セーブ(英:Save)とは、野球で、リードしているチームの救援投手が試合終了までリードを守りきることで付く投手記録。最多のセーブを記録した投手に最多セーブ投手のタイトルが与えられる。元々はアメリカ合衆国において、イリノイ州シカゴの地方紙シカゴ・トリビューン紙のスポーツ担当記者だったジェローム・ホルツマンがに提唱したものである。前年のにMLBのピッツバーグ・パイレーツのロイ・フェイスがフォークボールを武器に救援専門で当時のMLB新記録となる18勝(1敗)の成績を挙げ、ホルツマンが彼の成績に着目した事がきっかけとなった。フェイスは18勝という素晴らしい成績を残してはいたが、そのうち10勝はリードを守りきれず、先発投手の勝ち星を消してしまったがゆえに得た勝利であった。当時は救援投手の評価基準が防御率と勝敗しかなく、ホルツマンは救援投手を正当に評価する指標が必要であるという想いを強くした。ホルツマンはセーブの概念を複数のメディアに発表し、公式記録とするようにMLB機構にも働きかけ、に正式に公式記録となった。MLBでは50年ぶりの新たな公式記録誕生となった。から、きちんと条文が整理されてルールブックにも記載されるようになった。よりスポーティング・ニューズ誌が誌上で表彰することとなった。制定当初は「(1)2点リードで登板し、1イニングを完全に投球した場合。(2)同点または勝ち越し点になる打者と対戦し、リードを守り切った場合」と現在より厳しい条件だった。このセーブに救援勝利を加算したものをセーブポイントと呼び、その両リーグ1位を最優秀救援投手として表彰した。1961年の最優秀救援投手は、アメリカンリーグは救援勝利15と19セーブを挙げたルイス・アローヨ(ニューヨーク・ヤンキース)。ナショナルリーグは救援勝利14、セーブ12のスチュー・ミラー(サンフランシスコ・ジャイアンツ)だった。その後、セーブを稼ぐためにほぼセーブ機会だけに登板するクローザー(抑え投手)という役割を持った投手が現れ、特定の投手にセーブが集中するようになったため、制定当初のセーブの意義と著しく乖離するようになった。そのため、現在ではホールドなどが救援投手の新たな評価基準となっている。公式記録として初めてセーブが記録された投手はビル・シンガー(ロサンゼルス・ドジャース)である。1969年4月7日のシンシナティ・レッズ戦(シーズン開幕戦)で記録している。シンガーは本来は先発投手であったため、通算セーブ数はこれを含めてたった2つである。日本プロ野球ではにセ・パ両リーグで公式記録として導入された。セーブを記録する為には、まず以下の条件を全て満たす必要がある。その上で、以下の条件を1つ以上満たした場合にその投手にセーブが記録される。一旦セーブが記録された場合でも、試合後にその試合が没収試合となり当該チームが敗戦とされた場合、その投手に記録されたセーブは取り消される。セーブの条件は日本プロ野球の規定と同一であるが、メジャーリーグベースボールでは、からセーブ失敗を表すブロウンセーブ(Blown save;「吹き飛んだセーブ」の意。BSとも略される)も記録されている。これは前述のセーブの条件を満たした状態(メジャーリーグベースボールにおけるホールドが記録される条件も含む)から登板した投手が、自身の登板中に相手チームに同点に追いつかれる、あるいは逆転を許した場合に記録される。同点あるいは逆転となった失点が自身に記録されるか否かは関係ない(前任投手が残した走者が自身の登板中に生還してリードを維持できなかった場合も記録される)。ブロウンセーブは取り消される事が無く、勝利投手や敗戦投手と重複して記録される。試合展開によっては複数人にブロウンセーブが記録される場合もある。セーブ機会(Save opportunity。SVOとも略される)はセーブ数の合計とブロウンセーブ数の合計を足した数値で求められる。セーブ成功率(Save percentage)はセーブ数の合計をセーブ機会で割ることで求められる。メジャーリーグベースボールでは、セーブ機会での登板のみが連続セーブ記録の対象となり、セーブの付かない場面での登板は連続記録とは無関係である。にエリック・ガニエ(ロサンゼルス・ドジャース)が55試合連続セーブのシーズン記録を樹立したが、そのシーズンの登板数は77試合であり、22試合はセーブ機会ではない場面での登板だった。一方、日本では、すべての登板が連続セーブ記録の対象となり、セーブが付かない場面で登板すると無条件に連続セーブ記録が途切れてしまう。ただし延長12回裏などに登板して引き分けに持ち込んだ場合はこの限りではない。
出典:wikipedia
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