東京都庁舎(とうきょうとちょうしゃ)は、東京都の新宿副都心にある、東京都庁の本庁舎。東京都新都庁舎、東京都本庁舎ともいう。旧東京都庁舎(東京府・東京市庁舎)である通称丸の内庁舎についてもここで記述する。丸の内の旧都庁舎は、1970年代には建物の老朽化、狭隘化、分散化といった問題が発生しており、解決が望まれていた。1979年に都知事に就任した鈴木俊一は都庁の新宿移転を強力に推進し、1985年9月に都議会で“東京都庁の位置を定める条例”が可決され新宿副都心に建設されることが決定された。同年10月末には指名設計競技参加者が決定、翌1986年4月に丹下健三(構造設計は武藤清が担当)の設計案が選ばれた。1988年4月着工、1990年12月完成。翌1991年4月1日に丸の内の旧庁舎から移転し、都庁としての業務をスタートした。第一本庁舎、第二本庁舎、都議会議事堂の3棟からなり、東京都の行政の中枢機能を担っている。旧淀橋浄水場跡地の再開発により誕生した新宿西口の超高層ビル街区の中央から西南側に位置し、都庁舎は1、4、5号地の3ブロックを占めている。1号地には第二本庁舎、4号地には第一本庁舎、5号地には都議会議事堂と都民広場がある。また、第一本庁舎と第二本庁舎は、西側の新宿中央公園に面している。第一本庁舎は高さ243 mで、完工時にサンシャイン60を抜き、日本一の高さを誇った。その後、日本一の座を横浜ランドマークタワー(1993年完工、296m)に、東京一の座を六本木のミッドタウン・タワー(2007年完工、248m)に譲った。着工から完工当時の東京都知事は鈴木俊一。バブル景気の最中に計画された当時日本一の超高層ビルであり、「バベルの塔」をもじって「バブルの塔」、また投入された税金から「タックス・タワー」と揶揄されることもあるが、反面、東京の観光名所の一つとして、展望室に訪れる人が絶えない。夜間はライトアップされる。展望室は、第一本庁舎45階(地上202m)にあり、「南展望室」と「北展望室」に分かれている。両展望室へはそれぞれ1階から直通エレベーターがあり55秒で到着する(出口は2階または1階)。入室料はいずれも無料だが、開室時間・休室日は異なる。バーや喫茶店や土産店も併設されている。この建物は地上48階まであるが43・44・46〜48階は機械室となっており一般利用者の立ち入りはできない(ただし44階のトイレは利用可能)。第一本庁舎32階(第二本庁舎4階)には外部委託業者(東京ケータリング、西洋フードシステムズ)2社による職員食堂や売店などがあり、来庁者は誰でもセルフ方式で利用できる。ただし施設の性質上、営業は平日のみである。眺めがよく、値段も手ごろなので人気度は高い。たとえ1階にいなくても自分のいる階からエレベーターで16・25階に上がれば(第二本庁舎は10・17・25階に降りれば4階)32階へのエレベータに乗り継げるのでこの点は便利と言える(地下駐車場へは1階で専用エレベーターを利用する必要がある。また45階展望台へは1階へ戻り、展望室専用エレベーターに乗り換えなければならない)。第一本庁舎のエレベーターは北側20基が三菱電機製、南側20基が日立製、地下駐車場用2基は東芝(リニューアル前は三菱)製である。また、第二本庁舎のエレベーターは北側13基と地下駐車場用2基は東芝(後者のリニューアル前はフジテック)製、南側16基(非常用も含む)は三菱電機製、非常用残り2基はフジテック製である。さらに、屋外にあるエレベーターも東芝(リニューアル前は日本エレベーター製造)製である。全42基(第二本庁舎は33基)のエレベーター及びエスカレーターは2012年度から順次リニューアル工事が行われ、2014年3月中に全て完了した。竣工当時、第一本庁舎に、指定金融機関である旧富士銀行が本店東京都庁出張所(5F)、第二本庁舎には、富士銀行本店東京都庁第二本庁舎出張所、旧第一勧業銀行本店第二本庁舎出張所、旧三菱銀行本店東京都庁第二本庁舎出張所(いずれも5F)が設置されていたが、現在は、に集約されている。上記の3店舗は窓口・ATMとも東京都庁と無関係な一般客でも利用可能であるが、三菱東京UFJ銀行本店東京都庁第二本庁舎出張所は企業内店舗であるため、三菱東京UFJ銀行の店舗案内では一切公表されていない(当然、店番号検索で099と入力しても検索不可である)。その他、第一本庁舎内に東京都庁郵便局(第一本庁舎1F)をはじめとした他の金融機関のATMなどが設置されている。(なお、新銀行東京のATMは2007年8月末をもって稼働を終了した。)この建物は丹下健三の後期の代表作のひとつで、一般にデザインとしてはポストモダンに属するとも、第一本庁舎は一般にパリのノートルダム大聖堂の形態を引用しているともいわれている。平面形は正八角形をモチーフとしている。建物ファザードのデザインについては当時のスタッフの一人中村弘道がノーマン・カーヴァーの著『日本建築の形と空間』に掲載されていた大阪に残る豪農・吉村邸の天井見上図にある細長い格子状パターンを見つけて採用したものであるが、外向きの答えとして丹下は、コンピューターチップをイメージしたとなどと述べている。デザインについては批判もあるが、特徴のある形態のため、ランドマークとしての機能を果たしている。また、第二本庁舎は、同じ丹下の設計した新宿パークタワーと意匠的な共通点がみられる。