LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

世田谷一家殺害事件

世田谷一家殺害事件(せたがやいっかさつがいじけん)とは、2000年に東京都世田谷区の一家4人が殺害された事件の一般的な呼称。警視庁による正式名称は「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件」。2016年 9月現在も、犯人の特定・逮捕には至っておらず、未解決事件となっている。また、捜査特別報奨金制度対象の事件に指定されている(詳細は「#懸賞金」を参照)。21世紀を目前に控えた2000年12月30日午後11時頃から翌31日の未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員宅で、父親(当時44歳)・母親(当時41歳)・長女(当時8歳)・長男(当時6歳)の4人が殺害された。隣に住む母親の実母が31日の午前10時40分過ぎに発見し、事件が発覚した。この事件は、20世紀最後の日に発覚した、大晦日に差し掛かろうとする年の瀬の犯行だったことや、犯人の指紋や血痕など個人を特定可能なもの、靴の跡(足跡)の他、数多くの遺留品を残している点、子供もめった刺しにする残忍な犯行、さらに殺害後に長時間現場に留まった可能性が指摘され、パソコンを触ったりアイスクリームを食べたりするなどの犯人の異常な行動、これらの多くの事柄が明らかになっていながら、犯人の特定に至っていないことでも注目される未解決事件である。また、年の瀬に発生した殺人事件という時期柄もあって、一年を振り返る区切りとなる年末近くになると、警視庁による情報公開が行われ、マスコミが話題に取り上げることが多い事件である。以下に犯人の特徴を列記する。現場に残されていた血液のDNAからルーツを辿る人類学的解析により、父系がアジア系民族、母系には欧州系(地中海)民族が含まれることが判明("産経新聞 2006年10月16日付")。「日本人には少ない型」とする専門家の声もある("朝日新聞 同年12月31日付")。2006年当時のDNA型鑑定によって、母系を示すミトコンドリアDNAのハプログループはアドリア海や地中海の南欧系民族に見られる「アンダーソンH15型」(アジア民族には見られない)、父系を示すY染色体は日本人よりもその他のアジア系民族に多い「ハプログループO3a2c1* (O-M134*)」であることが判明した。このO3a2c1の分布頻度は日本人の約13人に1人、中国人の約10人に1人、韓国人の約5人に1人である。なお、南欧系の祖先は歴史的に見て遠くない祖先の可能性が高いが、DNA型から犯人との続柄は判別できないため、犯人の母親が南欧系の女性かは不明である("サンケイスポーツ・産経新聞 2009年12月30日付" )。特別捜査本部では犯人が「アジア系含む日本国外の人」または「混血の日本人」である可能性も視野に入れて捜査している。また、国際刑事警察機構(ICPO)を通じ、日本国外の捜査機関に捜査協力を求めている("毎日新聞 2008年5月25日付")。一方で、人種に関するプロファイリングが捜査に適用されるのには前例がなく、ずっと遡った祖先が混血だった可能性も否定できないため、「犯人が純粋な日本人である可能性も否定せずに、国内でも幅広く捜査する」方針("産経新聞 2006年10月16日付")。親指の指紋(渦状紋)は、中心に豚の鼻のような2本の線がある。玄関を入るとすぐに書斎がある。被害者宅1階部分のほとんどを占めるこの書斎は、父親が仕事部屋兼応接間、子供の学習部屋として使用していたものであり、現金約6万円が手付かずであった大きな本棚や犯人がインターネットを閲覧した形跡のあるパソコンも置かれていた。2階への階段脇には浴槽に散乱していた書類の一部が元々あったとみられる納戸もある。さらに、トイレや洗面所、犯人の入出経路とされる浴室、長男が殺害されていた子供部屋、バルコニーがある中2階、台所やダイニングルームとその奥の犯人によって物色されていた居間がある2階、そして母親と長女が寝ていた屋根裏部屋(ロフト、3階)の4層構造になっている。本記事では中2階と2階を区別なく「2階」と表記している。