『パネルクイズ アタック25』(パネルクイズ アタックにじゅうご、ラテン文字表記:"PANEL QUIZ ATTACK 25")は、1975年4月6日から朝日放送(ABC)が制作し、ANN系列で放送されている、日本の民放唯一の参加者を限定しない(原則として5年以内の出場者は除く)視聴者参加型クイズ番組。ハイビジョン制作、ステレオ放送、字幕放送を実施している。一般には単に「アタック25」と呼ばれる例が比較的多く、新聞などのテレビ欄にも「クイズアタック25」、あるいは「アタック25」などと表記される場合もある。現在はテレビ朝日系(ANN)フルネット24局(同時ネット)と宮崎放送(TBS系列、2012年4月開始の遅れネット)での全国ネット放送となっている。番組開始当初は13:15からの25分番組で、1975年10月から一般CMや番宣を放送する5分枠を埋めて30分番組に。1994年10月2日放送分からは、日曜正午の番組の放送時間を12:55まで延長されたため、『新婚さんいらっしゃい!』と同様に10分繰り下がっての開始となり現在に至っている。この番組の生みの親である堤章三は、MBS『アップダウンクイズ』の生みの親でもあり、構成を長く務めていた。放送開始から18年間にわたって構成を務め、監修へ移行した後に2008年末に番組を降板した。1993年からは、上方演芸放送作家の高見孔二が構成を担当。音楽は、同局の『霊感ヤマカン第六感』やテレビ朝日『クイズタイムショック』などを担当した山下毅雄によるもの。この番組のテーマソングと海外旅行チャレンジVTRクイズ出題中に流れる曲(『フライト・トゥ・パリ』)は発売されたCDに収録されている。また、テーマソングの「アタック!!」の声と「口笛」の音は、山下本人のもの。なお、シンキングタイムの音楽、トップ賞のファンファーレ(ごく一部のみ)以外は開始当初から全く変わっていなかったが、2015年4月5日からメロディーをそのまま生かしながらシンセサイザー風にアレンジされ、ステレオ収録されたものになった(「アタック!!」の叫びは番組開始当初から使われている山下のものを引き続き使用。曲最後の叫びのタイミングが、アレンジ前より半拍早くなっている)。時期ごとに番組構成を変えながら続けているにもかかわらず、その時期のテレビ番組の主流に反した傾向が強い。ただし、答えやアタックチャンスのルール説明のテロップ(代わりに字幕放送でその喋った内容を確認できる)、アタックチャンス・旅行クイズのCM挿入タイミングなど、若干ではあるが、その時期ごとのテレビの主流演出が取り入れられている部分もある。この番組の最高視聴率は関西地区で24.2%(1979年1月14日放送分。ビデオリサーチ調べ、関西地区・世帯)、関東地区で21.5%(1980年1月27日放送分。ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯)を記録している。基本的なルール(後述)は放送開始時から以下を除き、ほとんど変わっていない。この番組が誕生する1年前の1974年4月7日 - 1975年3月30日、同じ児玉が司会をした視聴者参加クイズ番組『東リクイズ・イエス・ノー』→『5人抜きQ(クイズ)・イエス・ノー』が東洋リノリユーム(現・東リ)の一社提供の下、毎日放送(MBS)製作でANN系列にて放送されたが、視聴率低迷や1975年3月31日に実施されるABCとMBSのネットチェンジを理由に終了した。ただ、東リ側が児玉司会による自社提供の番組をABCでも継続して制作・放送することを熱望したため、1975年4月にこの番組が誕生。その児玉は当初『 - イエス・ノー』の失敗などから司会続投に難色を示したが、東リ側の要請もあって結局了承。よってNET(現・テレビ朝日)など一部系列局では、制作局が異なるものの児玉司会・東リ提供の番組が継続して放送されることになった。なお、児玉は2011年2月19日の『日刊スポーツ』大阪版のインタビューで『アタック25』への思いを語った際に、当時の経緯を語っている。ANN系列単独加盟局所在地域でも、広島県では広島ホームテレビ(HOME・当時UHT)が開局した後も、『 - イエス・ノー』までは諸事情により、JNN系列の中国放送(RCC)へ時差ネットされていたが、1975年10月のテレビ新広島(TSS・FNN系列)開局に備えた編成の整理により、本番組から系列通りUHTがネットとなった。