LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

金沢文庫

金沢文庫(かねさわぶんこ、かなざわぶんこ)は、鎌倉時代中期に北条実時が設けた武家の文庫。金沢流北条氏の私設図書館。所在地は神奈川県横浜市金沢区金沢町142。金沢流北条氏が領し、のちに館や菩提寺である称名寺を建立して本拠地として開発し、家名の由来となった地である武蔵国久良岐郡六浦荘金沢郷に所在したことが名称の由来である。成立時期は定かではないが、実時が晩年に金沢館で過ごした建治元年(1275年)ごろではないかと言われる。北条実時は明経道の清原氏に漢籍訓読を学ぶ一方で嫡系の北条政村の影響で王朝文化にも親しんでいた文化人で、実時は鎌倉を中心に金沢家に必要な典籍や記録文書を集め、収集した和漢の書を保管する書庫を金沢郷に創設。文庫は実時の蔵書を母体に拡充され、金沢貞顕が六波羅探題に任じられ京都へ赴任すると、公家社会と接する必要もあり収集する文献の分野も広がり、貞顕は自らも写本を作成し「善本」の収集に努めた。また、貞顕は菩提寺の称名寺を修造しているが、貞顕が文庫の荒廃を嘆いていたとされる文書が残り、また貞時を金沢文庫創建者とする文書も見られることから、貞顕が文庫の再建を行っている可能性も指摘される。金沢氏を含め北条氏の滅亡後は、称名寺が管理を引き継いだが、当時の建築物は現存せず、発掘調査と当時の記録からその位置が推定されている。室町時代には上杉憲実が再興している。北条氏の滅亡後、文庫は衰退し、蔵書も多くが後北条氏、徳川家康、前田綱紀らによって持ち出された。明治になって、伊藤博文らの尽力により文庫が復興され、旧蔵書の回収も進められた。現在は「神奈川県立金沢文庫」の名称で県立の中世歴史博物館となっており、称名寺所有の国宝、重要文化財を含む資料を保管、展示している。明治30年(1897年)に伊藤博文らによって称名寺大宝院跡に再建された金沢文庫は関東大震災で失われ、昭和5年(1930年)8月9日に図書館令に基づき神奈川県の運営する最初の県立図書館として復興した。ただし、当初から展示室も併設されている。昭和8年(1933年)に図書館令が改正され、公立図書館のうち1館を中央図書館に指定することになると、唯一の神奈川県立の図書館であった金沢文庫が中央図書館の役割を果たすことになった。中央図書館時代の金沢文庫は、郷土資料として金沢八景や神奈川県下の名所絵、県下でおこった歴史絵、横浜絵などの浮世絵を収集し、現在も200点余り所蔵している。昭和26年(1951年)に博物館法が公布施行され、昭和29年(1954年)に神奈川県立図書館が設けられると、金沢文庫は図書館から博物館に変わることになり、昭和30年(1955年)に登録博物館となった。平成2年(1990年)に新築され、現在は鎌倉時代を中心とした所蔵品を保管し、展示公開する歴史博物館となっている。主な収蔵資料(称名寺からの寄託品)として、金沢北条氏歴代の肖像画(実時・顕時・貞顕・貞将像、国宝)、忍性や審海の肖像画、木造釈迦如来立像、木造十大弟子立像、金銅製愛染明王坐像などの仏像、工芸品、審海所用の密教法具、古文書などがある。(神奈川県所有分)※称名寺所有(神奈川県立金沢文庫保管)の文化財については称名寺の項を参照。歴史・慣例的に「金沢文庫」は「かねさわぶんこ」と読むのが本来であり、金沢を「かねさわ」と読んだ。江戸時代に加賀藩の金沢が著名になり「かなざわ」という読みが広まり、公共機関の読みも金沢区や京急電鉄「金沢文庫駅」は「かなざわ(ぶんこ)」となり、神奈川県立金沢文庫も同様に「かなざわぶんこ」となっている。そのため、今日では「金沢文庫」についても「かなざわぶんこ」と読まれることが多くなった。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。