なお、屋根裏部屋へは折り畳み式のハシゴを降ろすことにより、中2階の踊り場(洗面所付近)から上ることが可能となる。また、犯人の横歩きの足跡は「1階から中2階間」の階段に付いており、「中2階から2階間」の階段は4段のみである。この他、隣家の親族宅と外観では接続しているようにも見えるが、内部的にはしっかりとした壁で隔たれており繋がっていない。一方、3種類の粉末蛍光染料が発見された車庫は事件発生時にシャッターが閉まっており、犯人が侵入した形跡はなかった。車庫前には1台分の小型車を停めるスペースがあり、事件直後のニュース映像では一家所有の車がこのスペースに置かれているのが確認できる。2013年12月には、3Dプリンターで作られた被害者宅の模型を警視庁が公開した。この模型は事件の捜査にも活用される。犯人の入出経路は、被害者宅の裏(公園側)にある2階浴室の窓と見られている。あるいは、侵入口(普通に被害者宅を訪れた可能性もある)は玄関であった可能性も指摘されている。浴室の窓は空いており、網戸は外にはずれ落ちていた。また、窓の真下の地面辺りから犯人の靴跡とよく似た大きめの足跡が発見されており、同じく窓の真下の公園フェンス付近の木の枝も折れていた("読売新聞 2002年12月28日付")。特別捜査本部が検証した結果、若者なら2階の浴室から無理なく侵入可能なことが明らかになっている。発見時に玄関の扉の鍵は閉まっていた("毎日新聞 2001年1月29日付")。また、玄関のドアのノブなどから犯人の痕跡(指紋や血痕など)も発見されなかった。一方で、玄関の痕跡については、駆けつけた警察や救急隊員によって踏み荒らされてしまったという報道("週刊文春 2009年1月1日・8日新年特大号など")もある。また、犯人が着ていたと思われる遺留品のジャンパーに擦った痕がないという報道や浴室の窓などから繊維痕、擦れた跡が発見されていないという報道("週刊文春 2009年1月1日・8日新年特大号")もある。さらに、被害者宅に残っていた血の付いた足跡が階段の途中から上りの一方向のみだったことから、「玄関から靴を脱いで侵入し犯行に及び、床が血だらけになったため階段の途中で再び履いた」という警察幹部の見解もあった("産経新聞 2002年12月19日付")。被害者の胃の内容物などから、殺害の推定時刻は30日午後11時30分頃とされている。犯人は2階子供部屋の二段ベッドで寝ていた長男を殺害後に、異変に気づき2階に上ってきた父親を襲い殺害、最後に屋根裏部屋(3階)で寝ていた母親と長女を襲って殺害したと見られている。なお殺害時かは不明だが、犯人が子供部屋の二段ベッド付近や階段の移動時に壁に背中を付けるなどして、軍隊などで習うような横歩きをしていたことが足跡からわかっている("産経新聞 2005年12月30日付")。パソコンの通信記録から、犯人は侵入の翌朝まで10時間以上に渡り被害者宅に潜んでいた可能性があったが、現在では後述のように一度目のネット接続(午前1時18分頃)以降、犯人が夜間のうちに逃走した可能性も出てきている。犯人は被害者宅の電話線を抜いていたため、電話が通じず不審に思った母親の実母が被害者宅を訪問、呼び鈴を鳴らしても反応がないので合鍵で中に入り事件が発覚した("産経新聞 2002年12月19日付")。なお、2000年正月分の年賀状だけなくなっていたことから犯人が持ち去った可能性がある、と報じられていたが、2010年になってから、捜査員が聞き込み捜査のために持ち出し、そのまま返却していなかったことが公表されている。犯人が1階の書斎にある被害者のパソコンを操作した可能性がある。通信記録を解析した結果、犯行時刻直前とみられる30日午後10時20分から50分頃まで触れた形跡(午後10時38分から45分頃のパスワード付き電子メールの送受信記録や同50分頃のパソコンの電源を切った記録など)があり、これは被害者がまだ生存しておりインターネットを閲覧していたものと考えられる。しかし、犯行時刻以降でも二度(31日午前1時18分頃と午前10時5分頃)に渡り、インターネットに接続されていたことが判明した。二度とも接続時間は5分程度と短かった。一方で、マウスから犯人の指紋が検出されたが、キーボードからは検出されていない。