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室伏広治

室伏 広治(むろふし こうじ、1974年(昭和49年)10月8日 - )は静岡県沼津市出身の日本の男子ハンマー投選手、スポーツ科学者(中京大学博士)。東京医科歯科大学教授。学位は博士(体育学)。専門は陸上競技(ハンマー投)、スポーツ科学、スポーツパフォーマンス・システム研究。特にアスリートのパフォーマンス向上に関する研究。フルネームは室伏アレクサンダー広治(Koji Alexander Murofushi)。陸上選手としての所属はミズノ(正確にはミズノ株式会社スポーツプロモーション部ミズノトラッククラブ)。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事。主な実績に2001年世界陸上エドモントン大会銀メダル受賞、2004年アテネオリンピック金メダル受賞、2011年世界陸上大邱大会金メダル受賞、2012年ロンドンオリンピック銅メダル受賞。2004年のアテネ五輪金メダルを評価され、紫綬褒章を授与されている。2016年6月、競技引退の意向を表明。父親は「アジアの鉄人」こと室伏重信(前日本記録保持者、中京大学名誉教授。広治自身も「鉄人」と呼ばれている)。母親はオリンピックやり投ルーマニア代表のセラフィナ・モーリツ(、; 重信との離婚により広治とは生別)。父親が日本人で母親がハンガリー系ルーマニア人のハーフ。現地のミドルネーム(アレクサンダー)を持つ。妹はアテネ五輪女子ハンマー投代表・女子円盤投日本記録保持者の室伏由佳。2015年5月、一般会社員女性と結婚。静岡県沼津市生まれ。愛知県豊田市立東保見小学校、豊田市立保見中学校、千葉県・成田高等学校、中京大学体育学部を経て同学大学院体育学研究科に進学。2007年、中京大学大学院で博士号(体育学)取得。2011年4月、中京大学スポーツ科学部競技スポーツ科学科准教授に就任。2004年アテネオリンピックの男子ハンマー投金メダリスト。陸上・投擲種目で金メダルを取ったのはアジア史上初。日本オリンピック委員会・2005年度選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度適用選手。IAAF選手委員(2期目)。2012年3月、日本陸上競技連盟が行っている格付けでSクラス(最高位)に認定された。同年12月13日、新設された「ゴールドアスリート」に指定された。2014年6月、東京五輪・パラリンピック組織委員会スポーツディレクターに就任。同年7月に東京医科歯科大学教授 兼 スポーツサイエンスセンター長に内定。同年8月に東京医科歯科大学特任教授を経て、同年10月より同教授に就任。2015年3月12日、日本陸上競技連盟の新理事に6月改選の次期役員として内定したことが発表され、就任。2015年6月、日本オリンピック委員会の理事に就任2016年6月24日、リオデジャネイロ五輪代表選考会を兼ねた日本選手権のハンマー投競技終了後、第一線からの引退を表明。幼少時からテニス、水泳、野球、少林寺拳法など様々なスポーツを経験しながら育つ。小学3年から中学2年まではロサンゼルス近郊に滞在しており、ゴルフやテニスを習っていた。帰国後は保見中学校に編入学、当初は複数の部活動を掛け持ちしていた。最終的に陸上競技部へ入部し三種競技B(砲丸投、走幅跳、400m)に取り組んでいたが、身長が急激に伸びた際の成長痛に悩まされておりほとんど練習していない状態だったという。1990年に成田高等学校に進学。入学当初はやり投、走幅跳、三段跳、ハードルなどさまざまな競技に取り組んでいた。高校1年の夏前から専門種目としてハンマー投に取り組み、日本高校新記録・高校最高記録を樹立。インターハイは1991年・1992年と2連覇を達成。1993年に中京大学に進学。父・室伏重信や溝口和洋のコーチングを受け、日本学生新記録・日本ジュニア新記録を樹立。インカレ4連覇を達成。1994年の広島アジア大会では67m48を投げて2位。1995年の第79回日本選手権では69m72を投げて大会初優勝を果たした。同年の世界陸上ヨーテボリ大会では67m06を投げて予選35位。1997年にミズノに入社。同年の世界陸上アテネ大会では74m82を投げて10位。1998年4月26日に行われた群馬カーニバルで父・室伏重信の持つ日本記録を更新する76m65を記録。12月13日のバンコクアジア大会では78m57で大会初優勝。1999年の世界陸上セビリア大会では75m18を投げて予選14位。2000年5月13日の大阪国際グランプリでは初の80メートルスローとなる80m23を記録して優勝。シドニーオリンピックでは雨天のコンディションから76m60で9位に終わり入賞を逃した。IAAFグランプリファイナルでは80m32で2位。2001年7月14日の中京大土曜記録会では世界歴代7位(当時)となる83m47を記録。