JNN系列局時代のABCは、『ベルトクイズQ&Q』の水曜日の製作を1969年の番組開始当初だけ担当したときの他、自社製作の視聴者参加クイズ番組は1968年放送の『ラッキークイズ さあどっち?』(司会 - 初代林家三平、久里千春)と、1970年 - 1971年放送の『3・3が9イズ』(司会の声 - 若山弦蔵)の2本しかなく、『ベルトクイズQ&Q』『夢の世界旅行 クイズジャンボ』等、TBS製作の番組ばかりだった。放送開始にあたっては、とあるABCのスタッフが、子供にオセロゲームを買ったことを思い出し、「このオセロゲームを使ったテレビ番組はどうだろう」と言ったのがこの企画が生まれる発端だった。次に放送時間内にクイズを答えてすべての面が埋まり、面を最も多く獲得した解答者が海外旅行を賭けたクイズに挑戦すると仮定した場合、面の数は何枚が良いのかを試行錯誤の末に出した結論が25枚だった。また、企画段階では最終的に獲得した面の数とは別に、クイズの正解数に応じて賞金を出すという案もあったが、あくまで「面の数」にこだわり、これがこの番組の最大のウリとしてプロデューサーが一蹴。さらに、使用する面には赤・緑・白・青という「色」を使うが、当時はまだ一般家庭の一部に白黒テレビが残っていたことを理由に、この企画には社内やスポンサーから難色を示す声も上がったという。しかし、プロデューサーは「将来テレビはすべてカラーになる」と説得して回って実現させた。初代プロデューサーは当時、ABCテレビ第二制作部長だった三上泰生。番組送信などの技術畑出身で、『ワイドショー・プラスα』や『ワイドサタデー』『新婚さんいらっしゃい!』などの番組プロデューサーを務める傍ら、『残響2秒 ザ・シンフォニーホールの誕生』と『6chは上方文化や』(いずれも大阪書籍)という著書を残す。自らの著書『6chは上方文化や』の中で「人生、非情なものだ。この非情さをクイズで表現したかった」と記している。1992年9月まではABC制作枠の15秒番組宣伝枠がABC制作全国ネット番組の中で唯一なかったが、翌10月から放送開始(基本的に日曜20時台の番組の番宣)。同時に番組ロゴをそれまで台形をモチーフにした初代から2代目ロゴに一新した。その後、一部マイナーチェンジはあったが、40周年を迎え谷原に司会になった2015年4月5日放送分からは3代目のロゴに一新されている。1997年4月の時点でMBS『アップダウンクイズ』(1963年10月6日 - 1985年10月6日)、NHK総合テレビ『連想ゲーム』(1969年4月5日 - 1991年3月20日)の22年を抜き、全国ネットクイズ番組の長寿新記録を達成した。また、それまでの地方ローカル番組を含めた最長寿記録はCBC『天才クイズ』の37年2か月(1967年7月26日 - 2004年9月25日)だったが、当番組は2012年6月以降も継続したことで、クイズ番組最長寿の完全新記録達成となった。現在は民放テレビ番組として、全国ネットのレギュラー番組で唯一の視聴者参加クイズ番組(賞金が支払われる視聴者参加クイズとしても唯一)である。 1996年7月から1999年3月まではオープニングのテーマソングがサラウンドで放送された。2003年4月6日から字幕放送を開始。2005年4月3日からハイビジョン化され、2006年4月9日よりモノラル制作(モノステレオ放送)からステレオ制作(フルステレオ放送)に変わった。2010年6月6日よりアナログ放送ではレターボックス放送となり、その日の「アタックチャンス」でレターボックス放送に移行したことを意識した問題が出題された。なお、過去のVTR映像は当番組やABC・テレ朝系の回顧特番で見る限り、1984年5月20日(第465回)放送分以降しか確認されていない(この回の優勝者が番組史上3人目のパーフェクト達成者となり後述する特別企画・1000回記念大会に出場した際、紹介の時点で当時のVTRが流れた)。これは当時のマスターテープだった2インチVTRが非常に高価で保存が安易にできず、上書きして使い回されていたことが主流だったことから、第1回をはじめとする番組初期の映像は残っていない可能性があるためである(後述の追悼特番で取り上げた第1回と1975年の芸能人大会が、白黒のスチール写真しか紹介されていなかったため)。2016年10月22日公開の映画『バースデーカード』で、初めて映画作品に本番組が登場。