長谷川 勇也(はせがわ ゆうや、1984年12月22日 - )は、山形県鶴岡市出身の福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(外野手)。愛称は「ハセ」、「ハッセ」、「ハセユー」。小学校に入る前に5歳上の兄が所属する少年野球の練習を見た事をきっかけに野球に興味を持ち、鶴岡市立大泉小学校3年生時に両親の許可が下りて大泉スポーツ少年団で軟式野球を始めた。鶴岡市立鶴岡第四中学校でも軟式野球部に所属し、主に投手としてプレーしていた。酒田南高等学校に進学すると、1年秋に外野手に転向し、2年夏、3年春・夏と3季連続で甲子園出場を果たした。1学年下の後輩に元オリックス・バファローズの小林賢司がいた。専修大学では1年春からレギュラーに定着し、3年秋には東都大学リーグ2部首位打者、4年秋には41打数14安打で打率.341、6本塁打を放ちMVPを獲得した。同大学の9季ぶりとなる1部昇格の立役者となった。大学通算18本塁打。同期に読売ジャイアンツの松本哲也、BREATHEの宮田慧、1学年下の後輩に元読売ジャイアンツの土本恭平がいた。11月21日、ドラフト会議の大学生・社会人ドラフトにて福岡ソフトバンクホークスの5巡指名を受けて入団した。俊足巧打、安定した選球眼で高い出塁率を誇るリードオフマン。江夏豊は「守れて、そつのない走塁ができて、しぶといバッティングができる」と評価している。小さい体重移動で球を呼び込み、ライナーで外野の間を抜くシュアな打撃が持ち味。王貞治から「松中みたいな打球を飛ばす」と評されたこともあり、2009年6月21日の横浜ベイスターズ戦では三浦大輔から推定140メートル以上の特大場外ホームランを放ったこともある。2009年には12球団トップの2ストライク後打率.268をマーク(平均打率.189)し追い込まれてからの対応も良いが、内角の対応に課題を残す。2009年から逆方向に打つ意識を心がけている。これは左手小指の骨折が原因で、小指は真っ直ぐに伸びなくなってしまい、以前は55kgあった握力が35kgまで落ち込んでしまったことで握力の低下をカバーするために小指を右手人差し指の上に被せるゴルフのような握りで克服した。さらに下半身の強化に着手し、腕の力に頼りがちだったフォームも下半身で押し込む意識を高めるよう修正した。結果、パワーが戻り、以前は空振りしてしまっていた縦方向の変化球にも食らいつけるようになったという。主にセンター、近年はライトとして起用されるが、リードした試合の終盤には中堅に城所龍磨が入り長谷川が左翼手に回るという守備変更がしばしば見られた。特に2011年はチームが先制点を守るスタイルでの勝利が多かったため、主に左翼で起用されていた内川聖一の代走もしくは守備交代に城所が入り、長谷川が左翼手に回るというシーンが3試合のうち2試合で見られるほど頻繁に行われた。プロ入り前は50メートル走のタイムが6秒1、遠投115メートルだった。主力選手が温暖な沖縄やグアムで自主トレを行う12月〜1月にずっと福岡にとどまって自主トレを行なっていることについて、スポーツ新聞の取材に「僕の場合、環境が変わることがストレスになりますので」と答えている。愛称はハセユー。チームでのニックネームはもえちゃん。2009年のホークスファン感謝デーでチームメートから暴露され、名付親は当時コーチの森脇浩司(現オリックスシニアアドバイザー)。小学生の頃からプロ野球選手の食事を特集した本を購入し、母親にバランスの良い食事を依頼していた。高校2年生時の修学旅行では欧州へ行く予定だったが、アメリカ同時多発テロ事件の影響で福岡へ変更となり、その際に初めて福岡ドームを訪れた。
出典:wikipedia
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