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江南区 (新潟市)

江南区(こうなんく)は、新潟市を構成する行政区のひとつ。かつて大湿地帯であった「亀田郷」のほぼ全域を占める。旧新潟市域の南地区の一部(曽野木、両川地区)と石山地区の一部(大江山地区)、亀田地区(旧亀田町)、横越地区(旧横越町)のほぼ全域によって構成され、区役所は亀田地区(旧亀田支所)に置かれている。なお、曽野木地区のうち日本海東北自動車道北側の地域は中央区の区域、亀田地区と大江山地区のうち同道北側の地域は東区の区域、曽野木地区と両川地区のうち信濃川左岸側の地域は南区の区域、大江山地区のうち細山の一部、横越地区のうち十二前など阿賀野川右岸側の地域は北区の区域となっている。かつて亀田郷一帯は泥田に覆われ「地図にない湖」と形容されるほどであったが、1948年(昭和23年)以降、栗ノ木排水機場の整備など土地改良事業が進められ、良質の乾田に一変した。信越本線や亀田バイパスが通るなど交通の便にも恵まれていることから、近年は市内中心部のベッドタウンとして人口増加が著しく、他の行政区とも地理面・経済面で非常に近しい関係にある。新潟平野を流れる信濃川、阿賀野川およびその支流である小阿賀野川に囲まれた地域は「亀田郷」と呼ばれる地域を形成しており、北・西・南の三方から包み込まれるような形で新潟市の他の行政区と接している。旧亀田町の「亀田地区」、旧横越町の「横越地区」と旧新潟市域3地区で構成される。旧新潟市域3地区は、かつてはいずれも農村部。3地区とも亀田・横越同様、元々中蒲原郡に属する村であったが、1957年(昭和32年)5月3日に新潟市に編入した。政令市移行前は、曽野木・両川は現中央区の鳥屋野地区などと同じ「南地区」、大江山は現東区の「石山地区」に属していた。住居表示は、亀田地区・横越地区については2005年(平成17年)の編入合併を前に宅地・集落のほとんどで施行された。両地区では編入後に新規開発された住宅地・商業地に於いても、開発完了後に比較的早い段階で施行されている(三條岡、梅見台、下早通柳田など)。その一方、旧市域3地区では曽野木地区の2箇所で施行されているだけにとどまっており、両川・大江山両地区には施行箇所はない。なお、前述した両川地区の両川工業団地の地名は「両川一丁目( - 二丁目)」だが、地番は従来通りのままで町名のみを変更した「町名整理」であり、住居表示には該当しない。また2005年(平成17年)に亀田町が新潟市へ編入した際、住居表示未施行地域の地名は大字を冠したまま(大字亀田、大字鵜ノ子など)とされた。他の市町村は編入と同時に大字を廃止したため(新潟市と豊栄市は合併以前に全廃)、大字を冠する地名が残存したのは亀田地区だけであった。2007年(平成19年)に政令市へ移行した際に亀田地区の大字も全廃され、これによって大字を冠する地名は市内から消滅した。大江山・横越両地区には阿賀野川右岸側に飛地が存在する。現在は北区豊栄地区(岡方地域)の一部となっている細山(ほそやま)の一部と十二前(じゅうにまえ)、現在も江南区横越地区に属する阿賀野(あがの、旧焼山)などがそれにあたる。これらは大正時代から昭和時代初頭にかけて行われた阿賀野川の河道改修で、流路が直線化されたことによって飛地となったものである。太平洋戦争の終盤を迎えた昭和20年(1945年)7月20日、米軍爆撃機 B29(Sharon-Linn)は新潟港での機雷投下を完了し帰路の途中、新潟市内に設置された高射砲からの砲撃により左翼を直撃被弾し、発火炎上しながら南下し、旧横越村の阿賀野川沿いの焼山地区に墜落した。区域は宅地・集落を除けば多くは水田で、稲作が盛んである。また亀田地区は果汁が多く大玉の「藤五郎梅」の産地として知られ、市街地南部ではウメの栽培が行われている。また横越地区南部の二本木・木津、両川地区東部の割野ではナシの栽培が盛んで、亀田・横越地区を統括する新潟みらい農業協同組合(JA新潟みらい)は二本木五丁目にナシ専用の選果場「梨の実館(ありのみかん)」を設けている。両川地区の平賀には漁業協同組合があり、信濃川下流域(中ノ口川下流、小阿賀野川下流を含む)の内水面漁業を統括している。流域ではコイやフナ、モクズガニなどが漁獲される他、サケの養殖にも取り組んでいる。亀田地区ではかつて「亀田縞」と呼ばれる織物が盛んに製造されていた。太い木綿糸で織られ、水と泥に強いのが特徴で、農家の作業着の生地として使われていた。明治初期までは農民の副業として織られていたが明治以降に織物業として成立、最盛期には660余りの業者が亀田縞を織っていた。