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世界まるごとHOWマッチ

『世界まるごとHOWマッチ』(せかいまるごとハウマッチ)は、1983年4月7日から1990年4月5日まで、TBS系列ほかで放送されていた毎日放送(MBS)とイースト共同制作のトークショーを兼ねたクイズ番組である。放送時間は開始当初毎週木曜22:00 - 22:54 (JST)だったが、1984年10月4日より同じ曜日の20:00 - 20:54 (JST)に移動した。現代の世界におけるさまざまな珍品、名品、豪華な品物を現地取材によるレポートとスタジオの司会者、解答者とのトークを交え、値段を予想するクイズ形式で紹介する。解答者の答えを出すときには「せーの、HOWマッチ!」という決めゼリフがあった。同じく海外の話題を扱ったフジテレビ『なるほど!ザ・ワールド』が海外レポートをメインにやっているのに対し、本番組はどちらかといえばスタジオでのトークがメインで、中でも司会の大橋巨泉と解答者のビートたけしの毒舌合戦は目玉の一つだった。放送開始当初の視聴率は苦戦したが、たちまち人気番組となった。番組開始当初は22:00からのスタートだったが、好評のため20:00に放送時間が移動した。番組が20時になってからは、特別番組(同じ曜日の『ザ・ベストテン』拡大版など)の都合で22時になった回に合わせて、「今日は大人の時間だから」と意図的に女性の裸など性的な内容を取り上げるようにしていた。番組最高視聴率は1984年5月31日に放送した回の33.8%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)。視聴率は安定していたものの1990年4月5日、巨泉の「セミリタイア」により終了した。※番組開始当初は解答者は6人だったが後に5人に変更、解答枠は右側から1枠とする当初はこれに沢田亜矢子もレギュラーで参加していた。たけしがフライデー襲撃事件により番組出演を休止していた時期、たけしが番組復帰するまでの2枠は、タレントや文化人などのゲスト枠となっていた(鶴瓶が一番多く座っていた)。ただし、この番組では巨泉が長期休暇でも出演しないということはなかったので大量に録り溜めしており、フライデー事件の後も何か月もの間「この番組は○月○日に収録されたものです」というテロップつきでたけしが出演していた。録り溜めが切れた後の最初の放送でそのことがネタにされ、石坂が「一体いつまで“何月何日に収録うんぬん”ってやっているんですか」と巨泉に突っ込んでいた。一般に外国人解答者は日本人解答者より安い値段を答える傾向にあったため、巨泉はケント・ギルバートを「ケント・ネギルバート」(「値切る」と掛けている。名付け親は一視聴者)、チャック・ウィルソンを「ケチャック・ウィルソン」(「ケチ」と掛けている)「けち・やくお」(同じく一視聴者からのネーミングに由来)と呼んでいた。番組開始当初は小倉智昭(後番組の『世界まるごと2001年』のナレーションも担当)を含めて数名でナレーションを行っていたが、「小倉のナレーションが一番面白い」という制作側の意向で、以後小倉が一人で担当することになった。番組冒頭のタイトルコールも小倉が行っている。この番組が小倉の出世作であり、「七色の声を持つナレーター」として有名になった。特に、当時石坂浩二がナレーションを務めたNHKのドキュメンタリー番組『シルクロード』や、久米明がナレーションを務め、日本テレビ系で放送された『すばらしい世界旅行』などのパロディナレーションは定番であった。その一方で、時に「お色気問題」などではハイテンションなナレーションをすることがあり(例としてビーチで寝転んでいるトップレスの女性が映ると「もっと見せろ〜!」と絶叫するなど)、出題VTRが終わった直後に巨泉が「小倉のバカ野郎!!」や「何を考えているんだ小倉は!!」と情け容赦なしにダメ出しとツッコミを入れていた。まれに、モノトーン口調でナレーションをすると「今日の小倉は、一体どうしたんでしょうか?」と、巨泉から突っ込まれていた。また、番組の性質上、ナレーターとは別に現地の出題者の吹き替え用に多くの声優が起用されたが、その中でも特に人気を博したのが及川ヒロオ。あまりにも独特な吹き替えを連発したため、特番で及川の吹き替えばかりを集めたコーナーが登場したこともある。一方で吹き替えられた映像を観た本人から「俺はあんな風に大げさに喋っていないぞ」と苦情が来たこともある。オープニングテーマやBGM関係(出題VTR以外)を手がけたのは前田憲男。テーマ音楽のメロディーはNHK『クイズ面白ゼミナール』、TBS『ギミア・ぶれいく』、テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』(いずれも前田が作曲)によく似ている。