パソコンの電源ケーブルは発見時には抜け落ちていた。犯人がパソコンを操作していたとすると、犯行時刻の午後11時30分頃から、母親の実母が一家4人の遺体を発見する数十分前に当たる午前10時過ぎまで、犯人は半日近くもの間、被害者宅に潜んでいたことになるとされ、これまで犯人の逃走時刻を推定する有力な証拠となっていた。しかし再現実験を行った結果、マウスが落下するなどの衝撃でインターネットに自動接続する可能性があることや、2度目のネット接続(午前10時5分頃)では被害者の会社のホームページが表示された以外の履歴がないことから、一度目のネット接続(午前1時18分頃)以降、犯人が夜間のうちに逃走した可能性が高まったと2014年12月になって報道されている。接続先は被害者の会社のサイトから、大学の研究室のサイトや科学技術庁のサイトなど専門色の強いサイトまで含まれていた。また、犯人は劇団四季(被害者があらかじめインターネットブラウザの"お気に入り"に登録していた)の舞台チケットを予約しようとして失敗した可能性がある。一度目の接続(午前1時18分頃からパソコンを5分18秒起動)では空のフォルダを作成して劇団四季のサイトにアクセスしており、二度目の接続(午前10時5分頃からパソコンを4分16秒起動)では被害者の会社のサイトなどにアクセスし最後に強制終了していた("週刊朝日談")。当初はこれらの通信記録が犯人によるものではなく、インターネットのサイト情報を自動的に拾ってくる「巡回ソフト」によるものという見方もあったが、同端末に組み込まれたソフトでは機能上アクセス出来るのは各サイトのトップページのみであり、実際にはサイト内のコンテンツも閲覧された履歴が認められ、再現実験の結果プラグも人為的に引き抜かれた可能性が大きいとされた。("読売新聞 2002年12月28日付")。犯人が被害者宅から逃走したのは31日午前10時過ぎ(パソコンの通信記録による)から、事件が発覚し警察に通報があった午前10時56分頃の間とみられていた。しかしその後の再検証の結果、犯人が確実にパソコンを操作したとみられる午前1時18分頃より後の夜間に逃走した疑いもあるとして捜査が行われている。また、31日未明には被害者宅の電気が消灯していたという通行人の証言も出ている。逃走後の移動手段、経路については現在のところ不明である。犯人の私物と思われる現場の遺留品が購入できた場所として、京王線沿線やJR荻窪駅周辺、小田急線本厚木駅周辺などが挙げられており、これらの地域が事件当時の犯人の生活圏だった可能性がある。現場には犯人の私物と思われる遺留品が多数残されていた。以下に現在判明している遺留品の情報を記していく。なお、犯人の服装や遺留品についての詳細は「警視庁特捜本部のサイト」および「」も参照のこと。返り血が大量に付着していたが、2階の居間から綺麗に畳まれている状態で発見された。一方で、初期には「裏返しに丸められて放置されていた」という報道("産経新聞 2001年1月5日付")もある。綿製で、サイズはL(身長175センチから185センチ用)。2000年8月製造、9月から11月まで販売。デザインは、胴の部分がグレーで両腕および丸首の部分が紫色。同年TBSで放送されたドラマ『ビューティフルライフ』で、主演の木村拓哉が着ていたタイプとされ、当時、若者の間で流行していたラグランシャツと呼ばれるものである。何度も洗濯した形跡があり、色あせてクリーム色になっていた。ユニクロ製「エアテックジャンパー」で、黒色、Lサイズのもの。事件直前の2000年11月販売後、すぐに完売。販売数は8万2000着(都内1万194着)。通販、ネット販売もあり。袖口からは犯人の血液型と同じA型の汗が検出された("産経新聞 2001年4月2日付")。ポケットからは三浦半島(横須賀市)の海岸の砂のほか、ヒメザクロ(観賞用植物)またはケヤキの花粉、ケヤキとヤナギ(シダレヤナギ以外)の枯葉、飼育用の飼料を食べていたとみられるスズメより小さい鳥の糞も検出された("毎日新聞・朝日新聞・産経新聞 2009年12月14日付")。砂は馬堀海岸、北下浦海岸、三浦海岸のいずれかのものと推定される。葉片は当初、ヒメザクロと思われていたが、DNA鑑定の結果、現在はケヤキとヤナギ(シダレヤナギ以外)となっている。