8月5日の世界陸上エドモントン大会では82m92を投げて2位になり、銀メダルを獲得。投擲種目でのメダル獲得は世界陸上・五輪を通じて日本人初であった。9月7日にブリスベンで行われたグッドウィルゲームズでは82m92で優勝。2002年5月11日のドーハグランプリでこの年のシーズンベストとなる83m33を記録。9月14日のIAAFグランプリファイナルでは81m14で優勝、20日のIAAFワールドカップでは80m03で2位。10月8日の釜山アジア大会では78m72で優勝し大会2連覇を達成。2003年5月10日の大阪国際グランプリでは82m95で優勝、6投すべての試技で81mを超えた。6月8日の第87回日本選手権では83m29の大会新記録で9連覇を達成。6月29日のプラハ国際で世界歴代3位(当時)となる84m86を記録、過去15年における世界最高記録であった。8月25日の世界陸上パリ大会では出発3日前の練習中にサークル内で滑って転倒し、右肘を強打。手の指に力が入らない状態で、一時は欠場を考えたコンディションながら80m12を投げて3位になり、銅メダルを獲得。2004年6月6日の第88回日本選手権では82m09を投げて父・重信と並ぶ10連覇を達成。8月22日に行われたアテネオリンピック の大会中は82m91の記録を残し2位となったが、83m19の記録で1位となっていたハンガリーのアドリアン・アヌシュにドーピング疑惑が浮上。アヌシュはIOCが求めていた再検査の為の尿検体提出を拒否、更に競技前後それぞれに提出した2つの尿検体が同一人物でないことが判明。アテネオリンピック最終日の8月29日にドーピング違反で失格処分となり、室伏が優勝者となった。9月のスーパー陸上ではシーズンベストとなる83m15を投げて優勝。同競技会終了後に金メダル授与式が行われ、5万人近い観衆からの祝福を受けた。陸上・投擲種目における金メダル獲得はオリンピック、世界選手権を通じてアジア史上初。この年は出場した7試合すべてで優勝している。2005年は第89回日本選手権にのみ出場、76m47で11連覇を達成。2006年の第90回日本選手権では80m17で12連覇を達成。9月10日のワールドアスレチックファイナルでは81m42、16日のIAAFワールドカップではシーズンベストとなる82m01を投げて優勝。この年は出場した8試合すべてで優勝している。2007年6月30日の第91回日本選手権では79m24で13連覇を達成。8月27日の世界陸上大阪大会では、決勝8人のうち7人が80メートル以上を記録する中80m46で6位に終わった。ワールドアスレチックファイナルでは77m95で3位。2008年6月27日の第92回日本選手権では80m98で14連覇を達成。8月17日の北京オリンピック大会中は80m71で5位になったが、12月11日に2位:ワディム・デフヤトフスキーと3位:イワン・チホン(共に)の2選手のドーピング違反が発覚、当該選手が国際オリンピック委員会理事会において失格、メダル剥奪処分を受けたため、一時は3位に繰り上がる裁定がスポーツ仲裁裁判所により下されたが、2010年6月10日に処分が撤回されたため銅メダル獲得はならなかった。9月14日のワールドアスレチックファイナルでは78m99で3位。2009年は第93回日本選手権にのみ出場、73m26で15連覇を達成。同年からアリゾナ州「Athletes' Performance」社に所属しているフィジカルトレーナーの咲花正弥、理学療法士のロバート・オオハシ、テクニカルコーチのトーレ・グスタフソン、中京大学スポーツ科学部教授の清水卓也と“チーム・コウジ”を結成。2010年の第94回日本選手権では77m35で16連覇を達成、IAAFワールドチャレンジミーティングスでは8月29日のリエティ大会で世界ランキング1位となる80m99、9月1日のザグレブ大会で79m91を投げて優勝し、IAAFハンマースローチャレンジの初代年間チャンピオンとなった。2011年5月8日のセイコーゴールデングランプリ川崎では78m10で2位になり、世界選手権標準記録Aを突破。6月11日の第95回日本選手権では77m01で17連覇を達成。8月29日の世界陸上大邱大会では3投目と5投目に81m24を投げて優勝、世界選手権で初の金メダルを獲得。日本人選手で初となる五輪・世界選手権二冠覇者になるとともに、世界選手権における男子最年長優勝者(36歳と325日)となった。2012年6月8日の第96回日本選手権では72m85で18連覇を達成。8月5日のロンドンオリンピックでは78m71で3位になり、銅メダルを獲得。2011年と2012年の日本陸上連盟の年間表彰式「アスレティック・アワード」において、アスリート・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)に選出されている。2013年6月9日の第97回日本選手権では76m42で19連覇を達成。