伊藤 裕正(いとう ひろまさ、1977年7月22日 - )は日本の俳優・モデル。愛知県名古屋市出身。身長186cm、体重76kg、股下96cm、足サイズ28cm。日本国内外において映画・テレビドラマと幅広く活躍する俳優。2008年、拠点をハリウッドに移し、アメリカ、香港、中国、韓国などで活動する。現在モデルとしては日本国外のコレクションのみ出演。日本人の外野手としては初めてニューヨーク・ヤンキース(メジャーリーグベースボール)と契約した元野球選手でもある。1996年、愛知県立刈谷工業高等学校在学中3年の6月に団野村を代理人としメジャーリーグベースボールのトライアウトを受けるために渡米。1997年、日本人の外野手としては初めてニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだが、1999年にオフ中の事故が原因でチームを退団した。同時期には伊良部秀輝、前田勝宏も在籍していた。2000年、モデルに転身、2001年にはTBS「世界で一番熱い夏」で俳優デビューを果たした。2003年、アメリカで映画「With you」に出演し、海外進出した。2008年、拠点をハリウッドに移し、アメリカ、香港、中国、韓国などで活動する。名古屋市立桶狭間小学校、名古屋市立有松中学校、愛知県立刈谷工業高等学校卒業。小学校4年生で野球を始める。高校進学時に私立の強豪校から誘いを受けるが刈谷工業高校に進学。その理由としては、中学生時代にメジャーリーグベースボールでプレーしたいと夢を抱き始めチャンスがあれば高校を辞めてでも渡米したいと考え、母子家庭との事情もあり私立の強豪校に特待生で行き途中退学すると学費を返金しなければいけないという理由で県立校に進学した。高校入学後、渡米するチャンスを窺っている中でマック鈴木がシアトル・マリナーズと契約したと報道を受けて新聞で掲載されていたマック鈴木の区名までの住所に手紙を書くが宛名不明で返却され、出身中学校にも電話をするが問い合わせを拒否され路頭に迷っている時に、当時福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の選手だった大越基がアメリカでプレーしていた事を知り、福岡ドームへ大越基宛てに手紙を数通書く。その後、大越基から電話があり団野村の存在を知り、団野村に直接コンタクトを取り渡米の運びとなったと、ニューヨーク・ヤンキース入団時に語っている。なお、ニューヨーク・ヤンキースに入団していなければ早稲田大学に進学予定だった。ニューヨーク・ヤンキースを退団後、もう一つの夢であった俳優を志す。数十社のプロダクションにプロフィールを送るが反応が鈍く、野球界の兄貴と慕う中日ドラゴンズの山﨑武司から東京の知人を紹介され上京する。プロダクションが決まらないまま雑誌で見たトリンプ・インターナショナルのHOMボーイに応募し1500人の中からグランプリを獲得する。これを機に数社のモデルプロダクションからオファーがあったがどこにも所属せずに活動する。後にその理由として、「一人で動いていた方が芸能界の厳しさもわかるしパリコレクションに出演できたら俳優に転身しようと思っていたし、モデルから俳優に変わる時にお世話になったモデル事務所を不義理に事務所移籍するのが嫌だった」からと語っている。2001年、パリ・コレクションに出演した。2001年5月にプラチナムプロダクションに所属し、同年7月に世界で一番熱い夏(TBS)で俳優としてのキャリアをスタートさせる。もともと海外志向が強かったが、2002年初旬頃から芸能界の兄貴と慕う加藤雅也の影響もあって海外進出を視野に入れ始める。同年末、プラチナムプロダクションの音楽部門的な位置にあったプレミアムプロモーションに所属していたEXILEが独立すると共に同社を退社。2003年、アメリカで映画「With you」に出演し海外進出した。その際の制作発表で記者からの「あなたの夢は何ですか?」の問いに「日本人の俳優がハリウッドで認められる事」と語っている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。