。また4隻の艦名は頭文字『K』を持つ神社(香取神宮、鹿島神宮、香椎宮、橿原神宮)に由来している。要求性能として乗員の他に少尉候補生が375名が居住できる。航海に不慣れな候補生のために速力よりも外洋での航海性能を重視して安定した船体形状を採用していた。また、候補生の実習のために艦橋や居住区は大きめに設計され、武装面においても敢えて最新型ではなく艦隊で広く使用されている兵器を多種多様に搭載された。機関においても本邦の軍艦には珍しい蒸気タービンとディーゼル機関を組み合わせた推進形式となったが、これは訓練生に様々な機関形式を学ばせるためだったという。また、練習航海時に海外からの目があるため、外観も軽巡洋艦ながら大型の艦橋を建てるなど威容のある設計が採られ、艦内の内装についても外国航海の際に賓客をもてなすために司令官室などを立派な内装にしていた。しかし、そうした設計は建造費が掛かるためにコストダウンは随所に見られ、船体サイズは設計時から約6,000トン弱程度に抑え、船体構造も安価となる商船構造を採用された。その結果、香取型3隻の予算ベースでの合計額は、阿賀野型軽巡洋艦1隻分に当たる2,040万円までに抑えられている。本型は太平洋戦争前に3隻が就役していたが、実際に練習艦隊を組んだのは香取と鹿島の2隻のみで海軍兵学校・海軍機関学校・海軍経理学校・海軍軍医学校の士官候補生を乗せた昭和15年度練習航海の1回のみで時世を配慮して日本近海での練習航海となった。これさえも8月17日に新編なった第4艦隊と第6艦隊の旗艦として使用すべく練習航海を大連から上海に至る航路で打ちきられてしまった。4番艦は不急艦として建造中止となり、実際に建造されたのは3隻であった。太平洋戦争開戦時には各艦とも、司令部施設に適した候補生用のスペースを持っていたため艦隊旗艦として使用され、後方基地での作戦指揮全般に当たっていた。香取の戦没後に鹿島と香椎は対潜掃討艦に改装され、対潜部隊の旗艦として使用された。本型の船体形状は水面から乾舷までが高い短船首楼型船体で凌波性の良い軽いクリッパー式艦首を採用されていた。これは、まだ航海の経験の浅い士官候補生達が外洋の荒波にもまれて疲弊しないために充分な船体安定性と復原性能を持たせるためである。そのため、船体サイズは全長が133.50mに対し全幅が15.95mと幅広の安定型となった。また、安定化のために船体下部に800トンのバラストを積み込んだが、これは生活用の真水や燃料のタンクであり無駄な重量では無かった。外観面においても、従来の軽巡洋艦は軽量な三脚型マストの基部となる低い艦橋構造であったが、本型は箱型艦橋と簡素な三脚式の前部マストが立つ。これは、士官候補生の実習時に窮屈な艦橋構造では実習に支障が出るため、充分な容積を求められたためである。このように、候補生を集めて実習を行うため各部に広いスペースが求められるため、敢えて武装を減らしてそのスペースの確保に重点を置いた設計となっていた。主武装である「三年式 14cm(50口径)砲」も連装型の砲塔2基4門のみとされ、前部甲板上に1番主砲塔が配置された。船体中央部には直立した1本煙突が立てられたが、公試時に煤煙が艦橋に逆流したため、煙突の高さを更に2m伸ばして解決した。この改良によりさらに均整のとれた外観となった。煙突の後方は水上機の運用スペースで中心線上にカタパルト1基が設けられ、その下は艦載艇置き場として無駄なスペースを省いた。露天配置の水上機と艦載艇は後部三脚マストを基部とするクレーン1基により運用された。後部マストの後方には、副武装として「八九式 12.7cm(40口径)高角砲」がカバーの付いた連装砲架で後向き1基、後部甲板上には2番主砲塔が配置された。舷側甲板上には53.3cm魚雷発射管が片舷に1基ずつ、計2基が設置され、その上には客船のようなプロムナード・デッキを設けており舷側には上下三列に丸い舷窓が並んでいた。本型の主砲は「三年式 14cm(50口径)速射砲」を採用した。この砲は戦艦伊勢型から軽巡洋艦天龍型、球磨型、長良型、川内型、夕張の主砲として、日本海軍で旧来から広く採用されていた優秀砲で、候補生が現場で実際に使用するために採用された。砲塔型式は軽巡洋艦夕張と同じく連装砲塔式である。その性能は、38.0 kgの砲弾を最大仰角で20,574mまで届かせる事ができた。俯仰能力は仰角35度、俯角5度で、単体首尾線方向を0度として左右150度の旋回角度を持っていた。主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に機力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分6発であったが、熟練した砲員なら毎分10発が可能である。高角砲は広く日本海軍で使用された「八九式 12.7cm(40口径)高角砲」を採用した。この砲は23.0 kgの砲弾を仰角45度で14,800m、最大仰角90度で9,400mの高度まで到達できた。旋回と俯仰は電動と人力で行われ、左右方向に70度旋回でき、俯仰は仰角90度、俯角7度であった。発射速度は毎分8~14発だった。これを連装砲架で1基2門を搭載した。他に近接火器としては「「96年型 25mm(60口径)機銃」を連装砲架で艦橋の両脇に1基ずつ2基、53.3cm水上連装魚雷発射管を2基搭載した。他に儀礼用に5cm単装式礼砲4基が搭載された。なお、3番艦香椎のみ25mm連装機銃は4基で若干強化されていた。1944年4月に鹿島、香椎は12.7cm連装高角砲は2基、25mm機銃は三連装砲架で4基に強化された代償に魚雷発射管が撤去された。他に爆雷兵装の強化と22号電探の搭載が行われた。機関配置は日本海軍伝統の単一缶機配置である。しかし練習艦任務のために様々な最新の機関形式を同時に勉学できるよう当時の一般的な蒸気缶と蒸気タービンの組み合わせた推進機関以外に、ディーゼル機関も採用された点に本型の特色がある。また、高速性能よりも航続性能を重点に置かれたため機関出力は低く抑えられたために機関は小型のものを搭載する事が出来た。主機はホ号艦政本部式重油専焼缶(空気予熱器及び加熱器付き)3基と艦政本部式高圧・低圧2段減速式ギヤード・タービン機関2基(2,200馬力×2)を主機関とし、補助機関として巡航用に艦政本部式22号10型内火機械(ディーゼル)2基を(1,800馬力×2)採用し、主機関と補助機関をフルカンギアを介して接続して2軸推進とした。ホ号艦政本部式重油専焼缶は昭和12年頃から小型艦に採用された効率の良い小型缶で、艦政本部式22号10型内火機械は中型潜水艦の機関として開発された10気筒4サイクル式単動ディーゼル機関でこちらも広く採用されている。巡航には主にディーゼルを使用し14ノットで継続航行できた。タービン機関のみなら14ノットが出せた。二種類の機関合わせての最大出力は8,000馬力、最大出力18ノットを発揮した。機関室は前方から四室に分けて配置され、左舷側は発電室でターボ発電機とディーゼル発電機が並列で搭載された。配置は左舷側に第一缶室、その後部に第二缶室と第三缶室を並列に配置した。その後方が推進機関を収めた主機4室で、高圧式タービンと復水器を持つ低圧式タービンを並列で配置して主減速ギヤで結合して推進軸につなげられ、後部ディーゼル機関が並列に搭載され、推進軸とフルカンギアを介して接続されてスクリュー軸2本を推進する形式である。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。