片岡 亮(かたおか りょう、1973年6月3日 - )は、日本の男性ジャーナリスト。千葉県生まれ。元格闘家でリングネームは片岡"幻"亮、幻。格闘家としてリングに上がりながら、取材活動を続けている異色のジャーナリスト。K-1、プロレス、キックボクシング、総合格闘技などで試合をしており、格闘技界の内側・外側に精通するほか、記者としては夕刊フジや週刊朝日、サンデー毎日、実話ナックルズなどで芸能を中心に、格闘技や社会事件、都市伝説などのアングラ話など幅広く取材・記事を手がけており、綾瀬女子高生コンクリート殺人事件については犯行少年のその後を追跡、オウム真理教の地下鉄サリン事件に関与したとして警察から指名手配されていた菊地直子についても、菊池の逮捕前に海外取材を行なったこともある。プロレス、プロボクシング、格闘技の取材では過去、ナイタイスポーツなどで現場記者として取材をしており、自らが出場するプロレス興行では試合と取材とを兼任していたこともあった。また、テレビ番組やラジオなどでの露出では「ジーパン刑事」の愛称で呼ばれている。学生時代は短編小説を雑誌に連載。卒業後にプロレス団体所属を経て、アメリカやメキシコでホームレスでのヒッチハイク放浪生活を数年に渡って行なっていたことが雑誌LAPOOのインタビュー記事などで明かされており、その後は20代半ばまで米・ニューヨークの音楽レーベル「SOUND+VISION」「KEN MUSIC」や米・インディアナポリスの商社で勤務。97年よりスポーツ紙記者に転身。その後も定期的に海外取材を積極的に続けており、中南米やアジア、アフリカ、ヨーロッパなど世界各地を周遊し続けており、広い見識を持っている。主に陸地での国境越えをブログなどで報告している。拾った猫3匹を育てる愛猫家で、野良猫の保護活動も行なっている。2016年、自身が率いていた取材チーム「拳論!」をプロダクション化、海外取材チームと提携した「NEWSIDER TOKYO」を新たに創立。東京都練馬区から渋谷区に事務所を移転した。同プロダクションには堀田春樹、藤堂香貴、ハイセーヤスダ、仙幸正樹らが所属している。妹はタレントの片岡優香。従兄弟に元レーサー・現モータージャーナリストの中谷明彦。格闘技取材においては、自身が格闘家として活動した経験や人脈に基づく取材をしている。かねてから熱心なボクシングファンであることから、近年はプロボクシングに強く、特に亀田三兄弟に関してはデビュー間もない2004年から問題を指摘した批判記事を書いており、夕刊フジでも同様の記事や連載コラムを配信、さらにテレビのニュース番組、ワイドショー番組にも多数出演し事態の内幕を語っている。そのため、亀田家からは名指しで取材拒否を受けているが、 亀田興毅が2度目の世界タイトルマッチを延期したことや、暫定タイトルマッチ出場の計画があったことなど独占スクープも多い。また、自身のブログの「拳論」もボクシングファンから高いアクセス数を誇り、コメント欄がボクシングファンの集まる掲示板のような役割を果たすようにまでなっている。テレビ出演でも格闘技をはじめ芸能、社会事件などを情報番組などで解説しているが、2011年に放送の『芸能★BANG! → 芸能★BANG+』(日本テレビ)では芸能ネタを多数披露。その独特のキャラクターから司会者のフットボールアワー・後藤輝基の命名によりジーパン刑事のニックネームが付いた。学生時代にアマチュアキックボクシングで都大会で重量級3連覇。プロレス団体の WAR、オリエンタルプロレス、新格闘プロレスなどを渡り歩いた後、キックボクサーとして全日本キックボクシング連盟でプロデビューも、アメリカに渡ってバート・ベイル道場に所属、1995年10月1日、アメリカオハイオ州トレド、対タグ・ウィーリング戦で再デビュー。1996年にスティーブン・ワイクスを下しIKF王座を獲得している(ちなみにJ-NETWORKの独立は1997年12月なので、この経歴には矛盾が生じる)。