主人公が本番組に青の席の回答者として出演し、主人公の父と恋人が観覧席で見守る場面が登場し、本番組の司会者である谷原も本人役で登場した。番組内で出題される問題はほとんどが読み上げ形式で、答えは解答後・シンキングタイム終了後にテロップで出される(1994年3月6日から)。問題読み上げの途中で押された際、正解・不正解に関係無く司会者が問題を最後まで読み上げて解説するが、しない場合はテロップで問題の答え(ごく稀に問題文も)が出される。以下の形式を含めて出題される問題の中にはテレビ朝日系列で放送される番組に関連したものも含まれる(ABC制作・テレビ朝日制作を問わず。一部は番組宣伝を兼ねる場合もある)。読み上げ問題以外では以下の形式が用意されている。当初は第1問から出題者による通常の読み上げ問題から始まっていたが(スタジオ応援者の状況の後、児玉が「さあ、今週のアタック25はこの問題からスタート!」と言って通常問題が始まっていた)、パネルの書体が変更された1984年10月からオープニングクイズを導入した。最初は「フラッシュオンクイズ」として、黄色のパネルがランダムでフラッシュされるモニターに隠れている写真の人物を当てる(当初児玉が「フラッシュオンクイズ、この方のお顔でフラッシュオン!」と言い問題に入った)。1994年頃に分割された写真が繋ぎ合わさる形式へと変更された(名称は「フラッシュオンクイズ」のままであった)。1996年10月から系列各局からのご当地映像クイズに、その後1997年5月からは街頭インタビューとプロフィールのヒントからある人物を当てる志向になった。演出もCGを使った形式になっている。2005年10月からは、人物当てから物当てに、2008年10月からは再び人物クイズとなり、人物の写真を泡状のCGで隠されているものを見て人物を当てる物に変わった。新装開店となる2012年4月1日放送分からはタレントによるゲストクイズに変わり、VTR出演による本人に関する問題を3個か5個のヒントで放送告知と共に出す。回答者が正解した時点でまだゲストが言っていないヒントを含む残りのVTRはお蔵入りになる。全部ヒントを言った場合は、ゲストが終了を知らせて時間切れとなり次の問題で13番を埋める色を決める。なお、リニューアル後最初(2012年4月1日)のゲストクイズは平原綾香が出題している。出題したゲストは、VTRの最後に司会者に先立って、「それでは解答者の皆さん、この後も頑張って下さい!」と言いながら「アタックチャンス」のポーズをとるのが恒例となっている。黄色のパネルがランダムフラッシュする形式では他のクイズ同様間違えるとお立ちとなったが、CM後に間違えた解答者がお立ちのまま自己紹介するという異質なケースが少なからずあったため、分割された写真が繋ぎ合わさる形式となった時からお手つきでもペナルティ無し(出題前に司会者が「ペナルティはありません、どうぞ」と言い問題に入る。変更当初児玉はお手付き後に「リセット!」とコールしていた)に変更された。なお、お立ちがあった際に正解が出たら、お立ちの数は1問分減らされた。また、優勝者のVTRクイズ正解時の旅行先が変更されると、司会者と出題の女性がその地に赴き、旅行先にまつわる問題が4週にわたり出題されていた。ただし、2011年5月15日(第1800回)放送分からエーゲ海クルーズの旅行内容の一部が変更された時には、児玉が入院中だった影響から、出題者の加藤のみが赴いていた。さらに、2012年4月1日放送分での「地中海クルーズペア10日間の旅」への変更の際には、旅行先にまつわる問題が出題されず2013年になってから不定期で出題されるようになった。2016年4月現在のもの。映像クイズの呼称は「ビジュアルクイズ」になっている(2004年4月以降)。2015年4月からは、以下の問題が週替わりで出題される(映画問題のみ毎週出題される)。通常の読み上げ問題においても、映像を用いる場合がある。当初は特定のテーマに沿った曲名や歌手名を当てる問題が中心だったが、後に3曲流し、タイトルに共通して入っている言葉を当てる、歌手名または曲名の頭文字を繋いで3文字の言葉を当てる、歌っている歌手の人数をすべて足した人数を当てるなど、多様な形式が登場した。なお、問題数も当初は3問あったが、しだいに2問→1問と減り、2004年4月以降映像クイズ直後に出されていた問題は、2010年6月以降、映像クイズ後の読み上げ問題を数問こなした後、楽曲を聴いて、アーティスト名や曲名、楽曲にまつわるものを答える形式に変更された(そのアーティストや楽曲に関連したCD作品などの発売に合わせたり、放送時期・季節に合わせて出題される場合が多かった)。