MBSラジオ(エムビーエスラジオ)は、大阪府大阪市に本社を置くラジオ・テレビ兼営局である毎日放送 (MBS) の中波放送の呼称。2011年7月24日までは「毎日放送ラジオ」の呼称も同等に用いられ、おたよりのあて先などはこちらで紹介されることが多かったが、現在では「MBSラジオ」の呼称に置き換えられている。コールサインは JOOR 周波数は1179kHz(京都中継局も同一周波数)開局時は1210kHzであり、その後1180kHzを経て現在に至る。本放送の開始は、1951年9月1日、大阪市北区角田町の阪急百貨店梅田本店(現・梅田阪急ビル)の屋上に建てられたスタジオから中波放送を開始。同じ日の朝6時30分に開局した名古屋市の中部日本放送(CBCラジオ)に続いて正午に放送を開始した。第一声は、坂本登志子アナウンサーの「"JOOR、みなさまの新日本放送でございます。"」であった。開局当初は、『うっかりテスト』、『知らぬが佛(ほとけ)』、『バイバイ・ゲーム』、『おたのしみヒント』といった、一般参加のバラエティ番組が中心の編成だった。ネットワークはJRN、NRNにそれぞれ加盟するクロスネット局である("該当項参照")。2010年4月から、「ラ・ラ・ラ ラブラジオ 1179 MBS」というキャッチフレーズを使用。それ以前は「MBSラジオはOKステーション」で、その前は「耳のごちそうMBS(毎日放送)ラジオ1179」であった。2013年4月からは、プロ野球中継の『MBSタイガースライブ』などでのステーションジングルで、(周波数に「7」が入っていることにちなんで)「ラッキー7(セブン)のあるラジオ MBSラジオ」というキャッチフレーズも使用している。FM補完中継局(ワイドFM)開始年の2016年1月からは、「MBSラジオもFA宣言!!」(FA=FMのFとAMのAを合わせたもの)を新たなキャッチフレーズに使用している。新聞の番組表表記は1958年の新日本放送から毎日放送に社名が変更されて以来、長年に渡って「毎日放送」「毎日 MBS」「毎日ラジオ」「毎日」と各紙によって異っていたが、2011年7月24日にテレビ部門の地上デジタル放送完全移行を機に、同日から「毎日テレビ」の表記が「MBSテレビ」に変更されることに伴い、ラジオもこれに準拠して「MBSラジオ」(または「MBS 毎日」「MBS」)の表記に変更された。日本国内の放送局が編成する天気予報では初めて、日本気象協会の担当者が直接概況を説明する方式を導入。現在でも、夜間~早朝の時間帯を除く放送で、この方式を継承している。その一方で、テレビ・ラジオとも、関西ローカル向けに放送する天気予報の呼称を「お天気のお知らせ」にほぼ統一。ラジオでは、押尾コータロー・DEPAPEPE・NAOTO (ヴァイオリニスト)などが演奏するインストゥルメンタルを、天気予報や交通情報のBGMに採用している。ラジオを聴きながら歴史のある場所などをウォーキングするリスナー参加型イベントラジオウォークを1982年(昭和57年)に国内の放送局ではじめて実施した。このイベントは、現在に至るまで、毎年早春(2011年までは2月11日、2012年以降は3月20日)に開催されている。2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)のため、3月13日・19日・20日に深夜番組の一部を休止する代わりに、上泉雄一(毎日放送アナウンサー)の進行でフィラー番組として「ミュージックアワー」を放送。洋楽や洋画のサウンドトラックを流す合間に、番組の放送休止告知や地震関連ニュースを随時挿入した。本放送の開始から65周年を迎えた2016年9月には、開局当初スタジオを設けていた阪急百貨店うめだ本店の屋上に、"民間放送誕生の地"を示す記念の銅製プレートを設置した。また、65周年記念のステーションソングとして、「Thank you! Happy today!~MBSラジオのうた~」(かつて『MBSヤングタウン』でパーソナリティを務めていたつんく♂のオリジナル曲)を発表。同月5日(月曜日)からは、自社制作・平日帯ワイド番組のパーソナリティ(子守康範・浜村淳・松井愛・近藤光史・上泉雄一)と味覚糖によるコラボレーション企画として、「あめちゃんでつながろう!プロジェクト」を地域・期間限定で展開している。さらに、ワイドFMの周波数が90.6MHzであることにちなんで、この年から9月6日を「MBSラジオの日」に制定。