巨泉との交友関係が深く、一度ゲスト解答者として出演もしている。オープニングテーマはCD「ブロードキャスト・トラックス 毎日放送編」に収録されている(小倉の「大橋巨泉の世界まるごとHOWマッチ」のタイトルコールつき)。このオープニングテーマの一部は、ホールインワン賞獲得時(冒頭のファンファーレ部分のみ。但し、最初期放送分を除く)、ニアピン賞が10本溜まった場合(これもホールインワン賞と同じく、冒頭のファンファーレ部分のみ)、ロストボールが10本溜まった場合(最後の一節のみ)にも流れていた。各回問題は全部で4問。初回は5問用意されていたが、巨泉がエンディングで「もう1問あったのに時間なくなっちゃったよ」と言っていた。また問題は全問近似値クイズで構成されており、正解との誤差によって解答者に賞が贈られていた。問題はいずれも、世界各地のさまざまなモノ・サービスをVTRで見て、その対価を現地通貨で答えるというもの。このとき、参考としておおよその対日本円レートと、現地通貨の紙幣が紹介される。解答はフリップに書いて答える。アメリカからの問題は毎回必ず出題されていた。「せーの!!HOWマッチ」のシュプレヒコールのあとに3打音のジングルが鳴り、ほどなくすると巨泉が「○○さん、?ドル」と言うと西村はそれに続いて日本円の換算額を言う。全員の回答が出そろったところで、「それでは○○さん、おいくらでしょうか?」と巨泉が出題した現地の人にキューを振って正解VTRを再生するが、出題編とは異なり、ボイスオーパーの吹き替えではなく字幕スーパーを表示して、現地の人が正解金額のフリップ(最初は番組ロゴと巨泉の肖像画→その後裏返して金額発表)を出す。その後あらためて、キャッシュレジスターの金額表示に倣ったロール字幕で正解金額を改めて表示する。普通のクイズ番組と違い、トップ賞は決めてはいなかった。ただ、リバイバル版の「世界バリバリ☆バリュー」は当日分の結果でトップ賞を決めた。正解に対する「賞」はゴルフに見立てたものとなっていた。ニアピン賞のトロフィー贈呈および没収とデビル人形の置き飾りおよび返却は女性アシスタントが担当していたが、その日の最終問題でロストボールが発生した場合は、巨泉自らがコメントを言いながらトロフィーを没収した。また、同じく最終問題でロストボールを出した石坂浩二が、自らトロフィーをロストボール専用の棚に置きに行ったことがあった。最終回に近づくにつれ、ニアピンを賭け出すという「プッシュ(方式)」も出だし、たけしがこの方式を頻繁に行っていた。このような形式のクイズはフジテレビ『ズバリ!当てましょう』のルールとほぼ似ている。出題時には参考として、現地通貨と日本円のおおよその換算レートが紹介されていたが、経済・政治などの情勢の変化に応じた通貨単位やレートの変化から、そうした国際的な経済情勢を感じ取ることができたのも、この番組の特徴であろう。とりわけ放送当時の1980年代、中南米諸国の経済危機によるハイパーインフレへの対応から頻繁に通貨が切り上げられ(ボリビアの通貨の換算レートが10,000ボリビアペソ=0.1円ということがあった)、時にはいくつかの現地通貨の呼び名が頻繁に変わるなど(ブラジルのクルゼイロ→クルザードなど)していたことや、先進国においても1985年のプラザ合意による急速な円高ドル安が進行したことなども、そうした視聴者の印象を高めたと考えられる。ちなみに、番組開始の時点での米ドルは1ドル約240円だった。解答を日本円ではなく現地通貨で当てる方式のためか、珍解答がしばしば出た。中でもアメリカのとある豪邸を当てる出題時(1987年11月5日放送)で、3枠ゲストの井森美幸が「7千兆ドル」(当時のレートで約98京円)という余りに巨大過ぎる金額の解答に、たけしは「(次の人は)飛ばしましょう」と呆れ返り、西村知江子も「分かんないですね。天文学的数字です」と苦笑しつつコメント。それでも井森は「訳も有るんです」と理由を説明したが、石坂は立席したまま失笑が止まらず、巨泉も吃驚仰天しながら井森に「あなたの書いた値段というのは、アメリカ全体の国家予算よりまだ高いんだよ」と返していた(後日井森が『クイズダービー』に5枠ゲストで2回目に登場時、巨泉から「恐怖の7千兆ドル、井森美幸ちゃんでーす!」と紹介されている)。ほか同じく井森の「500億マルク」(当時のレートで約4兆円)等のような巨額の値段を書いた場合、本来なら解答者が書いた金額を西村が円計算して発表する処が、「計算出来ません…」と拒絶されることも多々あった。また、ハンガリーからの唐辛子に関する問題(1987年1月8日放送)で、草笛光子は「700万(フォリント)」と表示した際、西村は「11億2000万円です」と発言後にスタジオは思わず爆笑、巨泉も司会席から立ち上がって駆けだしてしまう程だった。