また、児玉司会時代に画当て正解者の海外旅行先が変わる際、それぞれの旅行地に関するクイズが出題された放送回には出題されなかった。2012年4月1日放送分から2013年3月31日放送分まではパネルが15枚埋まった段階で出題される形式に変わったが、収録状況によっては出題されない日もある(4人で音楽問題を迎えた場合、たとえ収録・出題されても答えが出なかった場合、放送時間の都合で実際の放送に入らないケースがある)。1992年9月ごろまで、解答者に関する問題が出題されたが、失格中でなければ誰でも解答できた。失格者は立ったままでインタビューに答えることになっていた。オープニングクイズから3問出題後に行われる形式で、赤から順に4人の解答者に関するエピソードの関連問題を1問ずつ計4問出題。司会者とのやりとりは直接の対話とエピソードの一節を紹介するケースの2通り。なお年間チャンピオン大会では解答者がそれぞれトップ賞をとった回のフィルムクイズの答えの関連エピソードから出題した。クイズは全員に解答権があった。初期には、各解答者の生年月日の朝日新聞に載ったニュースから出題するクイズだった。『アップダウンクイズ』の「目で見るクイズ」に似た内容のクイズで、BGMに合わせて7枚の写真パネルが見せられ、それに共通するものは何かを答えるクイズである。なお、誤答があった場合、この問題に限って司会の児玉が「続けます。続きどうぞ。」と言って問題を続行させ、正解者が出るか時間切れになるまで流し続けていた。また、このクイズが出る前でお立ちの解答者がいる際に誤答が出たら、その時点でお立ちの数が1問分減らされた。金額はパネル1枚当たりの額。賞金額改定の度に2,000円ずつ値上がりしており、賞金額の改定は毎回4月に行われているが、1990年4月以降は1枚10,000円で据え置きとなっている。25枚全て獲得してパーフェクトを達成した際の賞金は、放送開始当初から50万円に固定されている。過去には副賞として当時のスポンサーだった東リのカーペットが贈呈された(優勝者とは別の賞品。さらに過去には東リのクッションフロアも賞品だったことがあった)。また、後述の特別企画でパーフェクトの賞金が100万円に設定されたことが、1度だけあった(勿論、達成はならなかった)。また、賞金とは別に出演料的なものが成績にかかわらず5,000円支払われる(近畿地方近辺からの出場者の場合はこの中に交通費も含まれるが、遠方からの出場者でABCまでの交通費が5,000円を超えた場合、交通費もABC側から別途支払われる)。海外旅行チャレンジクイズは、25枚のパネル盤面上(スタジオでは別モニター)にVTRを映し、古今東西問わず「ある○○」を当てる問題。主に「人物」(浦川はある「人名」という場合もある)、「都市」がメインで、他に「グループ」、「国」、「都道府県」、「町・街」、「村」、「半島」、「島」、「山」、「川」、「湖」、「海峡」、「岬」、「観光地」、「国立公園」、「温泉」、「年号」、「西暦年」、「文学作品」、「楽曲」、「条約」、「組織」、「建造物」、「出来事」、「乗り物」、「遺跡」などがある。上記のある○○から独立したお題(例・船(乗物から独立)城(建造物から独立))や、ある程度有名ならある○○に「架空」の言葉を追加したお題(例・ある架空の人物など)も存在する(ドラマなどの劇中で作られた楽曲は存在するとみなされ、ある架空の楽曲とは認められない)。成績や賞品紹介の後、すぐに優勝者と司会者が簡単な感想を話した後、司会者から「さあ、今日はある○○を、御当て頂きます」とジャンルが発表され、優勝者が獲得した自分のパネル(外す操作は当初はアシスタント、現在はスタッフ)を全部外した時点で「ある○○とは何(誰)でしょうか、スタート!!」と言ってVTRが始まる。1990年9月以前はフィルム映像だったため、「ある○○、フィルムスタート!!」と言っていた。番組開始当初(東リ提供時代)からは1987年3月まで全成績を述べた後に、CM無しでそのままクイズに入っていた。1987年4月から1996年3月までは、成績を述べた後一旦CMを入れ、CM明けは優勝者へのインタビューから始まっていた(1992年10月からは旅行先VTRからスタート)。