2016年9月6日には、『ありがとう浜村淳です』の放送中に、日本記念日協会から記念日としての登録証が授与された。通常の放送は原則として毎週日曜深夜に当たる月曜1:00-4:53に放送休止枠を設けており、この時間帯は送信所の大規模な改修工事でない限りはフィラー音楽を放送している。但し、年末年始や年2回行われる聴取率調査期間など、特例により終夜放送となる日もある。2007年1月8日から2月11日まで、毎日放送高石ラジオ送信所の工事(送信所のアースワイヤーの交換)のため、終夜放送を休止した。この期間の放送休止時間帯は次の通り。工事の間は、月曜から木曜の21時から23時55分まで放送の『ナニワ音楽ショウ』と金曜21時から23時55分まで放送の『U.K. BEAT FLYER 1179』が、それぞれ23時20分までの放送となり、『MBSニュース最終便』以降の番組が繰り上げて放送されたが、『ぷらっと☆ホーム』と『ラジオの達人』などが工事期間中は休止された。2月12日未明から通常通りの終夜放送を再開した。在阪民放AM局共通して言えることだが、中国・四国地方・東海地方へのスピルオーバーが大きいが、放送対象地域内の近畿地方では中継局が京都1局のみのため、近畿北部・近畿南部では受信状態が良くなく、近畿中部でも一部地域は受信状態が良くない。出力が50kWと高く、夕方から翌朝にかけては電波が電離層に反射されるため、首都圏、中京圏、北陸地方にも電波が届くため遠距離のリスナーも少なくない。夜間は、場合により茨城放送水戸本局 (1197kHz) と混信することがある。1980年代、ラジオ送信所の深夜工事実施時に(当時の)演奏所である千里丘放送センターから直接、1kWの減力放送を行っていたことがある。ベリカードも減力放送バージョンが制作・交付された。>送信機としては基本的にはNECのPWM-AM送信機(MBT-8000シリーズ)を用いるが、一時期予備機としてNECのデジタルAM送信機(MBT-9000シリーズ)をニッポン放送に先駆けて1990年代に臨時に設置し、試験放送にも使用した。2010年2月28日まで使用される送信機についてはAMステレオタイプであること以外公表されていないが、2010年3月1日よりモノラルタイプに変更された。番組制作・CM制作・番組搬入用の録音メディアとしては、2000年代後半においてPro-MOを積極的に採用している。親局・京都局ともにAMステレオ放送を実施していたが『2010年2月28日を以てAMステレオ放送を終了し、送信機更新工事後の翌3月1日より従前のモノラルに戻す』旨が公式サイトで発表され、理由は「送信機更新にあたり、AMステレオ放送維持に必要な装置が既に生産終了となっており、メンテナンスの保証が不可能となった為」としていた。そして、同年2月28日深夜(3月1日未明)の放送終了時をもって、東京・大阪の二大都市圏で初めてAMステレオ放送の運用を終了した。2011年秋からは、大阪市内でケーブルテレビサービスを提供するJ:COMの一部エリアを対象に、データ放送の音声送信機能を利用したコミュニティチャンネルによるラジオ放送再送信の実証実験を実施。大都市圏では初の試みで、MBSラジオでも実験を告知するスポットCMを随時放送していた。2012年4月23日からは、大阪府・兵庫県・京都府・和歌山県のJ:COMエリア全域で、コミュニティチャンネル(12チャンネル)のデータ放送を利用した全日無料再送信を本格的に実施。2013年7月から2015年3月までは、J:COM関西との共同制作番組『魁!!なすなか塾』を、MBSラジオ・J:COM関西コミュニティチャンネル(11チャンネル)の双方で放送していた(2015年4月以降はJ:COM関西の単独制作・放送へ移行)。2010年3月15日から、ほかの在阪ラジオ5局と共同でインターネットでのサイマル放送「radiko」を試験的に開始した。ただし、同年11月30日までは配信エリアを大阪・京都・兵庫・奈良の2府2県に、同年12月1日からは、滋賀県・和歌山県を加えた関西2府4県のみに制限しながら、他の在阪民放ラジオ局とともに本格的な運用へ移行していた。2014年4月1日から運用を開始した「radiko.jpプレミアム」については、関西地方の「radiko」参加局で唯一、開始時からの参加を見送った。ただし、運用開始直後から、「参加について様々な検討を行っている段階」として今後の参加に含みを持たせていた。