『唐詩選』(とうしせん)は、明の李攀竜が編纂したといわれる唐代の漢詩選集。出版年代は李攀竜の死後、16世紀末から17世紀初頭とされる。五言古詩14首、七言古詩32首、五言律詩67首、五言排律40首、七言律詩73首、五言絶句74首、七言絶句165首の計465首を収録する。唐詩の選集としては、日本では『唐詩三百首』と並んで良く読まれている。特に江戸時代には広く読まれていた。李攀竜は、宋詩優勢の中、王世貞らとともに古文辞派の後七子として、盛唐詩(玄宗時代の詩)を規範とする擬古主義的な文学を推進していた。『唐詩選』もそうした評価に従って詩が選ばれており、盛唐の詩人である杜甫・李白・王維などの詩が多く採用される一方、中・晩唐の詩は軽視されており、韓愈が1首、杜牧や白居易にいたっては採録されていないなど、その詩の選び方は偏っている。『唐詩選』は李攀竜の死後、明末に刊行され、清初まで郷塾の初学者のテキストとして広い読者を確保した。日本にも伝来年代は不明であるものの、古くから伝来していたものと推定されている。日本では荻生徂徠が明の古文辞派を重んじ、『唐詩選』を高く評価したことから大流行し、徂徠の弟子服部南郭の注釈書『唐詩選国字解』(平凡社東洋文庫全3巻)はベストセラーとなった。しかし中国本土では、清代になり古文辞派など明代の文学観が批判されるようになると、『唐詩選』の評価は下落した。さらに、『四庫全書総目提要』において、『唐詩選』が李攀竜の編纂ではなく、民間の出版業者による偽作であるという説が提示されたことで、一層見向きされなくなった。『四庫全書総目提要』の偽作説は、おおよそ以下のようなものである。「『唐詩選』は、町の商人が、当時名声の高かった李攀竜の名を騙り、李の編んだ漢詩集『古今詩刪』の唐の部分を抜き出し、李の遺稿「選唐詩序」を「唐詩選序」と改竄して序文とし、あたかも李が『唐詩選』を編纂したかのように見せかけ、注釈も唐汝詢の『唐詩解』から盗用したものであろう。塾で学習教材として使っていることが多いのは、おかしなことである」この説が日本に伝わると、『唐詩選』に対する批判が生じ、偽作説は更に追及され、「『唐詩選』には『古今詩刪』に未収録の漢詩も入っている。従って『古今詩刪』の抜粋ですらない。詩の選択も疑問であり、価値の低い書物である」とされた。山本北山のように「偽唐詩」とさえいうものさえあったという。これに対し、1932年に平野彦次郎は「李于鱗唐詩選は果たして偽書なりや」の中で、『四庫全書総目提要』の偽作説を批判し、『唐詩選』は李攀竜の真作であるとする説を発表した。しかし現在でも偽作説は有力である。上述の通り、「唐詩」の選集としては批判の多い刊本であるが、特に盛唐期の詩をうかがい知る上で最も手頃な選集として今日まで馴染まれている。例えば小説家の藤沢周平は漢詩を良く読んでいたが、晩年に「私のような非専門家には、『唐詩選』のような文庫版3冊くらいの小ぶりの詩集がちょうど良い」と述べた。手頃さと唐詩らしい詩が多く含まれていることから、日本では今日まで最も一般的に読まれている。ただし、今日「唐詩選」と題する日本語書籍の多くは、編者が全く独自に編んだ「選詩集」で出版されている。「唐代には、伝統的な五言古詩はなくなって、唐代独自の五言古詩が発生した。陳子昂は自分の古詩を伝統的な古詩と考えているが、私は賛成しない。七言古詩では杜甫だけが初唐の風格を保っているものの、格調を破った奔放な所がある。李白も奔放だが、いくら強い弓でも射程の尽きる所では力がなくなるもので、同じようなことが彼の詩にも往々にして起こる。そこで時には間ののびた句をはさんだりするが、これは英傑の士が凡俗の目をくらましているに過ぎない。だが五言・七言の絶句となると、李白は全く唐代三百年間の第一人者である。それと言うのも、思いを凝らさない為に名詩が浮かんだのであろう。だから李白自身も気の付かぬうちに至上の境地へと達したのであって、技巧を凝らした作品は却って敗北している。五言律詩・五言俳律には、どの詩人にも大体佳句が多い。七言律詩は、どの詩人にも作りにくいものだが、王維と李頎は至妙の境地にまで、幾らか手が届いている。杜甫でさえ、作品の数が多いが、雄健な力を失って、規格を外れた勝手な方向へと流れてしまった。このように、詩人達はそれぞれに苦労をしているのだが、天が才能のある人物を生む力はまことに尽きぬものがある。だから後世に君子が現れて、この選集によって唐詩を知り尽くしてくれたならば、唐詩の全てはここに尽きたこととなるのだ。」------李攀竜五十音順に列挙する。
出典:wikipedia
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