1996年4月から2010年3月14日まではVTR開始前に一旦CMに入り、CM明けに旅行の紹介を放送した後、もう一度「ある○○、VTRスタート!!」から再生されていたが、2010年3月21日放送分から2012年3月25日までは、残りパネル1 - 3枚の時点で一旦CMに入り、CM明けに旅行の紹介をした後、以後番組終了までCMを挟まずに競技を進行するようになっていた(同点決勝がある場合は、同点決勝前にCMを挿入するため、そのまま旅行先紹介VTRに移る)。2012年頃からは2015年3月まで放送回によってVTRを一度流してからCMに入って、旅行先の紹介後にもう一度VTRを流すこともあった。VTR映像は、優勝者の色のパネルの部分だけしか見ることが出来ない(オンエアでは残った他の色のパネルのうちの1枚にトップ賞獲得者の様子が映し出されたが、パーフェクトの時は映し出されていなかった。また、2015年4月からは画面右側に表示されたため、パーフェクトであっても映し出される)。このため、多くのパネルを獲得していたにも関わらず映像の肝心の部分を隠されてしまうことや、逆に少ないパネル獲得に関わらず重要な部分を見ることができたりと、独特の運不運が存在する。それによる優勝者の悲喜こもごもの表情を見るのも、一つの醍醐味となっている。現在はCGパネルにVTRが表示されるが、1995年9月以前はスタジオのパネルでクロマキー合成によりVTRを流していた。その際、残った別の色のパネルの数字部分が透けて映像が見えていたり、格子の形が見えていた。これはクロマキー合成に紫色を使っており、格子の線は黒だが、パネルの数字は紫色を使っているためである(エンディングでのパネル点滅時には紫もある)。これにより隠れているパネルの数字部分にも映像が少しだけ見えることもある。映像はいくつかのヒント映像が流れ、映像の最後に、ある人物ならその人の顔写真(このために映像を撮っている場合もある)、ある都市なら航空写真に市章(ただし、日本にある都市の場合のみ)、ある国なら航空写真に国旗が映される。VTR映像出題中は「フライト・トゥ・パリ」のBGMが流れる。2012年4月1日放送分からはサイドパネルが追加され、5月13日放送分からは左側に「海外旅行を賭けたクイズに挑戦中」、右側に「ある○○の名前は何でしょう?」と表示されるようになった。映像終了後、司会者に「その○○とは!?(西暦の場合、児玉は「さあ、それは西暦何年?」、浦川は「その年とは?」)」と尋ねられ、5秒以内(解答時間は時報のようなカウントダウンの音が流れる)で正解を解答すると、司会者が「正解!!」・「結構!!」・「その通り!!」と絶叫、ファンファーレが鳴り、番組開始当初から1983年12月までは電飾が光る中で、1984年4月から1995年9月までは電飾点灯に加え、解答者席上(天井)に吊るされていたくす玉が割られて大量の銀色の紙吹雪が舞い、フランス国旗を彩った三色(青・白・赤)の紙テープが降る中で、1995年10月からは電飾点灯は維持しつつ、くす玉に代わって解答席の後ろに設置された2つの舞台照明を使って後部の壁の部分を照らす中で、2009年4月以降は電飾点灯・舞台照明演出に加え、「憧れの地中海クルーズペア10日間の旅獲得!!」というテロップが出る中で海外旅行獲得。児玉が司会をしていた頃は海外旅行決定の時にその解答者に握手をし、「おめでとう!」・「やった!」・「良かったぁ!」や「いや、文句無し」(1995年「20周年記念グランドチャンピオン大会」)、「あんな顔が出てしまえば笑っちゃうよね」(同年の一般大会)といった労いのコメントがあった。不正解・時間切れの場合は初代「アタックチャンス」のアタック音をアレンジしたBGMが流れる。一時期、不正解の時、BGMが流れる前にブザーが鳴ったこともあった。2012年4月1日の放送から、不正解時に「残念」というテロップが表示されるようになった(表示の後、浦川が司会だった頃は崩れ落ちる形で消去した瞬間だったが、谷原に司会が替わってからはテロップがしおれて落ちていた瞬間の演出である)司会者が正解を説明する際、毎回パーフェクト達成状態の形でパネル全体が外れて見られるようになる。現在はその際に画面左(1996年10月~2013年3月までは画面中央に表示)に、周りはトップ賞獲得者の色がバックとして使われる(2013年4月 - 。画面右にはスタッフ・制作クレジットのロールが流れている。同年3月までは画面下に表示)。