8月11日には、9月1日の12:00頃から「プレミアム」向けの配信を開始する予定であることを正式に発表。9月1日には、当初の予定より早く、生ワイド番組『上泉雄一のええなぁ!』の11時台から配信を開始した。ただし、配信開始の時点では、『アッパレやってまーす!』の木曜日と『テゴマスのラジオ』(いずれもジャニーズ事務所所属のタレントがパーソナリティを務める深夜番組)と、NTTドコモのCMは配信されず、フィラーとなる(関西地区のradikoプレミアム会員は対象外)。毎日放送では、AM放送のサービスエリア内における難聴・災害対策を目的に、総務省へFM補完放送(ワイドFM)の免許を申請。その結果、朝日放送(ABC)・大阪放送(OBC)と共に、2015年7月27日付で予備免許を交付された。予備免許の交付後は、試験電波の発射を経て、2016年2月29日付でABC・OBCと共にFM補完中継局本免許を交付。3月19日(土曜日)の12:00に編成する『ほんまもんのワイドFMをハッキリ愛して』(MBS・ABC・OBCの共同制作・同時生放送による特別番組)から、従来のAM放送と並行しながら、関西地区のラジオ局では初めて生駒FM補完中継局からの本放送を開始した。周波数は90.6MHzで、大阪府のほぼ全域と兵庫県・京都府・和歌山県・奈良県の一部をサービスエリアに設定。2015年入社のアナウンサー・玉巻映美が、MBSラジオの「ワイドFM大使」として、ABC・OBCの番組やPRイベントにも登場している。MBSラジオでは、本放送開始前の2016年2月から、「MBSラジオはFA宣言!!」(上記のエリアでFM補完放送とAM放送を同時に実施することを日本プロ野球のFA<フリーエージェント>宣言になぞらえたキャンペーン)を単独で展開し、周波数90.6にちなんで阪神タイガースの高山俊(背番号9)、大和(背番号0)の両選手と、金本知憲監督(背番号6)をポスターに起用している。また、2016年が(新日本放送時代からの通算で)AM放送の開始から65周年にも当たることにちなんで、ワイドFM対応・LEDライト内蔵のポータブルラジオにMBSラジオオリジナルの付属品を入れたセットを完全受注生産方式で提供。本放送開始の直前には、希望するリスナーから抽選で進呈した後に、ラジオショッピングや自局で運営するショッピングサイトを通じて数量限定で販売していた。同年4月改編からは、ワイドFMの周波数にちなんで月 - 土曜日の深夜(火 - 日曜日の未明)に編成する音楽系の番組に「MMZ(MBS-FM MUSIC ZONE)906!」という共通のタイトルを冠している(同年10月改編では、全社的コンセプト「MBS +music」と統合して「+music 906!」と改称)。MBSの聴取率は開局以来長らくライバル局ABCの後塵を拝していた。ABCの人気番組に自社制作が多かったのに対し、MBSはほとんどが東京のTBSラジオか文化放送制作の番組であった。とりわけJRN発足前後(1964〜1966年)は日中ずっとTBSラジオの番組をそのまま放送していたこともあり、在阪局最低の聴取率にまで落ち込んでいた。その後、『ありがとう浜村淳です』、『ごめんやす馬場章夫です』などの生ワイド番組をはじめとしたローカル向け編成に徹し、聴取率は着実に回復。1980〜1990年代後半までは全日で在阪局トップに躍り出た。2000年代に入っても首位を独走する時期が長く、2005年6月実施の聴取率調査でも在阪局トップとなった。その一方で、1999年に平日『MBSヤングタウン』の打ち切りや、川村龍一、諸口あきら、馬場章夫らが平日昼間の番組から次々と引退。現在でも平日深夜時間帯やナイターオフシーズンを中心に、在阪FM各局(FM802やエフエム大阪など)に押されている。特に平日深夜ではFM802開局後、若年層のリスナーがFMに流出したため、平日『ヤンタン』の打ち切りの前後からは番組路線・編成がたびたび変わっている。また平日昼間時間帯でも、在阪局の聴取率で常に上位へ食い込む『ありがとう浜村淳です』以外は、苦戦を強いられていた。それでも、日曜早朝に放送されていた『勝谷誠彦の志ジャーナル』(現在は終了)や、平日午後の『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』が高い聴取率を記録したことがあるが、FM局には昼間時間帯でも劣勢を強いられている。2009年4月には、自社制作番組を編成してきた平日の深夜帯にJRN・NRN系の箱番組を組み込むなど、大規模な番組改編を実施。