構造的にはスーパーストラクチャー方式を採用しており、第一本庁舎、第二本庁舎とも、1棟につき8本のスーパー柱と10階ごとのスーパー梁で建物全体を支え、19.2mスパンの無柱空間を確保している。スーパーストラクチャー方式は、同じ丹下の設計によるフジテレビジョン本社(FCGビル)等でも用いられている。2006年2月、建設からわずか16年にして、雨漏りがひどく、その補修に1000億円近くかかることが記事にされる。特別にデザインして作られており、既存の補修方法では対応が難しいのが、補修費用の高騰に拍車を乗けているとのこと。建設費に約1600億円が掛かっており、今後どう対応するかが注目される。都庁舎における雨漏りは、エキスパンションジョイントの劣化や施工不良によるコールドジョイントが主な原因である。前述の通り特殊な意匠を施した都庁舎では、従来の工法とは異なる全く新しい工法による補修が必要となるため、全面的な建て替えをすべきという声も上がっている。東京都の財政規模を勘案すれば、不可能ではないが、現在の財政事情から鑑みると非常に困難である。なお、庁舎内は昼休みの時間帯などに電気代節約のため、積極的に消灯が行なわれている。またオフィスは、新築以来殆どリフォームされていないため、内装設備が老朽化している。新築以来、職員の身分証明や出勤怠記録、電子キーとして使用されて来た「東京都カードシステム」も、カードゲートのテンキー装置の不具合や、磁気ストライプカードのセキュリティ問題から、2006年(平成18年)4月に、新型の非接触型ICカードシステムに更新された。2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では、ビルの外壁にヒビが入るなどの被害が出た。なお、2015年(平成27年)10月5日から、本庁各庁舎(先述の第一本庁舎展望室を除く)の3階以上をエレベーターを使用して来庁する場合、氏名と訪問先を書いた受付票と引換に「一時通行証」を貰ってから入庁することになっている。2015年(平成27年)11月15日、パリ同時多発テロ事件への哀悼として『トリコロールの3色』に3日間ライトアップした。東京府庁舎は当初、東京市幸橋門内(現在の東京都千代田区内幸町一丁目)に置かれ、1889年に丸の内(現在の千代田区、有楽町駅近く)に移った。1894年に、妻木頼黄設計による赤煉瓦二階建て、ドイツ風の庁舎が完工した。また、東京市庁舎は、1898年に、府庁舎内に開設された(それまでは東京府知事が東京市長を兼ねており、特に市庁舎は無かった)。その後、業務の拡大と共に、敷地内に分庁舎が数棟建てられている。第二次大戦中の1943年7月1日に、東京市と東京府が廃止され、東京都が設置された。したがって、赤煉瓦の東京府庁舎が、初代の東京都庁舎ということになる。この建物は戦災で焼失した。戦後、赤煉瓦の庁舎の跡地に建てられた第一庁舎(旧庁舎、丸の内庁舎)は、指名設計競技によって(現庁舎と同じく)丹下健三の案が選ばれ、1957年2月22日に落成した。モダニズムの典型的な作例で、開放的なピロティなど、ル・コルビュジエ的な要素を使いつつも、その作品とは異なり、鉄骨・ガラスといった近代的素材を多用して、一般に「軽さ」を表現しているといわれる。地上8階建て、横長の建物で、新都庁舎が持つ強烈な象徴性(モニュメンタリティ)とは比較できないものの、立面の美しさや構造の独創性(コア・システム)などの点から、丹下健三の代表作の一つとされている。1950年代末の当時においては、オフィスビル(または地方公共団体の庁舎)のモデルケースとしての意味も持っていた。都庁の新宿移転によりその用途がほぼ完全に失われること、都心の一等地であり再開発して土地を有効活用する必要があったこと、また、モダニズム建築の価値が評価される時期ではなかったこと(建設後30年強に過ぎず、歴史が浅かった)などから、当初から「保存」は無理であった。旧都庁舎のうち、線路の西側にあった第一庁舎やその他の庁舎はすべて解体され、跡地は東京国際フォーラム(ラファエル・ヴィニオリ設計、1996年完工)となっている。また、線路の東側にあった第二庁舎は解体され跡地は駐車場となっているが、第三庁舎の建物は豊田通商東京本社に転用されている(現在、住友不動産丸の内ビル)。第六庁舎跡地は1997年に阪急電鉄に土地を貸し付け、プレハブ建の仮設劇場「TAKARAZUKA1000days劇場」が竣工し、1998年1月から2000年12月末まで建替によって閉場した東京宝塚劇場に代わり宝塚歌劇の公演が行われた。その後更地に戻す契約であったが、都側の意向により建物が継続使用となり、住友不動産へ譲渡され、ショッピングセンター形態の「有楽町インフォス」となり、同年11月に1F-3Fに無印良品の旗艦店となる「無印良品 有楽町」、1Fにソフマップ(その後ビックカメラ有楽町店別館に改装)が開店した。2011年9月ビックカメラ有楽町店別館跡地に有楽町ロフトが開店した。2017年度都市計画決定に向けて有楽町駅周辺開発事業として国家戦略特区の事業に指定され、MICEを中心とした再開発事業が行われる予定となっている。旧庁舎前のシンボルであった太田道灌の銅像は現在も東京国際フォーラム前に残されている。
出典:wikipedia
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