梁州(りょうしゅう)は中国にかつて存在した州。『書経』による古代中国の九州の一つとされ、現在の四川省と陝西省漢中地方に相当する。周代に雍州に統合された。漢代に州制が施行さた際には設置されず、益州の一部とされた。263年(景元4年)、魏が蜀を滅ぼすと蜀の故地に益州及び梁州を設置、州治は沔陽(現在の勉県旧州)に置かれた。西晋の時代になると州治は漢中郡に移転している。その後の五胡十六国から南北朝時代には政治的混乱の影響を受け州治の移転が相次ぎ、また南朝王朝により僑州が別地域に設置されるなどしている。605年(大業元年)、洋州を梁州に統合、7郡13県を管轄していた。。607年(大業3年)に郡制に改められ、集州平桑郡を統合し漢川郡に改編、8県を管轄するようになった。隋朝の行政区分に関しては下図を参照。唐朝が成立すると梁州と改称され山南西道の管轄となったが、管轄地域は縮小され隋初の漢川郡程度となっていた。784年(興元元年)、朱泚の反乱による戦火を避けるため徳宗が梁州に行幸、梁州は興元府と改称され、梁州の行政区分名称は消滅した。唐代の管轄県
出典:wikipedia
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