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北洋銀行

株式会社北洋銀行(ほくようぎんこう、英称:"North Pacific Bank, Ltd.")は、北海道札幌市に本店を置く第二地方銀行。第二地方銀行ではあるが、現在では地方銀行である北海道銀行をも上回る規模を有する北海道最大の金融機関である。資金量・預金量は道内銀行で最大、かつ第二地方銀行で最大の資金量でもあり、総資産では地方銀行6位である。金融再編の激動をくぐり抜けてきた北洋銀行は、平成以降を、「相互銀行から普通銀行への転換」を第一の創業、「拓銀(北海道拓殖銀行)の道内事業譲受」を第二の創業、そして「札銀(札幌銀行)との合併」を第三の創業と位置づけている。拓銀の受け皿となるまでは当該項を参照されたいが、本来大蔵省は道銀か札銀への営業譲渡を進めていた。1997年4月1日、河谷禎昌拓銀頭取と藤田恒郎道銀頭取が両行の合併によって「新北海道銀行」を発足させる方針を発表するが、同年9月12日、両頭取は共同会見で合併の延期を発表。この合併交渉を巡る感情的もつれから、拓銀は大蔵省による道銀への営業譲渡の要請を拒否した。また札銀への営業譲渡も拓銀OBである当時の潮田隆札銀会長兼頭取と拓銀首脳陣の確執が尾を引き沙汰やみとなった。この結果、大蔵省側としては譲渡先として想定していなかった日銀出身の武井正直頭取率いる北洋銀が浮上。営業譲渡先と決定した。すなわち、日銀主導かつ武井頭取の「ツルの一声」で北洋銀が北海道経済の危機を救ったとされる。営業譲渡にあたって最難関となった案件は、拓銀の債権引継ぎの方途にあった。通常、経営破綻した銀行の営業を引き継ぐ受け皿銀行は、正常債権のみを破綻銀行から簿価で引き取り、第2分類債権等の不良債権は預金保険機構の下部組織である整理回収銀行(現:整理回収機構)が時価で買い取っていた。北洋銀は拓銀の営業譲渡を引き受けた時点で、1995年8月に経営破綻した兵庫銀行の受け皿銀行として設立されたみどり銀行が、第2分類まで引き継ぎ、程なく資産の劣化から経営が行き詰まり、阪神銀行に救済合併された事実を鑑み、「正常債権しか受けない。受けるか否かは北洋銀行が判断する」との約束を大蔵省と取り付けていた。しかし、北洋銀が拓銀の債権を精査した所、仮に第2分類を全く引き受けないとした場合、北海道経済に対し甚大な影響をもたらすことが判明した。そこで北洋銀は、拓銀の債権を引き継ぐ際、額面ではなく、将来の貸し倒れリスクまでを織り込む「割引現在価値(DCF法)」という当時の新しい会計基準を適用するよう大蔵省に要請した。北洋銀と大蔵省は折衝を進めるが、時価算定の方法で見解が分かれ、交渉は暗礁に乗り上げた。またその最中には大蔵省接待汚職事件が発覚し翻弄されたほか、第2分類企業の救済案として公的な「受け皿銀行」を新たに設立する構想が政府・自民党で浮上・消滅するなど、債権引き継ぎ問題は混迷を深めた。1998年7月に入り、政府は債権譲渡価格の大幅割引を認める方針を示し、さらに割引現在価値法も1部の大口債権について認めることとした。これによって同年9月、第2分類債権の帰趨はようやく決し、拓銀の道内貸し出し債権16万2600件(3兆4800億円)のうち、北洋銀が営業譲渡日に引き継いだのは15万8400件(1兆8600億円)、第2分類債権も2300件(3600億円)のうち、1800件(2500億円)を引き継いだ。同年11月16日、拓銀からの109店を引き継ぎ、総店舗数は231店、資金量も拓銀の道内預金が加算され約4兆7千億円に達する営業譲渡が完遂された。営業譲渡によって、北洋銀は大幅に業容が拡大。拓銀破綻前はメイン先数で道内3位だったのが一気にトップに向上。さらに第二地銀の最大手の地位を得た。2006年、拓銀本店営業部であった北洋大通ビルは解体され、2010年4月新ビルである北洋大通センターが竣工。翌年1月11日には本店営業部も北洋大通センターに移転し営業を開始した。拓銀破綻から10年経過した2008年10月14日、1999年に包括的業務提携を結び、さらに2001年には金融持株会社である「札幌北洋ホールディングス」を設立した札幌銀行と対等合併(存続金融機関は北洋銀行)した。