第13回ユーロビジョン・ソング・コンテスト(Eurovision Song Contest 1968)は、1968年4月6日(土曜日)にイギリス・ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催された。製作は英国放送協会(BBC)。放送時間:1時間37分。イギリスでの開催はこれで3度目だが、前年優勝によるものは今回が初めて。プレゼンターも女優のが3度目の登板となった。指揮者のノリー・パラマーはイギリスのみ。モナコの指揮にミシェル・コロンビエが4年ぶりの再登板した。この年の放送からカラー化されたが、カラー放送はまだ限られた国でしか実施されていなかった。カラー放送実施国は、イギリス、フランス、オランダ、スイス、ドイツ、スウェーデンの6ヶ国のみ。17ヶ国のネットワーク。(変動なし)リハーサル初日、アルバニア代表と称する人たちが出現したが、それは単なる悪戯だった。当初、スペインの代表はが出場することになっていた。しかし、彼がフランコ体制下のスペインで禁止されているカタルーニャ語での歌唱にこだわったため、TVE幹部は、代表をマシェルに交代させることを決定。メキシコ・ツァー中だった彼女は、急遽に呼び出されての出場となった。前年同様。各国の審査員は各10名。自国内で中継放送を鑑賞の上、1人1票ずつ投票。各国の放送局は、投票数を取りまとめて会場に電話連絡。スコアボードに加算されていった。現地イギリスでは、ヒットを連発しているアイドル クリフ・リチャード「 コングラチュレーションズ 」の優勝が有力視されていた。しかし、予想に反して、勝負は三つ巴の混戦模様にもつれ込んだ。投票前半はフランスがリードしていたが、後半になるとフランスの得票は伸び悩み、イギリスが優勢となった。そして、それをスペインが追う形になった。終盤、ドイツがイギリスに2票、スペインに6票を投じると、スペインがイギリスを追い抜きトップに躍り出た。その直後、最終投票国のユーゴの票は、どちらにも加算されなかったので、スペイン代表マシェル「ラ・ラ・ラ」が逃げ切り、優勝が決定したのだった。票差は僅か1票だった。悪意あるメディアは、「独裁フランコ政権が審査員を買収した」等と報じたが、EBU欧州放送連合では、そういった事実も、 根拠もないとコメントしている。 得点票(末尾記載)で各国投票の内訳を見ると、マシェルにはポルトガル、イタリアといったラテン系の国からの支持が高かったことが分かる。「ラ・ラ・ラ」は、劇的な優勝を導いたドイツの楽団指揮者ベルト・ケンプフェルトによりニュー・アレンジが施され、スペイン語の他、ドイツ語、フランス語、英語版が録音・発売された。一方、クリフ・リチャードのイギリス以外でのレコード・セールスは、それまで必ずしも絶好調だったとは言えない内容で、買収報道はイギリス人の主観的なものだったと判断できる。「コングラチュレーションズ」もイギリス、アイルランド、ベルギー、オランダ、ノルウェーのヒットチャートで1位を記録したが、ドイツでは5位止まり。日本ではクリフの代表曲として人気が高いが、アメリカでは99位に終わっている。各曲の歌詞については以下を参照のことDiggiloo Thrush英語版・フランス語版・Eurovision.tv
出典:wikipedia
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