戦前戦後の混乱期に衰退し一時消滅する憂き目を見たが、2005年(平成17年)から地区内の2社が製品化に取り組んでいる。区内の主な病院は下記の通り。この他、曽野木地区北側の中央区鐘木に新潟市民病院がある(中央区#医療を参照)。現在、区内で唯一の鉄道駅である亀田駅は2005年(平成17年)に橋上駅舎に改築された。改築を機に、駅舎東西の駅前広場にはコミュニティバス(後述)のバス停やパークアンドライド用の駐車場が設置されるなど、区内・市内の交通拠点として整備が進められている。また亀田駅と秋葉区の荻川駅の中間点付近では、1980年代後半から新駅設置を求める意見が住民などから寄せられており、過去に亀田地区南部の城所と、横越地区西部の二本木の2か所で新駅設置構想が起こっている。こうした経緯もあり、亀田・横越両町の新潟市への編入合併に際して設立された法定合併協議会で「合併建設計画」を立案した際、二本木に新駅を設置して周辺の開発事業を実施することが盛り込まれた。これを受けて2007年(平成19年)、新駅予定地周辺の地権者らが土地区画整理組合設立準備組合を設立したものの、事業計画は現在も具体化に至っていない。だが、二本木に程近い両川地区東部の割野は公共交通が特に脆弱で、かつ住宅地開発が行われていないため人口減少が進行しつつあることなどから新駅設置に対する期待が大きく、市とJR東日本新潟支社に対し周辺住民約1300人の署名を提出するなど、開発事業の早期着手を求めている。江南区内を発着する路線バスは、全て新潟交通と同社の地域子会社である新潟交通観光バスにより運行されている。また、区内の亀田工業団地には新潟交通の新潟南部営業所があり、市内路線バスの運行拠点となっている。新潟交通の路線バスは全ての路線が新潟市中心部発着である。運行系統を大別すると、万代シテイから新潟県道1号新潟小須戸三条線を経由して曽野木・両川・新津西部・小須戸方面に至る路線、古町・新潟駅南口から市道弁天線を経由して亀田工業団地(前出の南部営業所)・亀田・大江山に至る路線、万代シテイから新潟県道3号新潟新発田村上線で東区中部を経由して大江山に至る路線、新潟県道5号新潟新津線を経由して亀田・両川・新津中心部・阿賀野市に至る路線の計4系統がある。なお、区内を経由する同社の全路線でバスカード(路線バス用)が利用できる。だが、新潟交通は市内中心部から放射状に路線網を構築している一方、郊外間の路線網がないことから、区内各所から区役所のある亀田地区へ直接アクセスできる手段は非常に脆弱となっており、また区内には公共交通そのものが全くない地域も点在している。また旧新潟市域3地区のうち、曽野木地区と亀田地区を結ぶ公共交通手段は、政令市移行時には全くなかった。このため、区内全域においては日常の交通手段を自家用車に依存する比率が高い。江南区内では現在、3事業者がコミュニティバスを運行している。政令市以降後に社会実験が2度実施され、まず5月7日から3ヶ月間、亀田駅および江南区役所を発着地とした横越、曽野木、両川・大江山の3ルートで前期の試験運行を行った。このうち横越、曽野木の各ルートは大人200円の全区間均一制運賃としたが、両川・大江山ルートは既存バス路線が並行するため対キロ制運賃とし、特に大江山地区内は路線バスと異なる位置(旧道沿い)にバス停を設けるなどの措置を執った(運賃については亀田駅・区役所等で乗継割引の設定あり。運行は全路線平日のみ)。期間中、利用者からは「通勤・通学に使えるよう、運行時間帯を広げてほしい」「(全路線)均一運賃にしてほしい」「集落内を遠回りせず、幹線道路を経由して目的地に速く着くようにしてほしい」などといった意見が寄せられた。また、区が8月にまとめた利用調査の結果によると、全体の収支率は6%強にとどまり、市が運行継続の目安としている30%のラインを大きく割り込んだ。両川・大江山ルートは特に利用率が低く、また他2ルートでも利用者が全くいない便が生じるなどしていた。先述の利用者の意見等も踏まえると、前期実験では区民や利用者のニーズに必ずしも応え切れていない面が露呈される結果となった。区は「厳しい結果と受け止めている」として、計画内容の再編について検討を開始した。そして市民病院移転後の同年11月1日から2008年(平成20年)1月31日までの2ヶ月間、後期実験を実施。ダイヤ、運行ルートの見直しなどを行い、4ルート5路線が設けられた。この2回の実験で路線の採算性や既存バス路線の収支への影響を検証した上で、2008年度から本格運行を開始する予定であった。なお、運行業務は前期・後期とも新潟交通観光バス京ヶ瀬営業所が受託した。