草笛はこの日のエンディングで、あまりのバツの悪さにその場から抜け出そうとした為、巨泉から「30年来の友達じゃないの。そんな逃げないでよ」と宥められたが、「もう生きてるのイヤ!恥ずかしくって…」とこぼしていた。さらに1988年11月3日放送分の3問目、すなわちセネガルからのゴルフのようなものに関する問題で、ゲスト解答者だった松崎しげるが「25CFAフラン」と表示した際、西村は「12円50銭です」と発言した(のちに松崎は「250CFAフラン(約125円)」と書き直すが、正解は「500万CFAフラン(約250万円)」で、ご多聞にも漏れず結果はロストボールだった)。特別番組として放送された『クイズまるごと大集合』では、まれに日本国内の問題が出題されたが、律儀にも換算レートが「1円=1円」と表示されていた。通常問題とは別に視聴者プレゼントクイズが1問あった。3問目終了後必ずサイレンが鳴って「今週のプレゼントクイズ」と□で囲った字幕スーパーが回転しながら表示され、いったんCMを挟んでからこのコーナーに入る。このときはフリップを使わず、巨泉が解答者に1人ずつ問いかける形で答えを聞き出し、巨泉から正解に近い解答者の答えを応募の目安にしていたが、時にはホールインワン賞に相当する答えを出したこともしばしばあった。稀に巨泉が1989年11月2日放送分に出題された「ハンガリーのチェーンブリッジ 1時間分の照明料金」のように「何千何百と書いてください」と視聴者にアドバイスしていたこともあった(翌々週の正解発表における答えは4,700フォリント(約9,400円)だった)。視聴者プレゼントにも解答者の解答状況が影響した。通常は、番組開始当初は10桁を計算できる電卓、あるいはプレゼントクイズのお題になった商品そのもの、ないしは番組スタッフが現地から持ち帰った土産品、後期は世界時計(番組タイトルとMBSのロゴ入り、稀に前述の土産品とセットになることもあった)がプレゼントされていた。しかし、ホールインワンが発生した場合、またはニアピン・ロストボール(ロストボール棚のデビルも含む)が10個となった場合には、プレゼントクイズ正解者から1組2名のカップルにハワイ旅行(末期は、プレゼントクイズの出題地の海外旅行)が贈呈された。また、デビル人形が10個たまった場合、ためてしまった解答者が自費で視聴者に世界一周旅行をプレゼントするルールもあった。なお、世界時計のプレゼントがあった場合は、賞品紹介の際に巨泉じきじき「ご好評いただいております(または単に"ご好評の")、世界時計を…」と言うお約束事があった。プレゼントを世界時計のみにした理由としては、例として1988年11月3日放送分の「アメリカのゴルフクラブ 1本のお値段は?」のように巨泉が「皆様に古いクラブを差し上げても仕方がございませんので…」や、1989年3月2日放送分の「ベトナムの髪の毛 1束のお値段は?」のように同じく巨泉が「髪の束を差し上げるわけにもいきませんので…」のセリフなどが挙げられる。プレゼントクイズのあて先はMBSであるが、大阪ではなく、東京あてとなっていた。正式にはMBS東京支社制作の番組として扱われていたためである。(他のMBS東京支社の番組の一部もあて先がこれに該当するものがあったが、同じMBS制作TBS系列で放送されていた『世界ウルルン滞在記』についてはスタジオ観覧は東京、プレゼントは大阪あてだった)正解発表はその問題を出した2週間後に発表されるのが慣例。最終回のプレゼントクイズについては、後番組『世界まるごと2001年』の第2回目に正解と当選者発表があった。この慣例は『2001年』でも同様に続いた。これは後述のネット局一覧に注釈したとおり、一部の遅れネット局でもプレゼントに応募できるように配慮したためだった。なお、このパターンは、「新・チューボーですよ!」でも見られる。後継番組として、本番組のスペシャル『クイズまるごと20世紀』をレギュラー化した『世界まるごと2001年』が1990年4月12日から1991年3月28日まで放送された。巨泉はスーパーバイザーとして番組に携わり、顧問(後に御意見番的なジジィという意味を込めて“今週の彦左衛門”と紹介されていた)として数回出演した。番組は大阪のMBS制作であるが(MBS側の担当は営業、CM出し、スポンサークレジット出し)、東京支社での制作のため番組収録は東京のTBS・旧Hスタジオ(番組初期)と渋谷ビデオスタジオ(同後期)で行われていた。セットは1989年4月の1度、リニューアルがなされている。この球状オブジェおよび地球儀はオープニング・提供バックの映像にも使われていた。※系列は放送当時のもの。

出典:wikipedia

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