フォーティナイナー("、1985年 - )はアメリカ生まれの競走馬、種牡馬である。競走馬時代はアメリカでG1を4勝し、種牡馬としてもアメリカと日本で成功を収めた。馬名の由来はアメリカのゴールドラッシュの翌年である1849年にカリフォルニア州に入植した人々"forty-niner" (49er) から。父ミスタープロスペクター(探鉱者)、その母ゴールドディガー(金鉱採掘者)の名前よりゴールドラッシュに関係した名前が付けられている。1987年7月にデビュー勝ちを飾ると、次走6着を挟んでその後G1・2勝を含む重賞4連勝。この年6戦5勝という文句のない成績を残しエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選出された。翌1988年はフロリダダービーでブライアンズタイムの2着。クラシックではケンタッキーダービーでは牝馬ウィニングカラーズに逃げ切られ2着、プリークネスステークスでは7着に敗れた。ベルモントステークスには出走しなかったが、夏にはハスケル招待ハンデキャップ、トラヴァーズステークスでシーキングザゴールドを破りG1を連勝。そのまま休みなくウッドワードステークスに出走するがアリシーバの2着。準重賞勝利を挟んで臨んだブリーダーズカップ・クラシックではまたもアリシーバの4着に敗れ、同レースを最後に引退、種牡馬入りした。母国アメリカで種牡馬生活をスタートさせ、初年度産駒からG1ホースを送り出した。その後もベルモントステークス優勝馬エディターズノート、G1を2勝し日本に輸入されたコロナドズクエストなどの活躍馬を輩出し、1996年北米リーディングサイアーに輝いた。その1996年に日本に輸入されるとダートで活躍する馬を輩出し、サイアーランキング上位の常連となった。本馬の活躍を受けて産駒のエンドスウィープ、トワイニング、コロナドズクエストも種牡馬として日本に輸入されている。2007年、この年の種付けシーズン終了後、受精能力の低下から種牡馬生活を引退した。しかし競走馬・種牡馬としての高い実績を考慮し、繋養先の日本軽種馬協会 (JBBA) では功労馬として同馬を引き続き繋養しており、現在もJBBA静内種馬場で余生を過ごしている。アメリカでは競走実績を問わず本馬の子供が種牡馬として活躍することも多く、度々アメリカから高額で買い戻しのオファーが来ていた。サンデーブレイクのように日本で生まれた後、アメリカに輸出されて活躍した産駒もいる。アメリカでの産駒の活躍とは対照的に日本の中央競馬でのGI馬、特に芝のGI馬は出ていない。主な後継種牡馬であったビワシンセイキ、マイネルセレクトは韓国へ輸出され、ユートピアは現役時にアメリカに移籍し、現地で種牡馬入りしている。そのため現在日本国内には、内国産の目立った後継種牡馬がいない。エンドスウィープなど日本で実績のあった種牡馬を含め、フォーティナイナーの後継種牡馬も海外からの輸入が主であった。近親には、母Fileの半姉Tuerta(父Forli)の産駒にSwale(ケンタッキーダービー、ベルモントステークス)、同じく母の半姉Continuation(父Forli)の孫にシャディード(2000ギニー、クイーンエリザベス2世ステークス)、同じく母の半弟にワイドナーハンディキャップに優勝し日本で種牡馬として活躍したヤマニンがいる。本馬の半弟レコーダーIIは、輸入種牡馬。
出典:wikipedia
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