後期試験においては、曽野木ルートは亀田地区と曽野木地区を連絡する唯一の公共交通手段という側面に加え、亀田駅、区役所、イオン新潟南SC、新潟市民病院などといった市全域においても拠点性の高い施設周辺を経由し、また曽野木地区と亀田駅東側に位置する高校2校との間と、亀田地区と東京学館新潟高等学校との間の通学需要があったことなどから、期間中の1便あたりの利用者は5.5人、収支率は23.7%と、区バスを運行する市内7行政区の中でも突出した利用率を記録した。その一方で、他の3ルートの1便あたりの利用者は1人を割り込み、収支率も5%を下回るなど前期に引き続いて利用率が低迷した。このため区では同年12月14日、曽野木ルートについてのみ先行して運行業務委託業者の募集を行い、翌2008年(平成20年)1月16日、新潟交通観光バスを委託先に選定。1月24日の新潟市地域公共交通会議江南区分科会で同年4月1日以降の正式路線化を決定した。これに伴って曽野木ルートについては本格運行開始に向けて経路とダイヤ、途中停留所の見直しが行われ、また併せて亀田駅西口のロータリー内を発着地とすることも決まり、同年4月1日から正式事業化され運行を開始した。一方、他の2ルートについて区では「沿線住民と話し合いを継続し、今後の運行計画を決めたい」として検討作業を進めたが、その結果両川地区から事業継続に対する要望があったことから、同年度も引き続き試験運行を実施する方針が決まった。だが横越・大江山地区からは継続の要望が少なく、両ルートの事業化断念が事実上決定した。曽野木ルートの運行初年度となった2008年度は前述の条件もあって高い利用率を確保し、12月までの9箇月間で1便あたりの平均利用者が7.9人、収支率も32.3%と区バスを運行する7行政区で最も良好な数値を記録した。この間、利用者から増便や休日の運行を求める意見が数多く寄せられたことから、区では2009年度から曽野木ルートの通年運行開始を決定した(土休日は1往復減便し、5往復を運行予定)。同年度も引き続き新潟交通観光バスが運行を受託することになったが、従来1ドアの小型車両を使用していたため乗降に時間が掛かり、利用者から苦情が寄せられていたことから、同年度からは2ドアの小型車両が充当されることになった。その一方で、両川ルートは10月1日から12月26日まで試験運行を実施したものの、1便あたりの平均利用者が0.5人、収支率も2.0%と実績は著しく低く、採算性の改善が見込めないことから正式事業化の断念が事実上決まり、今後両川地区の公共交通に関しては、既存の路線バス(住民バス区間を含む)の利用促進を図ることになった。なお曽野木ルートの2009年度の利用実績(4月1日から2010年3月31日まで)は1日平均利用者数104.7人、1便あたりの利用者数9.2人、収支率40.2%と引き続き良好な数値を示したことから、2010年度以降の事業継続が決定。同年度から使用車両を小型ノンステップ車両に変更し、新潟交通グループのバスカードも利用できるようになった。2007年度の社会実験では収支率が不調に終わり、区バスとしては正式事業化に至らなかった横越地区だが、地区内には公共交通の無い空白地域が多いことなどから2010年(平成22年)、地元商工会と地区住民が中心となって住民バスの導入に向け検討を進め、同年11月1日から1年間の試験運行を実施することになった。亀田駅東口と区役所横越出張所を基点に、地区内の南北を循環する2ルートにおいて1日合計20便を運行するもので、運行業務は横越中央に本社を置く観光バス事業者のフィールド・あがが受託、60人乗りの中型バス3両で運行している。江南区内には高速道路上のバス停留所が2箇所ある。両川地区の酒屋町にある磐越自動車道・酒屋バスストップは、磐越道経由の高速バスのうち県内線2路線が発着する。下り停留所(新潟方面)側にはパークアンドライド用の駐車場・駐輪場が設けられている。また、東区との区境の西野にある日本海東北自動車道・西野バスストップは、日東道経由の高速バスが発着する。酒屋BS同様、下り停留所側(中条方面・東区側)にはパークアンドライド用の駐車場・駐輪場が設けられている。政令市移行の際、旧新潟市域の区割りを決定する際に区境の基準とされたのが、北陸自動車道の新潟中央IC・JCTから日本海東北自動車道の阿賀のかけはしまでの間である。区境は高速道路の北側に沿って設けられており、北側が中央区と東区(両区の境界は栗ノ木川に沿っている)、南側が江南区で、高速道路自体の登記上の所在地はすべて「江南区」となっている。

出典:wikipedia

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