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アーネスト・ヘミングウェイ

アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway、1899年7月21日 - 1961年7月2日)は、アメリカの小説家・詩人。彼の生み出した独特でシンプルな文体は、冒険的な生活や一般的なイメージとともに、20世紀の文学界と人々のライフスタイルに多大な影響を与えた。ヘミングウェイは、ほとんどの作品を1920年代中期から1950年代中期に書き上げて、1954年にノーベル文学賞を受賞するに至った。彼は、6つの短編集を含めて7冊の小説と2冊のノンフィクション小説を出版した。3冊の小説、4つの短編集、3冊のノンフィクション小説が死後、発表された。これらはアメリカ文学の古典として考えられている。イリノイ州オークパーク(現在のシカゴ)に生まれる。父は医師、母は元声楽家で、六人兄弟の長男だった。父は活動的な人物で、釣りや狩猟、ボクシングなどの手ほどきを受けた。高校卒業後の1917年にカンザスシティ (ミズーリ州)の地方紙「」()紙の見習い記者となるも退職。翌年赤十字の一員として第一次世界大戦における北イタリアのフォッサルタ戦線に赴くも重傷を負う。戦後はカナダ・トロントにて「トロント・スター」()紙のフリー記者をつとめ、特派員としてパリに渡りガートルード・スタインらとの知遇を得て小説を書き始めた。行動派の作家で、1930年代には人民戦線政府側としてスペイン内戦にも積極的に関わり、その経験を元に行動的な主人公をおいた小説をものにした。『誰がために鐘は鳴る』『武器よさらば』などはそうした経験の賜物。当時のハリウッドに映画化の素材を提供した。短編には簡潔文体の作品が多く、これらはダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーと後に続くハードボイルド文学の原点とされている。1954年、『老人と海』が大きく評価され、ノーベル文学賞を受賞。同年、二度の航空機事故に遭う。二度とも奇跡的に生還したが、重傷を負い授賞式には出られなかった。以降、これまでの売りであった肉体的な頑強さや、行動的な面を取り戻すことはなかった。晩年は、事故の後遺症による躁鬱に悩まされるようになり、執筆活動も次第に滞りがちになっていく。1961年、ショットガンで自殺(当初は手入れの際に起きた暴発による事故死と報じられたが、遺書が発見された為自殺と断定した)。ヘミングウェイは世界中の様々な場所に居を構えたが、現在アメリカのイリノイ州オークパーク、フロリダ州キーウェスト、キューバのサンチアーゴ・デ・パウラが公開されている。オークパークのヘミングウェイ邸はヘミングウェイの生家であり、一般に公開されている。通りを挟んだすぐ近所には、ヘミングウェイ博物館が作られている。生家の方は、母グレースの設計で建てられた、3階建ての広壮な屋敷で、ヘミングウェイが6歳の時に引っ越しているが、こちらは現在は私有地となっており、一般には公開されていない。キーウェストの屋敷は建物自体が博物館として旅行客に公開されており、ヘミングウェイの飼っていた猫の子孫が現在でも多く住んでいる。キューバの家はフィンカ・ビヒアとして知られており、現在では博物館として屋敷の一部が公開されている。ヘミングウェイが人生の3分の1を暮らした場所として、研究上においても重要な拠点となっている。キューバの経済的問題のため、建物自体の老朽化が進行していたが、2008年にアメリカの修復グループが改修工事を済ませ、現在では元の状況を保っている。ヘミングウェイは猫好きで、知己の船長から2匹の猫を貰い受けている。この猫は近親交配の結果か足の指が6本ある多指症で、ヘミングウェイは幸運を呼ぶ猫だと信じていた。キーウェストのヘミングウェイ博物館では、この猫の直系子孫が50匹ほど今も飼われており、6本指の遺伝子を受け継いでいる。しかし、これらの猫は、米農務省より指定の設備と動物園としての認可を受けなければ認められないと勧告され、博物館からの立ち退きを迫られていた。裁判所は博物館側の訴えを却下し、当事者同士で話し合うよう判決を下したが、博物館のあるキーウェスト市当局が、「6本指のヘミングウェイの猫たちは、歴史的かつ社会的に意義があり、観光面でも重要」と位置づけ、農務省が見做した展示物としての動物ではなく、飼い猫は1世帯につき4匹までとする条例の例外として認め、博物館側を支持。そして敷地内からネコが出て行かないためのフェンスを博物館の責任で設置することを条件に農務省側との合意に達した。『海流のなかの島々』の舞台ともなったバハマのビミニ島には、滞在していたとされるホテルの一室を改装したアーネスト・ヘミングウェイ博物館があり、遺品などが展示されていたが、2006年、火災により焼失した。フローズン・スタイルのカクテルの代表格であるフローズン・ダイキリは、ヘミングウェイが愛飲したことで知られる。ヘミングウェイが好んで呑んだとされるスタイルはパパ・ダイキリと名づけられた(ヘミングウェイは、モヒートも愛飲した)。

出典:wikipedia

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