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KEI山宮

KEI山宮(ケイやまみや、1972年7月12日 - )は、日本の男性総合格闘家。神奈川県茅ヶ崎市出身。GRABAKA所属。元ライトヘビー級キング・オブ・パンクラシスト。神奈川県立茅ヶ崎高等学校、国士舘大学卒業。国士舘大学時代はレスリング部に所属。関東選手権82kg級2位の実績を残した。大学卒業後、スポーツインストラクターとして地元で社会人生活を送っていたが、1995年にパンクラス入門。1997年の『ネオブラッド・トーナメント』では優勝を果たした。1999年11月14日、UFC Japanでユージーン・ジャクソンと対戦し、左フックでKO負け。この試合よりリングネームを本名からKEI山宮に変更した。2000年6月26日、PANCRASE 2000 TRANS TOURでライトヘビー級(-90kg)ランキングトーナメントに参戦。1回戦、2回戦を勝ち上がり、準決勝に駒を進める。そして2000年9月24日の決勝大会の準決勝でオマー・ブイシェにチョークスリーパーで一本勝ち。さらに決勝で美濃輪育久に判定勝ちし優勝。初代パンクラスライトヘビー級王座に認定された。2001年1月8日、DEEP2001旗揚げ大会でパウロ・フィリョと対戦し、KO負け。この試合で右目篩骨を骨折し全治3か月となったため、保持していたパンクラスライトヘビー級王座を返上した。2001年10月30日、ismと外部勢力GRABAKAとの対抗戦で郷野聡寛と対戦し、判定負け。この試合がきっかけとなり、山宮は更なる強さを求めてismを脱退、2003年12月1日付けでGRABAKAに移籍した2006年7月23日からは、キックボクシング団体である全日本キックボクシング連盟に参戦。2007年2月25日、K-1の日本人戦士育成プロジェクト「K-1 JAPAN TRYOUT」に参加し、合格を果たした。2007年5月4日から5月6日にかけて、ゴールドジム幕張千葉アネックスで「K-1 TRYOUT 日本選考合宿」を行い、アーネスト・ホーストがコーチを務める「チーム・ホースト」所属となった。2007年8月16日、K-1 TRYOUT 2007 SURVIVALで洪太星と対戦、判定負け。2007年12月22日、パンクラスで川村亮と対戦し、判定勝ち。この試合からリングネームを再びKEI山宮に変更した。2008年4月27日、パンクラスで近藤有己と対戦し、判定勝ち。だが、翌日の会見で坂本靖常務に「イニシャル通り、KYで空気読めない」と言われた。6月1日の金原弘光戦では「KY」とプリントされたスパッツで登場し、判定勝ち。2008年10月1日、第4代ライトヘビー級キング・オブ・パンクラス決定戦で川村亮と対戦し、判定負けを喫し王座獲得に失敗した。2009年5月2日、戦極初参戦となった戦極 〜第八陣〜でシャンジ・ヒベイロと対戦し、右フックでKO負け。2010年6月5日、第5代ウェルター級キング・オブ・パンクラス王座決定戦で宇良健吾と対戦。判定は3者とも30-30となるも、マストシステムで1-2の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。2010年8月8日、パンクラスのメインイベントでキム・フンと対戦し、2-0の判定勝ち。入場時にはレイザーラモンHGのコスプレで登場し、スパッツの尻部分には「ハードKEI」とプリントされていた。2010年11月3日、パンクラスでガジと対戦予定であったが、当日の大会中にガジのドクターチェックを行なった結果、左足の靭帯損傷および骨折の疑いにより不戦勝となった。12月5日、「2010鳥生三番勝負第三弾」として鳥生将大と対戦し、左ハイキックでKO負けを喫した。2012年9月1日、ウェルター級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチで佐藤豪則と対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。2015年10月10日、伊藤崇文とタッグを組み、全日本プロレスに参戦。プロレスルールで団体期待の若手レスラー野村直矢、青柳優馬と対戦し勝利した。2015年11月7日ハードヒット横浜大会にて、川村亮相手にプロ格闘技100戦目記念試合を行った。結果はレフリーストップ負け。

出典:wikipedia

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