六本木(ろっぽんぎ)は、東京都港区の地名。現行行政地名は六本木一丁目から六本木七丁目。港区北部に位置し、北で南青山、東で赤坂、南東で虎ノ門、南で麻布台・麻布永坂町・麻布十番・南西で元麻布、西で西麻布と接する。なお、東麻布とは僅かに接していない。旧・麻布区に属し、六本木一丁目、六本木二丁目、六本木四丁目、六本木五丁目の高台地域は番町、市谷船河原町、市谷砂土原町、そして赤坂の高台地区と並び特に六本木四丁目のフランシスカン・チャペルセンター周辺と六本木五丁目の鳥居坂周辺は1990年代前半頃までは独特の佇まいを残していた。現在は繁華街というイメージが強い傾向にある。また、六本木ヒルズや泉ガーデンといったビジネス街や高級マンション、大使館も多くもあり、多面的な顔を見せている。現在の六本木の町域は大半が武家地だった区域だが、江戸時代の「六本木町」は門前町で、現在の六本木交差点付近の狭い範囲を指していた。明治以降の「六本木町」は、寺院や大久保加賀守(小田原藩主)家の下屋敷跡などを含む範囲になった。武家屋敷跡がお屋敷町になった。湧き水や地下水に恵まれ金魚の養殖が盛んであった。六本木近辺には日本軍の軍事施設が置かれ、兵隊の町でもあった。龍土町(現・六本木七丁目)には1936年(昭和11年)の二・二六事件にも参加者を出した歩兵第三連隊があり、隣接する赤坂区檜町(現・赤坂九丁目)には歩兵第一連隊があった。六本木は、明治時代-昭和初期にかけて麻布区に属し、戦後麻布区から港区になったが、住居表示実施前の六本木五丁目と六本木六丁目、六本木七丁目の一部は「麻布六本木町」という麻布の筆頭町名であった。行政区分や警察署・郵便局の管轄も、六本木は麻布管内となっている。昭和40年ごろの六本木の地価は坪40万円で、麹町に次いで高かった。1967年7月1日に、この六本木町のほか、龍土町・三河台町・今井町・材木町・鳥居坂町・東鳥居坂町・永坂町(約半分)・飯倉片町(の一部)・北日ヶ窪町など麻布地区北部一帯の住居表示が実施され、六本木一丁目から六本木七丁目までの7か町に整理再編された。地名の由来は、などがある。六本木近辺の軍事施設は太平洋戦争中の空襲で焼失。終戦に伴い、日本の占領にあたった連合国軍に接収される。そのため、外国人向けの商店や飲食店が少しずつ出来るようになる。また、1950年代後半にはNET(日本教育テレビ、現・テレビ朝日)が開局し、この頃に六本木族が登場する。1960年代に入ると日本料理の瀬里奈を始めとして中華料理の香妃園や魯山、イタリア料理のアントニオなどが芸能人やファッションモデル、来日した海外のスターらが出入りする店として徐々に知られるようになった。1960年代後半からは高台以外の住宅街へ押し入るように外国人や日本人向けの飲食店、若者向けのサパークラブ、ゴーゴークラブなどのオープンが続き、結果として住宅街から繁華街へと姿を変え、1975年(昭和50年)以降は赤坂に代わる人気プレイスポットとして有名になっていく。1980年代後半からのバブル経済期には六本木スクエアビルを中心としてディスコだけで数十軒が立ち並び、大衆化が進むとともに活況を呈したが、その後バブル経済の崩壊とともに1993年(平成5年)以降は多くの店が閉店し、カラオケ店やキャバクラなどに衣替えした。現在、平日は昼夜を問わずサラリーマンやOLの姿が目立ちオフィス街としてのイメージも強くなった他、六本木一丁目にはスペイン大使館、スウェーデン大使館などの外国公館や、六本木七丁目のアメリカ軍施設(ヘリポート、星条旗新聞社ほか)などもあり外国人の姿も目立つ。週末の金・土曜夜になるとバーやクラブ、キャバクラなどが林立する繁華街の様相を呈する。クラブ目当ての若者や外国人のほか、キャバクラ嬢や外国人の客引きが街頭に出ている姿が見られる。また、傷害事件やカジノ賭博・麻薬密売等の違法行為も存在し、時折検挙等により明るみに出ることがある。一例として、新宿歌舞伎町や六本木周辺に店を構える西アフリカ出身のナイジェリア人グループらが大掛かりで、泥酔客から暴利を貪る問題が見られる。 さらに、新宿歌舞伎町などと同様に暴力団や非行少年グループのOB団体、外国人マフィアといった犯罪グループ同士の抗争も垣間見られる。これらの影響で六本木地区はアメリカ国務省、イギリス大使館、オーストラリア大使館によって旅行者向けの危険地域として警告されている。江戸時代に、麻布日ヶ窪(現在の六本木六丁目)に長府毛利家(長州藩支藩の長門府中藩)の屋敷がおかれた。長門府中藩(長府藩共。現・山口県下関市の一部)出身の乃木希典もこの地で生まれている。1952年に、ニッカウヰスキー東京工場が建てられた。ニッカウヰスキーの後に1977年にはテレビ朝日本社が建てられた。2003年4月に「六本木ヒルズ」がオープンした。この再開発(通称:六六再開発)は、1980年代にスタートしたプロジェクトであり、オープンまでに実に約20年の歳月を要した。陸上自衛隊檜町駐屯地(赤坂九丁目)は2000年(平成12年)5月に移転し、跡地には新たな複合施設「東京ミッドタウン」が2007年(平成19年)3月30日にグランドオープン(街開き)した。正式な住所は、六本木ではなく赤坂九丁目である。
出典:wikipedia
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