この合併は、2007年3月期から金融庁が導入した新自己資本比率(バゼール2)によって、内部統制の厳格化などが求められ、両行の本部負担も大幅に増加したことから、予定していた両行のシステム統合の責任者であった横内龍三頭取(現会長)が経営環境も踏まえ主導し、まず当時会長であった高向巌を説得。さらに当時の札銀頭取であった吉野次郎頭取を交え、「強い銀行ができれば、北海道経済にもプラスとなり、今まで支えきれなかった企業も支えることができる」との認識を共有し合併を決断した。合併後北洋銀は、リテール部門の強化を打ち出し、店舗再編によって生まれた余剰人員を同部門に投入した。 2012年2月20日実施の北広島支店の北広島中央支店への統合が、旧札銀側が存続店となる初のケースとなった。翌年3月8日、旧札銀本店だった札幌営業部が窓口営業を終了。3月11日より本店営業部に統合された。2008年(平成20年)10月14日に北洋銀行は札幌銀行と合併したが、それからわずか3日で親会社の札幌北洋ホールディングスはかつてない赤字を発表した。札幌銀行との合併により札幌北洋ホールディングスの連結ベースとしては自己資本比率8.2%を維持していると発表しているが、北洋銀行単独としては8.45%から引き下げられ7.7%になったと発表。リーマンブラザースの株式や有価証券運用の損失が大きく響き、北洋銀行が開業してから91年の歴史で最悪の結果となった。北洋銀行は海外に拠点の無い「国内基準行」であり、8%以上の自己資本比率規制は適用されない。その後、国からの公的資金注入で、自己資本比率を9.50に修正。(決算報告書より) 2009年(平成21年)12月31日、スキーのジャンプ台の建設会社が、札幌市内の北洋銀行とみずほ銀行、札幌信用金庫の3社から、総額約2億円の融資をだまし取っていたことが発覚した、北洋銀行の歴史上、最大の被害である。江別中央支店の元副支店長が2つの親睦団体の口座から90万円引き出した事が判明し、この副支店長は懲戒解雇処分となった。「clover」は、2006年3月3日より発行を開始したクレジット機能付ICキャッシュカード。利用者の特典として自行ATMでの時間外手数料が無料となる(他行との共同ATMを含む他行ATM及びコンビニATMでは通常通り有料)。なお、cloverはクレジット単独型も発行可能である(家族カードはクレジット単独のみ)。カードブランドはJCB・DC VISAのいずれか。2009年4月3日より自行宛振込及び住宅ローン一部繰上げ返済手数料が無料になる「cloverプラス」を発行している。また、以下の提携カードも発行している。これらのカードブランドはすべてJCBのみ。ゴールドカード以外のcloverは発行初年度年会費無料である。2年目以降は年会費が発生するが、携帯電話およびPHSの利用料金(au・NTTドコモ・Y!mobileブランドを含むソフトバンク)、または電気料金(北海道電力・北海道ガス)の毎月の支払いをクレジット決済にすることで無料となる。また、前年度のクレジットカードショッピングの利用額を10万円以上とすることでも無料になる。なお、ゴールドカードには年会費無料の特典はない。1998年投資信託販売の解禁を機に道銀と札銀は販売を開始したものの、北洋銀は当時の武井頭取の「顧客にリスクの高い商品は売らない」方針により、当初は販売参入を見合わせていた。しかし2000年には方針を転換。投資信託販売を開始した。2005年には全店での販売を始めたがと大きく出遅れた感は否めなかった。その後巻き返しをはかり攻勢。2007年3月期販売残高では、札銀販売分を含めれば道銀の販売残高とほぼ並ぶまでとなった 。指定金融機関の指定状況としては、北海道と札幌市において北海道銀行や札幌信用金庫、メガバンクを抑え、北洋銀行が指定されている。拓銀が経営破綻した際、41自治体のうち北洋銀行発祥の地である小樽市(当時の小樽中央支店長は後に小樽市長となる中松義治であった)や拓銀の前身のひとつである第百十三国立銀行の本店所在地であった函館市を始め24自治体が北洋銀行を指名した。2008年(平成20年)に札幌銀行と合併した際には同行を指定していた北広島市と当麻町も北洋銀行が引き継いだ。2013年4月22日から個人カードを対象に青森銀行とATM相互無料開放を開始した。