トーネード IDS(Tornado IDS)は、イギリス、西ドイツ(開発当時)、イタリアで国際協同開発された全天候型多用途攻撃機(マルチロール機)である。次世代機を共同開発する計画がヨーロッパ諸国とカナダの間で挙ったが、プロジェクトが本格的に実動する前にカナダ、ベルギー、オランダが計画から脱退し、イギリス、西ドイツ、イタリアの3ヶ国で開発された。主に航空阻止を主任務とし、プロジェクトにより合理化され、要撃、近接航空支援、艦艇攻撃、偵察などをこなすため多数の派生型が開発された。実戦でもトーネードは湾岸戦争で最も危険な任務に従事し、入念な訓練や準備を重ねた作戦によって驚異的な戦果を挙げており、イラク戦争にも参加した。西ヨーロッパ諸国の西ドイツ(当時)、オランダ、ベルギー、イタリアは旧式化したF-104G スターファイターの後継機を選定しなければならなかった。その結果、1968年1月に共同開発を行うMRCA(Multi Role Combat Aircraft)の計画が挙がった。3月3日に合同作業チームが編成され、カナダとイギリスも参加した。カナダはF-104 スターファイターをライセンス生産したカナディア CF-104の後継選定の候補で、イギリスはBAC TSR-2、F-111Kの開発中止が理由で参加した。3月26日にイギリスのBAC社、西ドイツのMBB社、オランダのフォッカー社、イタリアのフィアット社の4社は西ドイツにパナヴィア・エアクラフト(Panavia Aircraft)社を設立した。7月にはMRCA計画は6つの政府によって開始したものの、財政難を理由にベルギーとカナダが計画から脱退してしまった。後にベルギー空軍はジェネラル・ダイナミクスF-16 ファイティング・ファルコンをカナダ空軍はマクドネル・ダグラスF/A-18 ホーネットをそれぞれ選定した。しかし、10月にはMRCA計画の基礎が固まり、コストを抑えるため計画の進行に合わせて決定事項に署名する協定覚書をイギリス、西ドイツ、イタリアの3ヶ国が準備して参加国に署名させた。1969年7月にオランダのフォッカー社が脱退したため、作業はイギリスと西ドイツが分割し、残りはイタリアが担当した。1970年にはパナヴィア社と同様にイギリスのロールス・ロイス社、西ドイツのMTU社、イタリアのフィアット社によってターボ・ユニオン社が西ドイツで設立され、RB199ターボファンエンジンが開発された。イギリスは将来的にF-4 ファントム IIに代わる防空戦闘機としての能力も欲していたため、イギリスは西ドイツとイタリアと単座にするか複座にするかで対立し、軍の要望によるECMの装備で価格が予定よりも高くなり、製造されたRB199 エンジンの性能不足など細かなトラブルが起きたものの、イギリスは独自の派生型戦闘機の開発を行うなど後に問題は解決されていった。試作機はイギリスで6機、西ドイツで6機、イタリアで3機の15機と地上試験用の1機を含めて計16機が製造された。西ドイツの試作機(P.01)は1974年8月14日に初飛行を行い、同月にトーネードと命名された(イタリアでの読みはトルナード)。西ドイツ空軍や西ドイツ海軍航空隊、イタリア空軍は単にトーネードと呼称したが、イギリス空軍は地上攻撃・偵察(Ground attack/Reconnaissance)の用途を想定していたことからトーネード GRの名称を使用し、IDSはパナヴィア社が阻止攻撃(Interdictor-Strike)型として呼称した。イギリスの試作機(P.02)は2ヶ月後の10月30日に初飛行したが、イタリアは導入を遅らせるために試作機(P.05)が初飛行したのは1975年12月5日であった。MRCA計画で必要となったのは、多種多様な兵装の装備を可能にすることであり、試作機はテスト飛行以外にもこれらの試験に使用された。試作機のP.06はマウザー BK-27機関砲の搭載試験を行い、他の試作機もナビゲート・システム、操縦系統などの試験が行われた。しかし、こういったテストを繰り返していたこともあって、4名の殉職者と共に2機の試作機が事故で失われた。1976年7月にイギリス空軍、西ドイツ空軍向けのバッチ1の生産が承諾され、トーネードは本格的に配備に向けて動き出した。垂直尾翼の付け根にあるフェアリングの形状を変更した点と単純な試用改修を除けば、試作機から外見に目だった改良は行われていない。1979年にはイギリス向けの防空型(Air Defence Variant)、トーネード ADVの試作機が完成し、イギリス、西ドイツ、イタリアの三国共同訓練の覚書が署名された。1981年9月にはイタリア空軍向けのトーネードが生産された。冷戦時、トーネードは30発のSG357子爆弾と時限爆弾としても使用可能な215個のHB876地雷を散布する爆弾ディスペンサーのJP233を装備し、高速で低空侵入することでレーダーの探知を逃れつつ爆撃を行い、飛行場の機能を奪うことが任務であった。その能力を冷戦において発揮することはなかったが、湾岸戦争においてトーネード GR.1だけが滑走路破壊兵器であるJP233の搭載能力と低空侵入能力を有していた。そのため、多国籍軍の空爆の第一撃を担った。F-4G、F/A-18などと連携してイラクの飛行場を効率的に爆撃し、イラク軍の航空機を封じ込め、多国籍軍の制空権獲得に大いに貢献した。イラク軍も飛行場の防備に対空兵器を備え、それらの対空砲火は制圧任務を過酷なものにさせた。イギリスのメディアはトーネードが緒戦における制圧の完了によって戦術を変更すると、「損失が小さいものではなかったため、中-高高度からのレーザー誘導爆弾による攻撃へと戦術を変更」と報じるほどで、こういった根拠のない報道によってイギリスのみならず日本でもトーネードの評価は低い。多国籍軍が湾岸戦争で失った航空機の公式発表は64機だが、低空攻撃任務で失われたトーネードはわずか4機で、軍の予想も下回る損失率であった。飛行場制圧任務を終えたトーネードは1月21日より、中高度から無誘導爆弾を使用する爆撃任務に投入されたが、命中精度に優れた爆撃ができず、急遽、ペイブウェイ誘導爆弾を使った精密爆撃を行うためAN/ASQ-153 ペイブ・スパイクを装備したブラックバーン バッカニアが派遣され、バッカニアがレーザー照射任務を引き受けることにより爆撃任務を遂行した。一方、トーネードだけで爆撃が実行できるように少数の(Thermal Imaging Airborne Laser Designator)ポッドも用意された。2015年からアメリカ主導で実施されている生来の決意作戦にドイツ空軍のトーネードが偵察機として参加しているが、2016年に実施されたソフトウェア・アップデートの後、操縦室補助照明の照度がパイロットの視力に影響を与えるほど上がり、夜間作戦を実施できない状態になっているという。STOL(短距離離着陸)性、経済性、運動性だけでなく速度も考慮して可変翼を装備した。また、STOL性を良くするために、重量増加と機構の複雑化を忍んでまで、近代多用途機には珍しいスラストリバーサ(逆噴射装置)を取り付けている。その他の特徴として、世界初採用はF-16 ファイティング・ファルコンに譲ったものの、早期にフライ・バイ・ワイヤを採用したことも特筆される。
出典:wikipedia
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