正解を説明の際、司会者は当初、内容を書いたメモをポケットに入れていたが、現在は「アタック25」のロゴの入った黒いファイルを持っている。エンディングの際に、解答者の前で出題者から花束が贈呈される(その際出題者は「おめでとうございます!」と言う)。ただし、1975年4月6日の放送開始時から1995年9月25日放送分までは祝福のBGMが流される中、出題者から花束が、エールフランスの客室乗務員から旅行バッグ(末期では旅行獲得プレート)が、1995年10月1日放送分から2012年3月25日放送分までは出題者から花束と旅行獲得プレートが渡されていた。2011年4月10日放送分まで、児玉が司会だった時は「また次回、憧れの地中海クルーズの旅、お待ちしております!!ごきげんよう!!さよなら!!おめでとうございます」と言って、逆に旅行獲得できなかった時は「本当に残念ですが、また次回、憧れのエーゲ海クルーズの旅、お待ちしております!!ごきげんよう!!さよなら!! 残念でございます」と言ってエンディングとなった。1996年4月から2012年3月25日放送分まで、司会者と出題者が挨拶する中で、提供クレジットが表示されていた。浦川時代はVTRクイズの正解・不正解にかかわらず、「また来週です(翌週が放送休止の場合は「また次回です」、年内最終放送の場合は「また来年です」)。さようなら」などと言ってエンディング、2012年4月1日放送分からは携帯電話サイトやスマートホンサイト利用者に対するクイズ出題となっていた。谷原に司会が替わった2015年4月5日放送分からは、海外旅行を獲得した場合に従来の花束・目録プレートではなく、谷原から記念のトロフィーを贈呈するようになった。このトロフィーのレプリカ(ミニチュア版)もあり、スマートフォンを含む携帯電話用の番組サイトで、番組内で出題されたものをピックアップした「今週の3問クイズ」の月間成績上位者5人(多数抽選)に贈呈される。またVTRクイズの正解・不正解にかかわらず、谷原が「アタック25、また来週(翌週が放送休止の場合は「また次回」、年内最終放送の場合は「また来年」)お目にかかります。」と言い、谷原・加藤の順にそれぞれ「さようなら」と言ってエンディングとなる。2012年以降の最後の提供クレジットの箇所ではその日の解答者または、優勝者の家族が改めて司会者席付近に集合して司会者や出題者らと「アタックチャンス!!」のポーズをとり、記念撮影をするところで終わりとなる。また、谷原に変わってからは、谷原、加藤抜きで記念撮影を行うことがほとんどで、視聴者クイズの告知はサイド字幕に留められた。かつてエールフランス協賛によるパリ旅行だった時は、以下のような流れとなっていた。解答において人名の場合は、日本人、中国人、韓国人の場合は姓と名のフルネームでなければならないが、それ以外の外国人の場合はフルネームでなくてもよく、判別できる程度でよい(このケースは予選でも適用される)。ただし、フィルムクイズは外国人もフルネームで答えなければならないことがある。そのため、苗字または名前しか答えられず、結局不正解になってしまったこともある。また、冒頭でも述べたようにこの番組では日本の民放唯一の参加者を限定しない視聴者参加型クイズ番組だが、クイズ王によるクイズ荒らしを防ぐため、一度本選に出場すると、5年間は原則として本選に出場することができない(ただし、「グランドチャンピオン大会」などの特別企画で特例として5年以内でも出場できることがある)。その5年間の沈黙を経て再び出場する者も多い。予選は基本的にANN系列局の放送エリアごとで行われる。そのため、ハガキに書く住所の項目は都道府県名から書くことになっている。なお、山梨県を含む関東地区予選はテレビ朝日ではなくABC東京支社で行われる(ただし予選の応募受付を各局で行っていた1990年代までの宛先はテレビ朝日だった)。ANN系列局がない富山県は富山テレビ(BBT)で行われていたが、2009年3月の放送終了により予選の募集は終了した。FBC、ABC徳島支局、ABC高知支局、鳥取県・島根県に所在するテレビ朝日の各支局でも予選は行われない。2012年4月から放送再開した宮崎県については、ANN系列局のテレビ宮崎ではなく、この番組を放送している宮崎放送で開催される予選に参加する。予選は専用の用紙に氏名などの他に自己アピールを記入することから始まる。