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国鉄キハ66系気動車

国鉄キハ66系気動車(こくてつキハ66けいきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1974年(昭和49年)から筑豊地区の輸送改善を目的に設計・製造した気動車である。同一形態を備えるキハ66形とキハ67形の2両で1ユニットを組む。キハ67系、あるいは両形式を一まとめにしてキハ66・67系とも呼ばれる。山陽新幹線博多開業(1975年3月10日国鉄ダイヤ改正)に先立ち、筑豊・北九州地区の新幹線連絡輸送に使用する目的で開発され、新潟鐵工所と富士重工業の2社が製造を担当した。両開き2扉車体に座席間隔910 mm のゆとりある転換クロスシートと冷房装置を装備し、定格出力440 PS のディーゼルエンジンを搭載する。当形式は近郊形に分類されることもあるが、従来の急行形車両であるキハ58系をもしのぐ水準の接客設備と動力性能を有する車両であり、実際にも1980年(昭和55年)までは急行列車にも使用されていた。このため、登場当時の鉄道趣味雑誌などでは「汎用気動車」という呼称をされたが、同趣向の車両が続いて製造されなかったため、定着せずに終わった。当時は、逼迫する国鉄の財政事情と、過大な自重から、増備や他線区投入などは実現せず、本系列は1975年(昭和50年)までに30両(2両編成×15本)が製造されたのみに終わった。しかし、地域事情を考慮した設備や走行機器類の仕様は、標準化一辺倒のそれまでの硬直化した国鉄車両の設計から一歩踏み出した意欲的な設計として評価され、1976年(昭和51年)に鉄道友の会第16回ローレル賞を受賞した。両形式とも全長21.3 m(車体長20.8 m)車幅2.9 mと急行形気動車同等の大型車体である。2両1ユニット運用を前提に設計されたため片運転台を採用した。前頭形状は、正面貫通形・シールドビーム2灯式前照灯の上部配置・前照灯間の種別表示器など、急行形のキハ58系後期形やキハ65形に類した形態であるが、踏切衝突事故対策の強化から運転台はそれらよりも更に高位置とした。この形態は続いて開発されたキハ40系やキハ58系改造車のキユニ28形・キニ28・58形でも踏襲された。側面は、車体端部からやや中央寄りの2ヶ所に幅1.3 m の客用両開き自動扉を設けた上で、扉間の窓は座席2列(前後2脚)に1組の割合の、2段式の外ハメユニット窓を4組並べた形態となった。窓配置は阪急2800系電車や西鉄2000形電車など大手私鉄の電車に類似例はあったが、国鉄形としては初めての例である。また一般形気動車としては電動式行先表示器(方向幕)がはじめて採用された。車内にデッキはなく、ドア両脇をロングシートとした他は転換クロスシートとした(ロングシート隣接部と車端部は固定式)。当時の国鉄車両で転換クロスシート使用例は新幹線0系電車を除いてほとんど存在せず、急行形車両を凌駕する「新幹線並みの設備」であった。冷房は従来の特急・急行用気動車で一般的だったAU12・13系分散式冷房装置ではなく、通勤形・近郊形電車で実績のあるAU75形集中式冷房装置を車体中央部屋上に各車1基搭載した。冷風はダクトを介して乗務員室にも供給され、運転士・車掌の乗務環境改善に貢献した。暖房はそれ以前の一般型・急行形気動車で採用されていたエンジン冷却水の廃熱利用でなく、冷房と同一電源で作動する電気暖房装置を採用した。上述のサービス用電源は、キハ67形に搭載された4VKディーゼル機関でDM83A発電機を駆動して供給する。便所はキハ66形に設置する。キハ91系・キハ65形・キハ181系で採用された大出力エンジンの改良型である水平対向12気筒の過給器付DML30HSHを搭載した。ベースとなったDML30HSは、当時の国鉄気動車用エンジンでは最も高出力である反面、多気筒ゆえの煩雑な噴射ポンプと噴射ノズルの調整不備による燃料噴射量の過大なばらつき・熱変形によるヘッドガスケットの吹き抜け・自然通風式ラジエーターによる冷却系の脆弱性・エンジンの高回転域を多用するトルクコンバーターの仕様と変速比の設定難など、複合要因によるオーバーヒートやトラブルが絶えず、現場は非常に苦慮していた。それにもかかわらず国鉄は、輸入やライセンス生産、民生機の採用に頼らず、高速・高出力のディーゼルエンジンを独力で設計することを貫いていたため、他に選択肢は無かった。このため本系列では以下の対策を施工した上での搭載となった。冷却系は屋根上連結面寄りに静油圧式ファン2基ないしは3基搭載してエアフローを形成。屋根側面に設置したラジエーターの熱を奪う強制通風式冷却機構も搭載することで、走行速度に左右されない冷却性能を確保した。ただし本機構においても初期故障が頻発し、運用期間中に幾度となく改良工事が施工された。機関の老朽化が進行した国鉄末期には冷却水の流量不足によるオーバーヒートが多発し、屋根上に冷却水強制循環用電動ポンプを追加搭載し、放熱器素そのものも改良型に交換して問題の解決が図られた。騒音源はこの冷却系に限らず、防音箱に収められていた発電用の4VK形を含め、エンジンの騒音・振動対策は充分ではなく、発車直後や上り勾配区間走行中の力行時には車内では、普通の声では会話が成立しない程度の轟音であったため、新聞に取り上げられたという逸話がある。液体変速機は、キハ181系等に使われていた自動式のDW4を手動の摩擦クラッチ仕様に変更したDW9を搭載する。大出力対応ではあるが、当時の技術的限界故に変速1段・直結1段の3要素型であり、トルクコンバーターのストールトルク比も小さく、高回転を強いる設定のため、伝達効率は良くない。