「バッコヤナギ」など数種類にまで限定して絞られたヤナギは、街路樹に多い「シダレヤナギ」とは違い主に水辺に生息している特徴がある。なお、被害者一家が事件の2年前に三浦半島の海岸のホテルで宿泊していたという情報もある。遺留品ではないが、現場に残されていた足跡から判明。英国ブランド「Slazenger」(スラセンジャー)で、韓国のメーカーが1998年10月から2000年11月にかけて4530足製造販売していた。白地に灰色のラインのものと紺色のラインのものがあり、ローカット、ハイカットなども含めると全部で5タイプあり。統一日報("2007年1月17日付")によると、靴の出所は中国吉林省延辺朝鮮族自治州である可能性があるという。「クラッシャーハット」と呼ばれるもので、帽子本体が濡れても、頭が濡れないため、雨具としても使われることがある。また、「ブーニーハット」とも呼ばれる。フリーサイズ、灰色でアクリル100%の毛糸織り、黒色のラインが入っている。全国のジーンズショップで販売され、1998年7月から2000年11月までの間で3465個販売。シールのタグから1999年9月以降に販売されたもの。都内で遺留品のトレーナーが販売されていた4店舗でも販売。緑色地で、赤と橙色、濃い緑の格子模様が入っている。アクリル製。小さいタイプのマフラーで、長さ約130センチ(縦30センチ)。製造元などは不明。100円ショップでも売られている可能性のあるもの。「ボア付きグローブ」として販売。黒革で26センチ、中はボア付きで外側は豚革を使用。販売数は1998年から2000年に1万755組。犯行時に使用された形跡がなかった。刃渡り21センチ、全長約34センチ。一般的に刺身包丁に使われる。犯人が残していった柳刃包丁「関孫六 銀寿」は、福井県のメーカーが2000年6月に1500本製造していたものだった。型から作られた大量生産品で、全国の量販店やディスカウントストアなどで販売されていた。現場付近では、世田谷区・杉並区内で事件前月の11月中に13本販売、被害者宅から数キロ圏内にある小田急線経堂駅近くのスーパーで事件前日の29日に2本販売、東急田園都市線用賀駅近くのスーパーでも事件前日と当日の30日に1本ずつ販売されていた。また、事件前日に武蔵野市吉祥寺のスーパーでも販売されており、この時購入した「身長170センチ前後、年齢30代、黒っぽいジャンパーの男」の似顔絵イラストが2004年に警視庁より公開されている(詳細は後述の「警視庁の情報公開(2004年)」を参照)。なお、柳刃包丁は最初の凶器として使用されたが犯行時に刃が欠けたため、被害者宅にあった文化包丁も二つ目の凶器として使用されている(「#殺害時」も参照)。2階の踊り場付近と台所で発見された。黒で無地のハンカチ2枚は45センチ四方で無印良品で販売されていたもの。販売数は事件前の約6年間で計6万6500枚(1998年以降は5万9000枚)。ハンカチにはアイロンや洗濯の形跡も残されていた。全国の量販店などで販売。1982年頃から日本国内でも販売。事件当時、JR荻窪駅の雑貨店でも購入できた。ハンカチやヒップバッグに付着していた香水はGuy Laroche(フランス)の「DRAKKAR NOIR」(ドラッカーノアール)と見られている("読売新聞 2003年12月23日付")。これはスケートボーダー(スケートボードをする人)の間ではファンも多い、80年代に活躍したアメリカのプロスケートボーダーが愛用していたものだった("夕刊フジ 2006年8月2日付")。また、香水の種類については「DRAKKAR NOIR」ではなく、20年から30年くらい前に流通していた「DRAKKAR」の可能性もある。深緑色でふたが付いており、ベルトの長さは83センチに調節。韓国製で1995年から1999年にかけ関東地区のディスカウント店などで2850個販売された。遺留品のバッグも日本国内で販売されたものであることが確認されている。また、バッグの表面からは日本ではほとんど流通していない、硬水によく溶ける特種な洗剤とみられる成分も検出された。このことから、犯人または周囲に「日本国外の渡航歴がある人物」の存在が論じられている("読売新聞 2005年11月21日付")。