現在の予選問題は全30問(制限時間8分)の筆記形式で、いわゆる「クイズによく出る問題」と時事問題がバランスよく出題される(かつては、同じ筆記形式でも、問題文のない解答欄のみの用紙に、カセットテープ再生による読み上げ問題の解答を記入する方式だった。1問の制限時間はおよそ10秒で、全20問。問題の読み上げは、本選の出題者が担当していた)。解答の際、誤字・脱字がある場合は不正解となる。ただし、漢字がわからない場合はその漢字をかなで書いても問題はない。筆記予選が終わると答案用紙が回収され、即採点される。その後の合格発表で名前もしくは受験番号を呼ばれた人のみ面接に進める。この面接に受かれば、予選に合格となる。ただし、予選に合格すれば必ず出場できるわけではなく、向こう1年間の出場資格が与えられたということになる。1年待ってもオファーがなければ出場資格が消滅する。なお、指定された収録日に都合が悪く(用事等で)出場を辞退したとしても、出場資格は消滅しない。なお、出場が決まっていなければ、出場資格を持っている間にも予選に参加することは可能。その予選に合格すれば出場期限を延長できる。1975年の放送開始以来、出場者募集はハガキのみだったが、2004年春頃からはインターネットでも募集されるようになった(現在は携帯電話でも募集している)。また、出場者募集のお知らせは番組中で告知され、1年を通じて行われている。従来は、番組開始当初から大阪市北区(1989年まで大淀区)大淀南のABC本社Aスタジオで行われていたが、2008年春から社屋の移転により、福島区福島1丁目(通称「ほたるまち」)のAスタジオでの収録(隔週木曜日)となっている。このため、同年4月27日からエンディングでのスタジオ全景のカメラ位置も変更されている。収録から放送までは原則2週間後から3週間後だが、2011年5月15日放送分は5月12日収録で3日後に放送された。この番組で言うパーフェクトとは、25枚のパネル全てを同じ色にする事であり、2016年5月現在で13回パーフェクトを達成している。初代の児玉が司会の時には12人がパーフェクトを達成した。なお、2代目の浦川が司会の時にパーフェクトを達成したことは1度もなかったが、3代目の谷原が司会の時は2015年10月4日での夫婦大会で約6年振りのパーフェクトを達成し、海外旅行獲得はならなかったものの、司会交代後・青の席・夫婦などのペアによるパーフェクト達成はいずれも番組史上初という快挙を成し遂げた。5人目・8人目は年間チャンピオン大会での達成である。なお、赤と青のパーフェクト達成者で旅行クイズ正解者は未だ1度も出ていない。理論上、通常勝利に最低限必要な獲得枚数は7枚であるが、1989年1月22日の700回記念特集第2弾・「大学対抗100人の大サバイバル大会」では6枚での優勝が発生した。これは、この回の優勝条件が「パネル獲得数が一番多く、なおかつゲーム終了時に生き残りが1人でもいること」という特別ルールになっており、パネル獲得数が一番多かったチームがゲーム終了前に25人の解答者を全員使い果たして失格となったためである。なお、7枚で優勝したのはこれまでに5人いる(最近では2007年10月14日放送分)。また、優勝するためには最低3問に正解する必要があるが、1985年6月9日、2000年8月6日、2008年7月27日、2012年3月4日放送分では、3問正解での優勝が起きている。VTRクイズ正解で獲得できる海外旅行は、初回から1995年9月までエールフランスで行くパリ(パリの他にニース、カンヌ、ディジョン、あるいはタヒチ)だったが、1995年10月放送分から旅行先はアメリカ合衆国(ニューヨーク・フロリダディズニーワールド)、ドイツ、スイス、ローマ、オーストリア、ミラノ、スペインと変化。そして2009年4月5日放送分からは地中海クルーズ・ペア10日間の旅と史上初のペア旅行となり、以降はクルーズ旅行で固定されている。1975年以来、オープニング映像にエールフランスの旅客機が飛び立つ映像が使われていたが、パリ旅行中止とともに消滅した。2007年4月1日放送分で、旅行先がパリ・ミラノに変更されたことに伴って、久々にエールフランスの旅客機が飛んでいる映像が、オープニングクイズで流された(2008年4月からのスペイン・パリ旅行の時にも適用された)。フランス旅行が中止になったのは、1995年9月5日にフランス政府が南太平洋ムルロア環礁で核実験を行ったことに対する抗議とされている。