キックボクシングの戦績はアマ含め48戦無敗のままだったが、K-1、ムエタイなど他競技では敗戦もあった。アメリカ・テキサス州のBIG TIME WRESTLINGでは「プロフェッサー・タデオ・タカダ」のリングネームで試合をしており、当時の試合映像がネット上に公開されている。1997年10月12日、国際プロレスにて、リングネームを幻としたマスクマンで初登場、喧嘩プロレス二瓶組に所属してプロレスラーとしての活動が増える。K-1に数回の出場歴があり、1998年12月13日「K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦」(東京ドーム)においては、鈴木政司に1R1分25秒TKO負け。2002年にはプロレス活き活き塾・無限の旗揚げ記者会見に取材記者として出席したが、辛口の質問をしたことから団体代表の久世和彦塾長と論争になり、このバトルが旗揚げ興行への参戦に発展。現実とリンクした絶妙なアングルが話題になり、同団体のトップヒールとして数々の話題を提供した。会場の観客に対しても挑発的で「帰れ帰れ、家にじゃねぇぞ…世間にだ」とユニークなセリフで大いに場内を沸かせた。ただ、旗揚げ戦のメインイベントではブック無視で対戦相手の佐野直をリアルに失神KOさせた上で「打ち合わせのないプロレスっていいね」と問題発言したことで週刊プロレスの鶴田倉朗記者にその場で「今後一切掲載拒否する」と通達されている。実際に試合映像を見ても蹴りがプロレス風には見えない角度で佐野の顔面などに入っている。また、DDTプロレスリングの地方興行においては、木村浩一郎とのセメントマッチ(頭突きあり総合格闘技ルール)に挑んで失神KOされ、その興行を報じた記事では当該試合以降のレポートが書かれていなかった、という逸話もある。その後はプロレスより格闘技主体となり、格闘技イベントMEGA-FIGHTを主戦場とし、2001年2月4日には16名参加の第1回総合格闘技トーナメントで大塚裕一、 大杉勇、サンボ王者の鈴木光浩を連破して優勝した。海外では他にサムライ、カタナなどのリングネームでタイやカンボジアでのムエタイ出場経験もある。総合格闘技ではキングダムなどに出場。2002年6月29日、金町地区センターにて元全日本スーパーミドル級1位の唐沢仁義にKO勝ち。2002年9月15日、カンボジアでのビルマ拳法大会でヴィナラ・チェチェンサオに勝ち。2002年12月14日、名古屋で唐沢仁義との再戦にKO勝ち。2003年1月、タイにて元ラジャダムナンジュニアフェザー級王者のテーワリットノーイSKVに判定負け。2003年4月27日、ディファ有明にて鈴木光浩に三角締めで一本勝ち。2003年6月22日、国立ニューシティホールにて木村悦也にTKO勝ち。2003年8月17日、国立ニューシティホールにて仙仁蒼にKO勝ち。2005年4月4日、箱根仙石原文化会館にて宮根宏和にTKO勝ち。2005年6月12日、ハワイでモーガン・フラクに判定負け。2006年4月29日、梶ヶ谷JUKIにて富良野健にTKO勝ち。2006年8月29日、カリム・ビドウチにKO勝ち。2007年4月21日、カンボジアでのビルマ拳法大会でヴィナラ・チェチェンサオに判定負け。2007年8月21日、ロシア・モスクワでのキックボクシング大会でハイネド・ザホラノフに判定負け。2009年9月2日、ベイサイドクラブにて力王に勝利。2009年12月28日、茅ヶ崎マリーナにて蛭田一男にKO勝ち。2010年1月18日、金町地区センター「KICKBOXING1」にて蜂巣真澄にKO勝ち。2010年10月9日、アブダビで開催のキックボクシング大会でムハマド・アリ・ブラウンに勝利。
出典:wikipedia
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