外債(がいさい)とは、日本においては、債券(または債券に表示されるべき権利)のうち、狭義には、外国又は外国法人の発行するものをいい(振替法127条)、広義には、外国通貨建てで発行されたもの(外貨建債券)や外国の市場において発行されたものをも含む。さらに、日本以外の国を基準として同様のものを指すこともある。外国債または外国債券ともいう。狭義の外債は通常は債券引受先の通貨単位で額面を表示する外貨債(がいかさい)という形式を取るが、まれに債券発行元の所属する国家の通貨単位によって額面を表示する。内貨債(ないかさい)という形式も存在する。日本政府が発行した最古の外債は、江戸幕末の1866年にソシエテ・ジェネラルを窓口として発行した3500万フランである。明治初の例は1870年4月23日(明治3年3月23日)にロンドンで発行された9分付英貨国債100万ポンド(当時の相場で488万円相当)であり、調達資金は新橋駅-横浜駅間の鉄道建設費用に充てられた(→日本の鉄道開業)。1873年には秩禄処分の費用を捻出するため7分付英貨国債240万ポンド(当時の相場で1,171万円相当)を発行した。これは発行額面100ポンドにつき92.5ポンドで売出されるという未開国の発行基準扱いによるものであった。それから当分、日本は外債を発行しなかった。発行が再開されるのは貨幣法施行後である。1899年に4分利付英貨公債1千万ポンドを" が引受けた。日露戦争においては総額にして約8億円相当の戦費を調達した。1904年の2回分2200万ポンドを引受けたのは先のPG、クーン・ローブ、1905年の3回分8500万ポンドは先のPG/KL、"(のちにダルムシュタット支店がダナート銀行となる)、英米独仏での公募引受け行、戦後の1907年の2300万ポンドは"、香港上海銀行、横浜正金銀行、英仏ロスチャイルドである。海底ケーブル敷設が一段落すると、1910年に水町袈裟六が仏ロスチャイルドに4億5千万フランを引受けさせて戦費の借換を成功させた。2年後、鉄道債も長期に借り換えるべく2億フランを追加した。この時期には東京市・京都市・大阪市・横浜市などの主要な都市や北海道炭礦汽船・南満洲鉄道などの企業も発行した。上の時期に発行された外債の総額は約16億円に達し内国債の総額を上回ったが、第一次世界大戦が勃発し大戦景気が日本経済を回復させた。外債発行の必要性が薄まり、1916年にはイギリス・フランス・ロシアが初めて日本に向けて外債を発行した。しかし大戦後の不況で再び国際収支が悪化した。加えて関東大震災による経済混乱の中で復興資金のために1924年2月13日にはロンドンで2,500万ポンド(6分利付)、ニューヨークで1億5,000万ドル(6分半利付)の「震災善後処理公債」が募集された。5年後の世界恐慌とそれに続く金輸出再禁止を経て外資に対する不信が募り、日本の外債募集は行われなくなった。さらに第二次世界大戦において敵対したアメリカ・イギリス(後にフランス)に対する外債の元利支払を停止した。1943年3月15日には外貨債処理法が制定され、日本国内に還流されていた外債は円建ての国内債に変換された。海外保有外債は日本政府の厳重な統制下に入り、物上担保権が剥奪された。戦後、ポツダム勅令によって外貨債処理法は廃止された。アメリカ・イギリス・フランスの3国に対する償還は困難に思われたが、サンフランシスコ講和条約締結後の1952年9月26日にアメリカ・イギリスと、次いで1956年7月27日にフランスとの間で、日本に有利な償還方法を協定することに成功した。この間1953年、「国際復興開発銀行等からの外資の受入に関する特別措置に関する法律」第2条により、外債は政府が保証できるようになった。この年5月30日、バンカメが電源開発の発行した外債700万ドルを引受けている。1959年2月17日、日本国債として戦後初の外債3000万USドルが発行され、ファースト・ボストン(現クレディ・スイス。ロックフェラー系)が引受銀行団の幹事を務めた。1961年11月24日には外貨準備補強策として日銀債2億USドルが発行された。引受銀行は、バンカメ、チェース・マンハッタン、ロックフェラー系のファースト・ナショナル・シティの3つであった。1964年、日本はOECD へ加盟し、国内への直接投資を自由化する義務を負った。1969-1971年の3ヵ年は毎年段階的に自由化された。この過程で自由化を免れた業種は農林水産業など7種に減らされ、また完全自由化された業種は228にも達した。1975年には自由化を免れた業種が4種に減った。同年以降、日本郵船がスイスフラン建の外債を発行している。この頃、スイスの資本輸出先において日本は4割を占めた。1986年に東京オフショア市場が誕生してから適債基準等が緩和されていった。これにともない、かつてスイスフランが主流であった外債は市場が軌道に乗ったころにドル建てで発行されるようになった。一方では海外の経済主体がユーロ円債で外債を発行するようになった。結果として1990年代には外債市場の主流通貨が交代した。企業や銀行、政府やその他政府関係の機関の中には、自国内通貨よりもより安定していて見通しの良い外国通貨で債券を発行することがある。外貨建てで起債することはまた、発行者にとっては海外市場で投資資金を調達しやすくもなる。これら債券の発行による収益は、企業にとって海外の市場に参入したり、外国為替スワップヘッジを使った既存の操作を用い発行企業の現地通貨に両替することができる。外債はサムライ債などのようにあだ名で呼ばれるものがある。これらは外国の発行体が自国内市場から離れ投資家層の多様化を期待して発行される。通常これらの起債は発行された市場での法律が適用される。例えば、欧州に拠点を置く投資家によって起債されたサムライ債は、日本の法律が適用される。こうした債券の全てが、発行市場にいる投資家による購入を制限するとは限らない。
出典:wikipedia
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