『HITACHI FAN! FUN! TODAY』(ヒタチ・ファン・ファン・トゥデイ)は1986年4月 - 1990年3月までニッポン放送が制作し、NRN系列のラジオ局で放送された音楽情報番組。担当パーソナリティはニッポン放送アナウンサーの上柳昌彦。前番組の『日立・ミュージック・イン・ハイフォニック』〜『HITACHI MUSIC INN(日立ミュージック・イン)』同様、日立製作所による単独提供(通称『日立枠』)で、ローカルセールスの形態は取らず、全国同一スポンサーによるオンエアであった。キー局であるニッポン放送では月曜から木曜まで、深夜0時からの30分間で、ニッポン放送の平日24時台としては、当番組が初めてのベルト生放送番組であった。「コッキーポップ」の終了を受けて、1986年11月にスタートする、24:40からの『ぽっぷん王国』も、同様に生放送。なお、当番組のネット局は編成上の都合から生放送同時ネットは不可能であった。ニッポン放送ではこれに対応するため、別に録音版を毎週水・木曜日に収録、翌週分としてNRNラインで配信していた(但し、ゲスト出演回などの一部は生放送分を編集して送出)。ネット局向けはニッポン放送と違い、月曜から金曜までの放送(放送時間は同じく30分)であった。また、「ぽっぷん王国」についても同様の措置を採っていた(但し、金曜日放送分はネット各局での自社制作。ニッポン放送では放送なし)。番組テーマ曲とジングルには、当時デビューして間もない久保田利伸を起用していた(一時期、木曜日のみレギュラー出演もしていた)。録音版では、当時黎明期に入っていたパソコン通信を用いて、海外の芸能情報などを紹介する「FAN! FUN! TODAY Livenet」というコーナーを設けていた。1990年春の改編をもって、スポンサーの日立製作所が帯番組から撤退することになり、番組も終了。後番組としてローソン提供による『ブッタマほっとステーション』(ニッポン放送は『内海ゆたおの夜はドッカーン!』に内包)がスタートしたが、実質NRN系列のフルネットだった『FAN! FUN!TODAY』と違い、ネット局は十数局程度にとどまった。理由としては、この時期から多くの地方局が独自の夜ワイド制作などに力を入れ始め、編成上の障害となる30分帯番組のネットを敬遠したことなどが挙げられる。なお日立枠は帯番組から撤退後、週1回(主に週末)となり「HITACHI CRESCENT TIME」(ヒタチ・クレッセント・タイム)のタイトルとして放送され(参照)、引き続き全国のNRN系列にネットしたものの、その枠自体も1998年9月末に廃止された。一方、パーソナリティであった上柳アナは昼時間帯の日曜午前枠「上柳昌彦のベストヒットサンデー」に担当時間を移動した(1992年4月終了)。この番組は、NRN系列局が複数加盟している北海道では北海道放送、関西地方ではラジオ大阪へネットされた。またJRN単独系列の琉球放送や山陽放送(当時)にもネットされた(日立枠が週1回になった後もそのまま撤廃されるまで放送された)。なお、沖縄県の本来のNRN系列局であるラジオ沖縄では、当番組ではなく、当時ライバルの電機メーカーであるシャープの提供で「シャープと共に」というローカルのリクエスト番組が放送された。放送時間が一時期当番組の裏に当たったこともある。ニッポン放送以外の各局はいずれも月曜日から金曜日までの放送
出典:wikipedia
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