DW4・DW9・DW10(キハ40系で採用)の新形大出力機関用変速機は、ベースのDW4が架装空間に余裕のない2軸駆動台車用であったことからいずれも変速機側に逆転機を内装しており、台車には小型化された減速機のみが装架される。空気バネ台車のDT43(動力台車)・TR226(付随台車)を装着する。1台車2軸駆動を実現するために車体直結式空気バネとリンク式牽引機構を組み合わせて心皿を省略したDT36系との比較では、枕梁に貫通孔を設けて第2軸の最終減速機から第1軸の最終減速機へ動力を伝達する自在継ぎ手を通すことで枕梁の中央に心皿を設けている点で異なるため、DT36系には存在しない車体と枕梁を結合するボルスタアンカーが搭載される。これに対し、軸箱支持機構はアルストーム・リンク式とウィングバネを組み合わせたようなDT36と同様の機構が継承された。ブレーキは同系の機関を搭載するキハ65形のシステムを踏襲し、応荷重増圧装置付き電磁自動空気ブレーキ(CLE)が採用された。低圧制御回路も在来車と同様のKE53形ジャンパ連結器2基としたため、在来形気動車との併結も可能である。実際に一部で在来形気動車と併結する運用が組まれ、急行運用では「日田」「はんだ」が久大本線日田 - 由布院間でキハ58系による「由布」と併結していた実績もある。走行機関であるDML30HSHは整備性と燃費が悪く、加えて老朽化したこともあり、1993年(平成5年)から新潟鐵工所製DMF13HZA(420 PS / 2,000 rpm)に換装された。従来の水平対向12気筒に対し新エンジンは現代的な設計の直噴式横型直列6気筒で、整備性や信頼性の向上と同時に大幅な軽量化と省燃費・低騒音化を実現した。直噴エンジンへの換装による発生熱量の減少に伴いラジエーターは小型化されて床下搭載となり、DML30HSH搭載時代の末期には老朽化に伴う冷却水の流率悪化でトラブルの原因となっていた屋根上の静油圧駆動ファンとラジエーターは撤去された。変速機も新潟コンバータ製変速1段直結2段自動切替式液体変速機であるDW14Hに交換された。高効率の新型変速機への交換でエンジン性能を有効に引き出すことが可能になり、スペック上のエンジン定格出力はやや低下したものの走行性能はむしろ以前よりも向上した。本工事は2001年までに全車への施工が完了し、同時にサービス電源用の発電セットも換装された。2011年の国鉄色への塗装変更と同時にキハ66 10は、小倉工場(現・小倉総合車両センター)で台車交換を実施。キハ66 110に改番された。また、2013年に同車とペアを組むキハ67 10も小倉総合車両センターで台車交換を実施。キハ67 110に改番された。一般形気動車と急行形気動車を折衷した設計コンセプトから、新製時には一般形の朱色4号とクリーム4号ながら急行形の塗り分けで塗装されたが、1978年(昭和53年)10月2日実施の「車両塗色及び表記基準規定」改正で急行形と同じ赤11号とクリーム4号の組み合わせへ順次変更された。JR九州への移行と前後して急行色からアイボリー地に青帯の九州一般色へ変更。2000年(平成12年)にはミレニアム記念として、第1編成(キハ66 1+キハ67 1)が国鉄急行色への塗装変更を実施。同編成は、2009年(平成21年)には熊本地区での団体列車に使用するため貸し出された。2001年(平成13年)の長崎転属後には、国鉄急行色の第1編成を除く全編成がキハ200系とほぼ同一のシーサイドライナー塗装へ変更された。以後は下記の編成で以下の塗装変更を実施した。この他にも第5編成(キハ66 5+キハ67 5)が2006年(平成18年)頃に車体側面へ佐世保バーガーのラッピングを施工された例がある。当初、直方気動車区(現・筑豊篠栗鉄道事業部直方車両センター)に配置され、1975年3月10日のダイヤ改正より運用を開始した。筑豊本線・篠栗線などで快速のほか、関門トンネルを通過し下関までの列車や1980年(昭和55年)までは筑豊本線ローカル急行列車である「はんだ」および「日田」で日田彦山線などでも運用された。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には全車JR九州に承継されたが、軸重の制約から一貫して筑豊本線を中心とした北九州地区の非電化路線に限定して運用された。1991年3月16日のダイヤ改正で筑豊本線・篠栗線にキハ200系が投入された後も引き続き同線で運用された。2000(平成12)年度からワンマン運転対応化改造が施工され、一部の座席を撤去して定員が増加した。運転方式の関係で運賃箱および整理券発行機は未設置。2001年(平成13年)10月の筑豊・篠栗線電化完成により、全車が長崎鉄道事業部長崎車両センターに転属、運賃箱・整理券発行機が設置された。2013年(平成25年)3月15日に全車が長崎鉄道事業部佐世保車両センターに転属した。2006年(平成18年)までは松浦鉄道佐々駅まで乗り入れしていた。ATSについては新製時はS形、のちにSK形、DK形へと改造されている。製造から30年以上が経過し、内外装の更新、エンジンと補機類の交換、JR九州に残る他の国鉄形車両同様の屋根上通風器撤去などの改造が施工され、15編成計30両で佐世保線・大村線・長崎本線の快速「シーサイドライナー」や普通列車で運用されていた。しかし、2015年(平成27年)3月のダイヤ改正でキハ66 4・キハ67 4が運用を離脱し、2016年2月に廃車された。2016年4月1日時点で、14編成計28両が在籍している。

出典:wikipedia

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