南満州鉄道(南満洲鉄道、みなみまんしゅうてつどう、略称満鉄、英語名 : South Manchuria Railways Co.)を走行した車両(しゃりょう)について詳述すると、次の通りである。当初、日露戦争開始前に帝政ロシアが建設した東清鉄道の軌間は広軌 (1524mm) であったが、日露戦争中、陸軍野戦鉄道提理部は軍事輸送のためにこれを狭軌 (1067mm) へと改軌し、内地から供出した車両をもって運用していた。また、朝鮮半島から満州へ向かう安東駅 - 瀋陽駅間の安奉線は、日露戦争中に陸軍が急設した狭軌の軽便鉄道であった。このため1907年の南満州鉄道株式会社営業開始後、満鉄はこれら路線の狭軌用車両の運転・管理を行うと同時に、拡軌工事(標準軌への改軌工事)を行うこととなった。また拡軌後は標準軌用車両の運行・管理を行ったが、保有車両数の増加や、満州国成立・日中戦争勃発後の受託経営路線の増加に伴い、その都度車両管理体制を変更する必要が生じた。このため、名称及び記号の命名規則については、会社営業開始時から標準軌間への拡軌工事完了を経て1945年までの間に3回の改定がなされており、大きく分けて次の4期に整理することが出来る。第1期ルールは明確でなかった。一部の機関車については、1号から追番号。※1 1C2 タンク機関車(後のダブ形)、1D テンダー機関車(後のソリイ形及びソリニ形)第2期アルファベット1文字(+枝番)+番号で表現し、基本的にはアメリカ式車軸配置による区別を行う。第3期カタカナ3文字+番号で表現し、第2期に引き続きアメリカ式車軸配置による区別を行う。第4期満州国鉄線及び華北交通線の運営が満鉄に移管されたことに伴い、これら国線・社線の車両が管理対象に加わった。従来の付番では不足するため、基本記号と補助記号は第3期の命名法を踏襲しつつ補助記号は小文字とし、また番号の付番ルールが変更された。1 - 500が満鉄線用機関車、501 - 1500が満州国鉄線用機関車、1501 - が華北交通線用機関車。カタカナ数文字+車号1 - 4桁で表現する。カタカナで用途を表現する。第2期監査用のみ存在。動車の分類が存在せず、機関車の項目で計上されていた。アルファベット1文字(+枝番)+番号で表現する。形式はInspectionの頭文字Iを用いた。蒸気動車・ガソリンカー各1種存在したが枝番有無で分類。第3期旅客用動車が登場。旅客用動車はエンジンの点火方式で2種に分類された。監査用と旅客用で付番体系に差異がある。監査用:基本記号(+枝番)+車号旅客用:基本記号+客車等級+補助記号+車号旅客動車については満洲国鉄の経営委託を受け、満洲国鉄向けに配置転換及び新車形式の最初に国を付して別形式で供給する例が見られた。第4期第3期を基本とするが、旅客用動車の基本記号を使用燃料による3分類とした。満洲国鉄線車の形式に国を付す方式を廃し、補助記号を通し番号に改めた。基本記号(+客車等級)+補助記号+車号で表現する。用途順、製造順に特徴を記述すると下記の通り。第1期 - 第2期は米国製の輸入機関車が主流であったが、第3期あたりから満鉄製・日本製の機関車も製造されるようになった。以下、分類・形式は特記の無い限り製造当初のもの。※1 1912年に9550形蒸気機関車を製造するまで、日本は自前で幹線用の蒸気機関車を製造する技術を持っていなかった。秘扱い。その存在は原則として非公開であった。機関車同様、第1期 - 第2期は米国製の輸入車両が主流であった。当初付属地子弟の学童輸送等には貨物列車を停車させて乗客座席付車掌車や増結客車に便乗する措置が取られていたが、長編成の貨物列車を停車させる輸送上の非効率や危険性の観点から客貨分離が図られた。日本内地の内燃動車がバスの勃興に対する競争策として発達したのとは若干性格が異なる。欧米のガスエレクトリックや高速動車列車の影響を受けて重油・軽油ディーゼルの採用や動力総括制御・技術の国産化などの試みがなされ、短期間の割に形式数は多い。しかし実用的なものは機械式変速機の単車運転用ガソリンカーとジテ編成のみだったと思われ、最終的な増備は機械式変速のガソリンカーに戻る。自社工場で製造した若干例を除き、圧倒的に三井物産経由で日本車輌本店で製造された車輌が多い。殆どの車両が第3期中に登場するが、第3期は満鉄の形式と満洲国鉄線の形式が重なって煩雑なため、特記以外整理された第4期の形式で列挙する。
出典:wikipedia
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