8月12日の世界陸上モスクワ大会では78m03を投げて6位入賞。2014年6月7日の第98回日本選手権では73m93を投げて優勝、同大会の20連覇を達成。2014年の「アスレティック・アワード」では特別賞に選出される。2015年の第99回日本選手権と世界陸上北京大会を欠場。2016年6月24日、2年ぶりの出場となったリオデジャネイロ五輪代表選考会を兼ねた第100回日本選手権で自己ベストを20メートル以上下回る64m74を投げて12位。競技終了後、第一線からの引退を表明。太字は自己ベスト高速ターンや、“倒れ込み”という回転中に軸を背面方向に倒す父譲りの技術を武器としている。体重は初めて80mを超えた当時で95kg、自己ベストを投げた2003年で97kg。父・重信は広治の体力的な素質について、「体力的な面では、スピードとジャンプ力があります。短距離選手に負けないようなスピードがあり、ジャンプでは立ち幅跳びで3メートル60ほどいっていました。その並外れたスピードとジャンプ力が、軽量ながらハンマーを飛ばせているんだと思いました。」と評している。広治はコントロールテストのベスト記録について、「バック投げは一般用の砲丸(7.26kg)で20m行くか行かないぐらいかな。立ち五段跳びは18m30で、両脚だと19mは跳びました。立ち幅跳びは3m60がベストです。握力はテレビ番組で計測したときに針が振り切れてしまったのでわからないですね。」と語っている。「筋力をつけるだけではハンマーでは勝てない」という持論から、2005年以降はバーベルに複数のハンマーをぶら下げたアンバランスな状態でウエイトトレーニングを行う、扇子や投網を投げる、新聞紙を片手で丸める等の感覚を磨くことを目的とした独特のトレーニングを行っている。名前は「世界を広く治めるように」と父が命名、外国人にも発音しやすい名前にしたという。最も影響を与えられた人物として、男子やり投日本記録保持者の溝口和洋を挙げている。大学二年のときから指導を受けている。それまでやり投とハンマー投をしていて、どちらを専門とするか悩んでいた広治に「やり投げやと八七mくらいで終わるけど、ハンマーなら八〇mは投げられるから、そっちの方がいいんとちゃうか」とアドバイスしたという。好きな格闘家としてヒクソン・グレイシーを挙げている。1998年のNHKハートプロジェクトでは、障害者の詩をモチーフにして描いた絵画が展示された。2006年には「ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー2006」、2007年には「第2回さわやかヘアスタイル大賞(メンズ部門)」を受賞している。漫画家のさいとう・たかをは、ゴルゴ13が現在実写映画化されるなら「室伏広治が適任」とコメントしている。元中日ドラゴンズ監督の落合博満と親交があり、中日スポーツ誌上で対談したり、打撃指導を受けたことがある。横綱の朝青龍と親交があり、室伏が高砂部屋の宿舎を訪問してトレーニング方法をアドバイスしたり、遊びでハンマーを投げたことがある。アテネオリンピックの前には直接会いに来た朝青龍から金のネクタイを贈られている。高校時代、体力テストのハンドボール投げで65m以上を記録した。野球部員でも40~45m投げることができれば強肩と呼ばれていたため周囲を驚かせていたという。1996年、東京ボブスレー・リュージュ連盟が行ったトライアウトに参加。全種目(60m走、20m走、立ち五段跳び、ベンチプレス、スクワット)で満点を出して長野オリンピック日本代表候補に選出されるも、ハンマー投に集中することを決めたとして出場を断念している。TBS放送の『最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』に出演。ビーチ・フラッグスでは、アレン・ジョンソン(96年アトランタ五輪110メートルハードル金メダリスト)、ドノバン・ベイリー(96年に当時の100メートル世界新である9秒84を記録)に勝利している。重さ10kgのタルを投げ上げて、越えた壁の高さを競う「ザ・ガロンスロー」では、8m25cmの世界記録を持っている。2005年4月5日のプロ野球横浜-巨人戦の始球式では、球速131km/hを記録している。2012年8月、当時開催されていたロンドンオリンピックに出場していた室伏は、国際オリンピック委員会の選手委員に立候補したが、オリンピック会場の選手村でドーピング禁止のキャンペーンキャラクターとして自己の写真を使ったポスターの掲示や同様のステッカーを配布したことが選挙に関する複数の規定に違反したとされ、国際オリンピック委員会から失格の処分を受けた。これに伴い、本来であれば1位で選手委員への当選を果たしていた室伏は委員に就任できなくなった。

出典:wikipedia

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