放送枠の拡大・移動分を含めて、改編率は局史上最大の53%にのぼった。同年6月の聴取率調査では、ABCを抜いて、初めて在阪局の単独首位に立った。これに対して、ABCでは、調査直後の7月改編で自社制作番組を大量に終了。平日には、深夜帯のみならず、夜間にも東京発のJRN・NRN同時ネット番組が並ぶようになった。ちなみにMBSでは、同年10月の改編でも、自社制作番組の比率を高い水準で維持している。スポーツ中継では近年、『MBSベースボールパーク』が好調である。ただし、プロ野球以外の伝統的なスポーツイベントでは、聴取率の伸び悩みなどから中継体制を徐々に縮小している。京阪神地区の聴取率調査の対象期間となる年4回(4月、6月、10月、12月)の各1週間において「MBSラジオスペシャルウイーク」と銘打ち、MBSラジオ全体でのキャンペーンや各番組においてのプレゼントや、ゲスト出演などが用意されることが恒例となっている。近年は若干控え目であったが、聴取率で首位を奪回してからは、生ワイド番組との同時放送形式でテレビCMを流すなどの積極姿勢に転換。2010年の10月改編では、番組改編率が過去最低の13.8%にとどまった。2012年には、4月・6月の調査において、対象区分(6時 - 18時・6時 - 24時・5時 - 29時)の全てで在阪局の首位を記録。2001年6月にビデオリサーチが自主調査を開始してから初めて、2期連続で全時間区分での首位を達成した。また、CMセールスのシェアについては、1999年から在阪5局のトップを維持している。時報前のCMについては、少なくとも1978年から1980年代の初頭までは、当時存在していた小林脳行が時報前のCMスポンサーに付いていた。しかし、同社は1984年に倒産(1985年に小林製薬へ営業権を譲渡)。その前後から2012年12月31日24時(2013年1月1日0時)までは、長きにわたってめいらく(スジャータ)のCMが流れていた。「スジャータ」のCMは、収録時期の古い旧版と、後に収録された新版に大別される。MBSラジオでは、時報が流れる時間帯のうち、1時・4時・7時・10時のみ旧版のCMを放送していた(それ以外の時間帯には新版)。1990年代中盤には一時、「スジャータ・IFCコーヒー」のCMも放送。2011年10月1日からは、新版に子供のコーラスを追加したバージョンも流れていた。めいらくはMBS以外にも、HBCラジオ(北海道)・TBCラジオ(宮城県)・文化放送(関東広域圏)(日曜日を除く)・CBCラジオ(中京広域圏)・RKBラジオ(福岡県)でも同様の時報CMを放送していた。しかし、2012年12月31日の24時で、一斉に時報前のCMを終了した。2013年1月1日1時の時報からは、CBC・QR・RKBとともに、めいらくの単独提供をユニー・サークルKサンクス(いずれもユニーグループ・ホールディングス傘下)による共同提供へ移行。奇数時にはサークルKサンクス単独のCM、偶数時には「アピタ・ピアゴ」(ユニーが運営するスーパーマーケットのブランド)か「アピタ・ピアゴ・サークルKサンクスのスタイルワン」名義のCMを2014年3月31日までそれぞれ流していた。ユニー・サークルKサンクスが地元・CBC以外のラジオ局の時報CMの提供から撤退した2014年4月1日からは、MBSの独自制作によるヤマダ・エスバイエルホーム(MBSの地元・大阪市北区に本社を置く住宅メーカー)のCMを、時報前に放送。高井美紀・田丸一男・松川浩子・松本麻衣子・河本光正(いずれも毎日放送アナウンサー)によるアナウンスの音源を、交互に使用していた。2014年10月1日から、時報のスポンサーを、大阪市北区に本社を置くECCに変更。時報CMでは、「ECCジュニア」を実際に受講している渡邉このみ(MBSの地元・大阪府出身の子役女優)などが英語を披露している。なお、時報スポンサーの変更を機に、時報アナウンスも「○時をお知らせします」から「○時です」に変更した。ラジオはTBSラジオをキー局とするJRNと文化放送・ニッポン放送をキー局とするNRNの双方のネットワークに属する(プロ野球及び競馬中継のネットワークは複雑である。詳しくは『MBSベースボールパーク』、『GOGO競馬サンデー!』を参照)。ラジオのニュース番組は、JRNのネットワークに参加している。開局当初、電通が多くの枠を引き受けていたこともあり、ラジオ東京(JOKR。現在のTBSラジオ)、中部日本放送(CBC。