南区(みなみく)は、埼玉県さいたま市を構成する10区のうちの一つである。埼玉県さいたま市の南端に位置し、南側を川口市、蕨市、戸田市に接する。旧浦和市の中央部南側に相当する。区の北側は浦和区に面しており、旧浦和市の中心市街地に近接している。さいたま市が政令指定都市に移行するに当たり、旧浦和市域は4つに分割され、西部に桜区、中心市街地を含む中央部北側に浦和区、中央部南側に南区、東部に緑区が設置された。中央部南側に位置する南区の区域は、六辻地区のほぼ全域、北部を除く谷田地区の大部分、土合地区のうち鹿手袋・関・四谷、および西浦和地区(1963年(昭和38年)に戸田町(現:戸田市)から旧浦和市に編入された地域)で構成される。南区は東北東~西南西方向に細長く、区北東部には、区の西寄りの武蔵浦和駅前にある南区役所よりも、緑区役所の方が格段に近い地区もある。このように、区役所から距離のある地域までが南区に含まれているのは、武蔵野線の南浦和駅~東浦和駅間に新駅を設置する構想があり、将来的な鉄道交通による区役所アクセスを考慮して区域が設定されたためである。関東平野の中に位置する南区は、区の全域にわたって標高が低く、最も低い地点で海抜2.9m(大字堤外)、最も高い地点でも標高16.9m(根岸1丁目)である。南区は、大宮台地(北足立台地)浦和大宮支台の南端部から、その南側の川口低地にまたがり、桜区や川口市・蕨市・戸田市に近い区の西部や南部は標高が低く、浦和区や緑区に近い区の北部や東部はやや標高が高い。また、大宮台地には、藤右衛門川などの中小河川が入り込み、谷底平野が形成されている。南区では、低地と台地の境界付近に荒川(古入間川)の流路や自然堤防の痕跡がみられる。谷底平野の出口に位置する別所沼や白幡沼は、このような旧流路の自然堤防の堆積物にせき止められた水によって形成されたと考えられている。区の西側には荒川が流れており、朝霞市との境をなしている。南区の総面積1389haのうち781.5ha(56.3%)を宅地が占める一方、田・畑・山林は合計で5%に満たない。また、区西端の荒川堤外地を除く全域(13.62km²、区全体の98.1%)が人口集中地区(DID)に含まれており、その大部分は住宅地となっている。南区の住宅のうち集合住宅の戸数割合は66%、借家の戸数割合は41%であり、いずれもさいたま市平均や埼玉県平均より高い。主な商業地は、南浦和駅周辺と武蔵浦和駅周辺に形成されている。このうち武蔵浦和駅周辺地区は、さいたま市の副都心として位置づけられており、市街地再開発事業等による都市再開発が行われている。また、武蔵浦和駅周辺地区の南側や新大宮バイパス沿い等には、都市計画法上の準工業地域に指定された地域があり、工場や物流施設が多く立地している。現在ではほぼ全域が宅地化している南区であるが、1960年(昭和35年)時点においては、京浜東北線の蕨駅~浦和駅の間の4.5kmに鉄道駅はなく、現南区域の大部分には水田が広がっていた。当時人口集中地区に含まれていたのは、現浦和区との境界付近の大宮台地上のみである。その後、1961年(昭和36年)に南浦和駅が開業すると宅地化が急速に進み、1980年(昭和55年)までに区のほぼ全体が人口集中地区に含まれるようになった。南区の世帯数は8万世帯弱、人口は18万人弱であり、さいたま市の区の中で最も多い。また、人口密度は1万3千人/km²弱であり、埼玉県の市区町村としては蕨市、さいたま市浦和区に次ぐ第3位である。住民の年齢構成は比較的若く、2010年(平成22年)時点において、住民の平均年齢は41.0歳であり埼玉県内の市区町村では和光市、戸田市、伊奈町に次いで4番目に低く、65歳以上人口割合は15.8%で和光市、戸田市に次いで3番目に低い。世帯所得水準や学歴水準は比較的高く、2013年(平成25年)時点の年間収入1000万円以上の世帯が占める割合は10.8%、2010年(平成22年)時点における25歳以上人口のうち大卒・院卒者が占める割合は36.9%である。これは、いずれも埼玉県内の市区町村ではさいたま市浦和区、中央区に次いで3番目に高い水準である。南区成立後から毎年4月1日の人口。住民基本台帳人口より(台帳法改正前の2012年以前は台帳人口+外国人登録人口の数値)。区内を東西に武蔵野線が、南北に京浜東北線、埼京線が走る。2002年から「南区ふるさとふれあいフェア」が11月初旬に行われている。以前は大里臨時グラウンドで行われていたが、再開発後は浦和競馬場で開催されるようになった。熱気球体験やフリーマーケットなどが行われる。
出典:wikipedia
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