洗剤が検出された部分と同じ場所から蛍光物質も検出されている(詳細は後述の「#赤色系の蛍光剤」を参照)。バッグの外側と内側には2枚のハンカチと同じく、刃物による二十数か所の傷があった。バッグの中から検出された砂は石英などを含んでおり、「アメリカ西部ネバダ州のラスベガス付近にある砂漠の砂」と思われていたが、カリフォルニア州の砂の可能性が高いことが分かった("夕刊フジ 2006年8月2日付")。このカリフォルニア州のものと思われる砂は、約35,000 km²に及ぶモハーヴェ砂漠南西部にあるエドワーズ空軍基地付近のものであることも判明した。同基地東部の砂は特徴的なものであり、バッグ内の砂と酷似しているという("東京新聞 2009年12月14日付")。また、ジャンパーのポケットから検出された三浦半島の砂は、バッグの中からも検出されている。カリフォルニアはスケートボード発祥の地で、三浦半島の「うみかぜ公園」にはスケートボーダーが集まる場所があり、大会も頻繁に行われている。このことから、いずれもスケートボードと縁の深い場所の砂であることが明らかになった("夕刊フジ 同記事")。バッグの中にはその他にも、印刷機のロールに装着するインク汚れ防止用フィルムや道路標識の反射材などに使われる微小なガラス球(ビーズ)、金属シリコン、ニッケル、銅、約1億4000万年前のものと思われるモナザイト(花崗岩に含まれる鉱物)などの細かい粒が大量に見つかっており、その中には日本に流通していない成分や一般の人には入手しにくいものまで含まれていた("産経新聞 2002年12月19日付")。トレーナーやヒップバッグの内側に赤色系の蛍光剤(染料)が付着していた。この染料は発見時にシャッターが閉まっており、事件現場に残された犯人の足跡などの形跡が発見されていない被害者宅1階車庫付近からも検出されている(注:犯人が触れた形跡のない被害者宅の棚の中から染料が検出されているという一部報道もあるが、車庫内の棚と別物かは不明)。車庫の染料は暗闇の中でブラックライトを当てることによって光り、発見された。事件前に犯人や犯人と関係ある人物が現場を訪れた可能性、被害者と犯人に交流があった可能性も視野に入れ捜査している。被害者(父親)は、大学時代には劇団サークルに参加しており、事件当時はCI関係の会社に勤務していた。大道具や取引先の企業へのプレゼンテーションなどで蛍光剤を使用していた可能性があるとみられていたが、後の捜査で被害者自身は仕事などで使用した形跡がないことも判明した。バッグの中から長さ数センチの黒色の毛髪が発見された。毛髪のDNA型は現場に残された犯人のものと一致している("産経新聞 2010年12月19日付")。犯人が持ち去ったものとみられていた2000年正月の年賀状は、捜査員によって聞き込み捜査のため持ち出されていたことが判明している("産経新聞 2010年12月19日付")。被害者宅にあった父親のトレーナーがなくなっており、犯人によって持ち出された可能性がある。魚柄で前面に「DIVE」という文字が入っており、背面にはAからZのアルファベット26文字がプリントされている。1991年から1996年頃まで販売されていた。被害者が経営していた学習塾の授業料である現金約20万円(約15万円という報道もあり)がなくなっており、現金が抜き取られたとみられる財布もあったが("朝日新聞 2005年12月10日付")、銀行の預金通帳やキャッシュカード、貴金属類などは持ち出されていなかった。ただし、上記の通りカード類や書類などを仕分けし物色した形跡は残されていた。この他、1階書斎の本棚に置かれていた現金約6万円が入った封筒には手がつけられていなかった("読売新聞 同日付")。事件当日の30日午後6時頃、小田急線成城学園前駅で一家4人が買物をしている姿が目撃されており、午後6時半頃には一家の車が被害者宅の車庫(※後述のように車庫前の駐車スペースの可能性あり)になかったことを近所の人が確認している。その後、京王線千歳烏山駅付近に寄り帰宅したとみられている。なお、車庫の前には1台分の小型車を停めるスペースがあり、事件発生直後の報道写真などから一家所有の車は車庫の中ではなく、このスペース部分に置かれていた可能性がある。ただし、日常的に車を車庫に入れていなかったかは不明である。