現在のCBCラジオ)とネットを組むことが多かった。その後、日本文化放送(NCB。現在の文化放送)の開局に伴い、同局ともネットワークを組み、CBCとの三社で共同制作を行った『青空会議』は街頭録音番組の代表的な番組になった。また、ラジオ東京と組んでいた大相撲中継のネットワークも文化放送と組み直して継続した。また、毎日新聞社の資本関係の都合で、ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)とのネットを行ったものもあった。その後、娯楽番組は文化放送やニッポン放送(JOLF。1954年開局)と共同制作を行うことが多くなり、特にニッポン放送とは「FOLスポーツネットワーク」をRKB毎日放送(RKB)と共に結成して、プロ野球中継等スポーツ中継での共同制作を行った。(FOLは各局のコールサイン…FR[RKB]・OR[MBS]・LFの頭文字を組み合わせた物)。1964年、TBSラジオの提唱により、同局昼枠『オーナー』の同時ネットをRKBと共に行った。翌1965年このネットワークを母体としてJRNが発足。ABCと共に加盟した。発足記念特番は同一番組をABCと時間を分け合って放送した。次いでNRNにも加盟。NRNには当初ラジオドラマなどを制作して放送するなど、積極的に参加していた。開局当初は毎日新聞社が編集権を持つ『毎日新聞ニュース』を放送していたが、1974年に自社取材物や共同通信社等の通信社発のニュースも素材に含めた、自社編集の『毎日ニュース』に切り替わった。全国ニュースは、1965年までは全国各局の報道素材を自由に交換し合っていたが、JRN・NRNの発足で事情が変わり、JRNはABCが、NRNはラジオ大阪が原則として担当することとなり、締め出された形のMBSは毎日新聞社の全面協力の下、自主取材を行った。特に報道激戦区の東京地区では東京支社のスタッフがキー局に混じりながら自由に取材活動を行っていた。但し、例外的にJRNでは『オーナー』のニュースショーや日曜薄暮の『ニュース新幹線』(いずれも1965〜1966年)、NRNでは『お早うネットワーク』のネット受けと共同制作を行っていた。1975年のテレビのネットチェンジを受け、JRNニュースネットワークにも本格的に参加。現在はJNNから配信を受けたニュースも伝えている。なお現在ニュースタイトルは、テレビのローカルニュースと同じ『MBSニュース』となっている。MBSには現在でも、ラジオ・テレビ併営局としては全国でも珍しいラジオ報道部(毎日放送ラジオ局報道部)が存在。東京支社に国会取材担当の記者を常駐させるなど、独自の取材活動を展開するかたわら、報道・情報系の生ワイド番組や衆議院議員選挙・参議院議員選挙の開票特別番組を制作している。毎年大晦日には、特別番組として『ニュースタックル』を制作。かつては、『諸口あきらのイブニング・レーダー』以降の平日夕方生ワイド番組や、『はやみみラジオ!水野晶子です』(平日早朝)『特集1179』(ナイターオフ番組)『MBSナイトアングル』『MBSニュースレーダー』『RadioNews たね蒔きジャーナル』『ネットワーク1・17』(平日夜間)などの制作に携わっていた。2012年度のナイターオフ編成では、他部署と共同で『with…夜はラジオと決めてます』シリーズ(後述)を制作。また、この編成から、通年番組として『報道するラジオ』をレギュラーで制作している。開票特別番組では、本社・東京支社のラジオスタジオ・主要政党本部内の特設ブースを結びながら、全国の情勢速報を自社制作で放送。ラジオ報道部の記者が自ら激戦区を取材するほか、記者やMBSのアナウンサーが近畿地区の有力候補事務所や各党本部から情勢を報告したり、スタジオから各党の首脳や注目の候補者にインタビューを実施したりする。いずれもM館に設置され、γスタジオ以外は生放送対応。生ワイド番組は基本的にαスタジオとβスタジオを交互に使用する。交互に使う体制は千里丘時代から行われており(ラジオ第6・第7スタジオの交互使用)、次の番組の放送準備がしやすいメリットがあるため、茶屋町への移転後も引き続き行われている。茶屋町スタジオの完成当時は双方のスタジオの様子を把握するため、両スタジオにカメラとモニターが設置されていた。東京都港区赤坂5丁目3番1号赤坂Bizタワー28(赤坂サカス内)過去
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