そのため、この出来事があった直後の9月10日放送分から24日放送分までの3回分、収録した日付のテロップを表示したり、優勝者決定時のテロップを「海外旅行挑戦権獲得」に変更。さらに、児玉のコメントの1つである「パリ挑戦権獲得!」を「海外旅行挑戦権獲得!」に、「エールフランスに乗れますでしょうか?」を「海外旅行獲得なるでしょうか?」と変更するなどの対応になった。2001年4月、ようやく旅行先にパリが復活。ただし、エールフランスではなく、日本の旅行会社が主催するツアーとの提携である(2001年のみJALパックAVA、2002年から2004年まではANAハローツアー、2005年4月から2009年3月までは近畿日本ツーリスト、2009年4月からはPTS提供)。なお現在は違うが、初代司会者の児玉は長らく樫山文枝と近畿日本ツーリストのCMに出演していた。通常旅行に行けるのは1人で、2人ペアでの旅行は、チャンピオン大会等の特別企画のみだったが、2009年4月からは、通常回でも2人ペアでの旅行獲得ができるようになった。1995年10月のニューヨークとフロリダ・ウォルトディズニーワールドの旅に変更以降、旅行先が変更される際の1か月間は通常のオープニングクイズが旅行先にまつわるクイズに変更される。この時のVTRでは、初代司会者の児玉と出題者が実際に旅行先へ赴き、そこから出題を行う(ただし、エンディングのVTRクイズ前に出る旅行先紹介VTRは出題がなくなってからも登場)。なお、この旅行先にまつわる問題が実施される場合、読み上げ問題の間に挟まれる、通常の映像(ビジュアル)クイズと音楽の問題の合計4問のうち、1 - 2問分が削減される。ただ、2011年5月15日の一部旅行先変更の際には、音楽の問題が出題された上、出題の加藤明子アナウンサーだけが赴いた。また、2012年1月22日放送分から旅行先紹介VTRがカットされたが、これは1月13日にイタリアで発生した、コスタ・コンコルディアの座礁事故が影響したとされている。その後、2012年4月1日放送分からスペイン・フランス・イタリアをめぐる地中海クルーズ・ペア10日間の旅に変更され、VTRクイズ出題前の旅行先紹介VTRが復活した。ただし、これまで旅行先変更のたびに行われてきた、その旅行先にまつわるクイズが出題されなくなり、代わりに新登場となったVTRゲストが登場して出題するクイズに変更された。また、報道特別番組を編成したことによる休止には以下の事例がある。他局でのパロディは非常に多いが、『番組ナンバーワン決定戦』(2006年放送)、『朝日放送新社屋完成記念 番組対抗No.1スペシャル 〜オールスター大集合!おめでたバトル〜』(2008年放送)といった番組対抗クイズ特番で使用するなど、ABC自身もたびたびパロディの題材にしている。この番組の冠スポンサーは以下のように移り変わっている。2000年7月以降は冠が付かず、単に「パネルクイズ アタック25」として放送されている。1986年4月 - 9月は東洋リノリユーム・小林製薬の二社提供であったため、冠は付かなかった。アルインコは1987年4月に冠スポンサーから外れてからも翌年3月までスポンサーを継続した。東リは上記以外にも1991年10月 - 1992年9月(30秒枠)、2000年7月 - 2002年3月(60秒枠)、2007年4月 - 2008年3月(30秒枠)にも提供したことがある。長期にわたって当番組のスポンサーだった関係から、スタジオのセットには現在も同社の製品が使われている。また、「東リ・パネルカーペット・アタック」シリーズの商品名はこの番組の名称にちなんでいる。提供クレジットは、番組開始当初の東洋リノリユーム一社提供時代は、白地に同社のシンボルマークの大写しを使用、その後日興證券時代から複数スポンサーになってからは1996年9月29日までブルーバックが使用されていたが、その後はスタジオ映像に提供クレジットを重ねる形式となった。2012年4月からは、番組オープニングのCG映像に提供クレジットを重ねている。番組名に冠は付いていないが現在の筆頭スポンサーであるジャパネットたかたは、この番組限定のテレビショッピング(CM)を毎回制作しており、高田明前社長らジャパネット社員が「この時間は(商品名・機器名)にアタックします!」と言っている。※系列は放送当時の系列。(2016年4月現在)
出典:wikipedia
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