同午後7時頃、母親が隣に住む実母と被害者宅の電話で会話している。また、長女が母親の実母の家を訪れている。同午後9時38分頃、長女のパソコンでテレビ番組を視聴した形跡が残っている。隣家の住人が事件当日の午後8時30分頃、被害者宅のインターフォンの音が鳴るのを聞いている。ただし、証言者の同居家族が音について否定している上、この件に関する捜査は進んでおらず名乗り出た人物もいない。また事件当日の30日深夜、通行人が被害者宅で男女が口論する声を聞いていたという報道("スポーツニッポン 2002年7月2日付")もある。隣家の親類は午後11時30分頃に被害者宅から「ドスン」という大きな物音がするのを聞いていた。また「ドスン(ドスン)」という大きな物音は週刊朝日("2007年1月5日・12日合併号")によると、犯人が2階踊り場にあった屋根裏部屋へのハシゴを上げた音とされている。これは実際に実験を行うなど検証によるものである。「ドスン」という大きな音については犯人と対峙した被害者が階段から落ちた音であるとして、これを犯行時刻とする見解もあった。被害者宅の隣に住んでいた母親の実姉(ペンネーム入江杏)は、家族が聞いたこの「ドスン」という音を「カタン(カタン)」であったと記している("法学セミナー 2002年10号")。また、この音を「ベニヤ板をひっくり返すような音」とも形容している。実姉は翌午前1時過ぎに寝たが、その他には特に変わった物音は聞こえなかったとも記している。父親は1階の階段下で外出着姿(片足が裸足)、母親や長女は2階階段踊り場付近、長男は2階の子供部屋でそれぞれジャージなどの寝巻姿で発見されたとされる。事件の第一発見者である母親の実母は発見時に母親や長女らの遺体に触れていたため、警察の現場検証ではなく実母の証言によるものとなるが、父親の遺体の上には引き出しが乗せられていたといい、さらに母親の遺体は全体が黒っぽい山のように見えたとも証言していることから顔を含む全体に洋服が被せられていた可能性があるという。ただし、前述のように警察が到着した時点では一部動かされてしまっていたため、遺体の顔まで引き出しや洋服により覆われていたというのは確実な情報ではない。この他、長男は頭の方から布団が被せられており、長女は顔が下向きになっていた。被害者の顔を隠すのは、犯人が顔見知りの場合に多いとされる("時事通信 2010年12月25日付")。この他、現場は「血の海」でなかったと前述の母親の実姉が記している("法学セミナー 2002年10号")。さらに事件発覚時、1階の電気はついていたと一部で報じられている。週刊文春("2001年1月25日号")によると、新聞配達員が31日早朝に新聞の朝刊を配達したときには被害者宅の玄関の電気は消えていたが、殺害された母親の実母が現場を訪れたときには電気がついていたという。なお読売新聞("2014年12月12日付")によると、未明には被害者宅の電気が消灯していたという通行人の証言も出ており、犯人がこの時間帯には現場から逃走していた可能性の一部として報道されている。事件からちょうど100日目の2001年4月9日、東南アジア産出の花崗岩で作られた地蔵が被害者宅から仙川を隔てた遊歩道脇に置かれていた。地蔵の底と台座上部に「六」の文字のようなものが彫られていた。指紋は採取されなかった。特別捜査本部ではこの地蔵の製造・輸入・販売などに関する情報提供を呼びかけている。被害者宅周辺は祖師谷公園(都立公園)の拡張工事でほとんどの家が転居しており(被害者宅も2001年3月転居予定だった)、事件当時は被害者宅・隣家1軒(被害者の親族宅)・向かい2軒の計4軒の家が残されているのみだった。そのため、夜の人通りは少なく事件の目撃証言も少なかった。一家がこの場所に引っ越してきた1990年6月には、住宅が30軒程あった。被害者宅近くにはスケートボードができる広場があり、夜に滑るなどルールを守らないスケートボーダーと被害者宅との間では騒音問題でトラブルになっていた。事件数日前にも、スケートボーダーと被害者が揉めていたという目撃証言もある。その他には、公園に出入りしている暴走族と被害者宅がトラブルになっていたという話もある。現場周辺では2000年夏以降、尻尾を切り取られたり皮膚を剥ぎ取られたりするなど野良猫の虐待事件が数件起きていた。