ホワイティー・フォード(Edward Charles "Whitey" Ford, 1928年10月21日 - )は、元メジャーリーガー(投手)。ニックネームはChairman of the Board(評議会議長)。選手生活のすべてをニューヨーク・ヤンキースで過ごし、球団史上最多の通算236勝を記録。ワールドシリーズでの通算22先発・10勝・94奪三振・146投球回はいずれも歴代1位である。ニューヨーク市で生まれ育ち、1947年にニューヨーク・ヤンキースと契約。ケーシー・ステンゲル監督から高く評価され、1950年7月1日にメジャーデビュー。デビュー戦は中継ぎ登板による5失点で勝ち負けつかず、3戦目に8回3失点で初勝利を挙げてからは9連勝を記録。新人王の投票ではウォルト・ドロッポに次ぐ2位の票を集めた。1951年から1952年までは朝鮮戦争に従軍し、フォードは通信兵に配属された。電柱で作業中に転落事故に遭い、一時は選手生命危ぶまれる程の怪我を負ったが、懸命なリハビリの末1953年にチームに復帰。同年18勝6敗を記録した。1955年には最多勝、1956年には最優秀防御率・最多勝率、1958年には最優秀防御率、1961年と1963年には最多勝・最多勝率を獲得し、ヤンキースのエースとして活躍。1961年には、ベーブ・ルースの29 2/3イニングを上回り33回2/3 イニング連続無失点のワールドシリーズ記録を樹立し、ワールドシリーズMVPに輝く。同年、サイ・ヤング賞を受賞した。1967年に現役引退。1974年にチームメイトのミッキー・マントルと共に野球殿堂入りを果たした。同年、フォードの背番号『16』は、ヤンキースの永久欠番に指定されている。カーブが決め球の技巧派投手。テッド・ウィリアムズは「フォードは私が対戦したなかで5本の指に入るほど素晴らしい投手だった。投球のコンビネーションがよく、私は引っ張ることすらできなかった。私が彼から奪ったヒットは、流し打ったものばかり。失投がないから、本当に苦労したものだよ」とフォードの投球術を評した。フォードはスピットボールなどの不正投球を噂されていた。引退後、本人もこれを認めるような発言をしている。
出典:wikipedia
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