慕容 (ぼよう こう、拼音:Mùróng Huǎng)は、五胡十六国時代の前燕の初代王。鮮卑慕容部の大人(たいじん:部族長)で、慕容廆の三男。兄に慕容翰、弟に慕容仁、慕容昭、慕容評、慕容幼などがいる。昌黎郡棘城県(現在の遼寧省義県の西方)の人。顔は龍のようで板のような歯をしていた。身長は七尺八寸(約179cm)。勇ましくて強く権謀術数に長けており、経学が高く、天文は優れていた。父・慕容廆が遼東公となると、その世子に立てられた。317年、冠軍将軍に任ぜられた。後に左賢王・平北将軍となり、朝鮮公に封ぜられた。333年、父・慕容廆が病没すると、その位を継いだ。翌年、東晋によって平州刺史・大単于に任ぜられ、遼東公に封ぜられた。337年、自ら燕王を称した。これが前燕の建国である。翌年、後趙の石虎が数十万の兵を率いて来攻したが、子の慕容恪を遣わして撃退した。341年、陽裕らに竜城(同遼寧省朝陽県)を築かせて、新たな都とした。342年、東に高句麗を攻め、丸都城(現吉林省集安西北)を毀った。343年、鮮卑宇文部の逸豆帰を破り、これを討ち取って宇文部の一派を滅ぼした。やがて、狩猟していた時に落馬をして頭を強打したのが原因で、そのまま逝去した。享年53。次男の慕容儁(烈祖)が後を継いだ。『典誡』十五篇を著して宗族諸子に教えた。また、漢族の流民を受け入れた。このために、前燕は人口が増えて発展した。
出典:wikipedia
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