事件直前の12月中旬にも1件あった("毎日新聞 2001年1月18日付")。被害者宅のポストにセンサーがあり、人が通ると防犯用ライトがつく。また、玄関の扉の鍵はMIWA製の特殊なもので、鍵穴がドア上部とノブに2つあり、1つの鍵で両方とも開けられる仕組みとなっている。ドアチェーンもある("週刊文春2001年1月25日号、3月8日号")。父親は大学卒業後、アニメの制作にも携わり編集プロダクションを設立している。また、クイズ番組の制作にも出題などで関わっている。事件当時は英国系のコンサルティング会社(デザイン会社とされる場合もある)で、企業のイメージカラーなどを考案するCIの仕事に同部門のリーダーとして携わっていた。父親は事件前日までその日の行動や出費など事細かに日記を書いていたが、トラブル等に関する記述は見当たらなかった。母親は1990年12月よりフランチャイズ方式の塾を隣の姉夫婦の家(当初は自宅)で開設していた。なお、被害者宅1階にあった塾の書類は上述の通り物色されており、引きちぎられるなどして2階の浴槽に放り込まれていた。「被害者宅の1階を塾の教室にしていた」という報道もあるが、1992年に隣家の姉夫婦一家が海外に引っ越してからは「隣家(姉夫婦の家)」で教えていたようである(その間、隣家には母親の実母が一人で住んでいた)。2000年に姉夫婦一家は帰国しており、事件発生時には家族全員が隣家にいた。なお、母親は姉と共に目蒲線(当時)奥沢駅前でも1989年より学習塾を開設していた。1992年に隣家へ移したのはこの塾という情報もある。以下に犯人の目撃情報および不審者の情報を列記する。警視庁がマスコミ等を通じて行った当該事件の情報公開、新たに分かった捜査状況、関連事実を記す。詳細は「警視庁特捜本部のサイト」も参照のこと。以下に列記するのは過去に報道されたが、現在の捜査状況が定かでない情報である。警視庁は2007年12月14日より当該事件を捜査特別報奨金制度(公的懸賞金制度)の対象事件に指定した。事件の解決、犯人の逮捕に結びつく有力情報の提供者に最大300万円の懸賞金が支払われる。2010年12月16日以降は「事件の捜査に協力する会」により私的懸賞金最大700万円も用意され懸賞金は合計最大1000万円となったが、2014年12月にはさらに私的懸賞金が1000万円増額され、犯人逮捕に繋がる情報には合計最大2000万円が支払われることとなっている。なお、捜査特別報奨金制度の適用期限は1年単位での更新となっており、2008年12月までの期限以降、毎年延長されている。詳細は「警視庁特捜本部のサイト」を参照。この事件は在宅中の一家全員を殺害するという残虐な手口から世間の注目を集め、当事件の周辺地域に限らず各家庭の防犯意識を高めた。また、この事件を機に世田谷区成城署が街の防犯カメラや緊急時に警察へ通報できるスーパー防犯灯(緊急通報装置)の設置を促進した。特に防犯カメラは窃盗事件が減少するなどの効果が得られ、実際に事件の解決にも結びついている。当事件の遺族は別の事件の遺族らと連携して殺人事件に関する公訴時効の停止・廃止を目標に、2009年2月28日、「殺人事件被害者遺族の会、通称宙の会(そらのかい)」を結成した。2010年4月27日には、殺人罪や強盗殺人罪など法定上限が死刑に当たる罪の公訴時効廃止などを盛り込んだ改正刑事訴訟法(刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律(平成22年法律第26号))が成立・施行し、同団体の主な目的が達成された。当事件を含め、施行時に公訴時効が完成していない過去の事件にも適用される。宙の会のほかにも、2008年11月、全国犯罪被害者の会(あすの会)も殺人や強盗殺人など重大事件における時効廃止を求める決議を行うなど、事件の遺族による「時効停止・廃止」を訴える声、世論の関心も高まってきていた。これに対して法務省は、2009年5月には裁判員制度が始まるのを受け、時効制度においても国民の視点で分かりやすく提示する必要があることも理由にして、殺人や強盗殺人など重大事件に限り、公訴時効の期間延長(数十年単位)や廃止、遺族の訴えで時効の進行を停止できる制度の設置なども視野に入れて、勉強会を開き検討していくと2009年1月に表明した。