2006年(平成18年)3月3日よりICキャッシュカードの発行を開始した。以降、管理ATMを順次IC対応に切り替え、翌年3月28日を以って全ATM(他行幹事の共同ATMを除く)がIC対応に切り替わった。2008年(平成20年)4月7日からは発行手数料を無料化するとともに有効期限を廃止した。ICキャッシュカードで利用は他行ATM及びコンビニATMでもICカード対応機種であれば可能となっている(未対応機種でも磁気ストライプでの利用が可能)。なお、ICキャッシュカードの発行については個人の顧客限定で普通預金・無利息型普通預金専用カードに限られ、代理人カード及びワンパックカードについては発行しない。北洋銀は拓銀からの営業譲渡後、両行の勘定系システム統合の検討を開始するが、当時の北洋銀の勘定系システムを開発し保守等を担っていた日立からは、同社製メインフレーム上に新規に勘定系を作って、そこに両行のデーターを収納する統合システム開発の提案を受けていた。この提案は理想的であったが、費用と時間がかかりすぎる所が難点であった。また拓銀の勘定系システムの開発等を担ってきた日本IBMからは拓銀の勘定系を元にしたパッケージを採用するよう提案を受けていた。紆余曲折を経て1998年12月、拓銀のシステム規模は北洋銀の預金口座数が約200万口座であるのに対し、拓銀は約400万口座と倍のスケーラビリティを有しており、しかも、本州の顧客も含めると700万口座を処理できる仕様となっている点や、拓銀システムの業務プログラムは部品化構造となっており、サブシステムの中から必要に応じてアプリケーションを選択してシステムの構築が可能なため、変化への対応力と柔軟性が確保されていた点を鑑み、北洋銀は総合的に判断し拓銀のシステムに片寄し、システムを統合するとの決断を下した。決定を受け、システム統合に関する最高責任者であった高向巌副頭取(のち頭取)は翌年1月には、1997年5月に東京銀行との勘定系統合を成功裏に実現させた東京三菱銀行(現;三菱東京UFJ銀行)システム部に自ら出向いて教えを乞うた。その際に得た指南をもとに自らが委員長に就任しシステム統合委員会を立ち上げた。さらに副頭取直属の組織としてシステム部を新設。またスピード最優先との助言に従い、当初予定した統合システムの稼働時期を2001年1月から2000年5月に半年以上の前倒しを決定した。この変更は物理的に不可能ともいえる難題であったが、拓銀系システムを修整せず北洋銀の業務を新システムに合わせることで期間を短縮することとした。これによって行内用語の変更や、従来、北洋銀通帳の磁気テープは横向き貼られていたのに対し、拓銀通帳は縦となっていたため、口座数の多い拓銀方式に統一された。この結果、北洋銀の既存顧客はシステム統合後、通帳の再発行が実施された。2000年5月6日、投資額約150億円、開発工数にして約3500人・月規模、開発期間15ヶ月を費やした北洋銀と拓銀の統合システムは稼働を開始した。なお運用・維持については日本IBMとアウトソーシング・サービスを締結。また運用に関しては、拓銀の情報システム要員を引き継いで設立された日本アイビーエム・ソリューション・サービス(本社:札幌市)が担当している。支店名の重複するものについてはすべて拓銀側が変更されているが、統合時の存続店舗については店舗の規模・立地条件や建物の構造や経過年数や老朽化を勘案し、が多く見られる。また、従前の北洋店が場所も含めそのまま存続したケースも少なからずある(この間に従前の北洋店同士の統合もあった)。他には、統合によって空き店舗になった北洋銀行支店跡地を札銀が支店位置移転により利用するというケースもある(北洋銀行旧函館支店が旧拓銀店・函館中央支店に統合した跡地を札銀・函館支店として、また、旧札幌駅前支店が旧拓銀店・札幌駅南口支店に統合した跡地を札銀・札幌駅前支店、等)。美幌支店については店舗を取り壊して専用駐車場にし、拓銀店舗(旧・美幌中央支店跡地)を利用した。イメージキャラクターはほっくーと仲間たちである。それ以前にはサンリオとのコラボレーションキャラクターであるアヒルのダッカードゥを採用していた。同行の各支店等の一例。

出典:wikipedia

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