2010年3月12日、殺人罪や強盗殺人罪など法定上限が死刑に当たる罪の公訴時効廃止などを盛り込んだ刑事訴訟法改正案が政府で閣議決定。4月27日には同改正案が可決成立し、即日施行された(施行までの経緯の詳細は「公訴時効#公訴時効停止・廃止議論」も参照)。公訴時効の停止・廃止のほかに、飛躍的に向上したDNA鑑定技術によりほぼ100%個人を特定できる(他人を犯人と誤る確率は非常に低い)ことから、犯人のDNAが特定されている事件の場合、DNAに人格を与え起訴(ジョン・ドウ起訴)できるように刑事訴訟法などの制度改正も訴えていた。これは、公訴時効が廃止された場合でも、法律改正以前の事件には適用されない可能性があったためである。この事件は重大な未解決事件の一つであるので、週刊誌などではさまざまな情報が錯綜している。ここでは新聞などでは報じられていない週刊誌などの情報を記していく。しかし、これらの情報の信憑性は定かではなく疑問点が多いものも少なくない。侵入方法についてはシリンダーに細かな傷が付いていたことから、特殊なナイフで解錠して玄関から被害者宅に侵入している。また、犯人がラテックスゴムという軍隊などで使われる特殊な止血剤や、麻酔作用のあるベンゼドリンを使用していた("一橋文哉 2002年1月号")。警察の鑑識OBに依頼したところ、ソウル在住の韓国人男性の指紋と、現場に残されていた犯人の指紋が合致した。韓国では全国民に指紋の登録が義務付けられている。日本の警察は韓国人の指紋と照合して誰とも一致しなかったとしているが、実際には日本からの捜査協力が韓国政府に拒否されている("一橋文哉 2002年1月号")。なお、この記事が掲載されて以後、警視庁の情報公開により犯人が「韓国で育った人間」ということは否定されている。だが、そのことも最近になって判明したとのことで捜査協力拒否の真偽は定かになっていない。被害者宅のポストにセンサーがあり、人が通ると防犯用ライトがつく。また、新聞配達員が31日早朝に新聞の朝刊を配達したときには玄関の電気は消えていた。一方で、被害者母親の実母が現場を訪れたときには電気がついていた("2001年1月25日号")。玄関の扉の鍵はMIWA製の特殊なもので、鍵穴がドア上部とノブに2つあり、1つの鍵で両方とも開けられる仕組みとなっている。ドアチェーンもある("2001年3月8日号")。事件発生数カ月前の2000年8月と10月の二度に渡り、「アオキノブオ」という名前で埼玉県の調査事務所に被害者一家の身辺調査の依頼があり、依頼主は調査事務所から被害者宅の住所、被害者夫妻の住民票(本籍なし)を受け取った。本籍の記載もある住民票の取得依頼もあったが、連絡が途絶えたため調査はされなかった("2002年1月24日号、1月31日号")。父親の死因は心臓・大動脈損傷による失血死。長女は生前に硬膜下出血と外傷性クモ膜下出血を起こしていた可能性がある("2003年5月1日、1月8日号")。現場で発見されている砂やテニスシューズなどから犯人は韓国やアメリカと接点がある人物の可能性が高い。被害者夫婦が入会していた自己啓発セミナーのような組織の本部がアメリカにあり、日本と同じような支部が韓国にもある。その組織が事件に関係している可能性がある("2004年10月1日号")。アメリカでFBIに強盗容疑で逮捕された韓国人の供述により、事件を指揮したアメリカ籍・アメリカ人の男が判明。男は別の強盗事件で5000ドルの懸賞金が懸けられ、指名手配されている。また、男は事件の実行犯らが事件の翌日には日本を離れたと周囲に話しているが、この男ならその出国先も知っているはずである。日本警察にもこれらの情報はFBIから直接渡っている。被害者との接点について、男は事件前にアメリカに本社があるヘッドハンティング会社の東京支店に勤めており、被害者はその会社に転職希望者として登録をしていた。そこで、被害者宅の情報や経済状態などを知り、犯行に及んだのではないか("2006年8月1日号")。週刊朝日("2007年1月5日・12日合併号")によると、新事実として以下の事柄を挙げている。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。