ジョン・F・ケネディ国際空港(ジョン・F・ケネディこくさいくうこう、John F. Kennedy International Airport)は、アメリカ合衆国ニューヨーク市クイーンズ区のジャマイカ湾に面した国際空港である。旧名アイドルワイルド空港 (Idlewild Airport)。ラガーディア空港、ニューアーク・リバティー国際空港とともにニューヨーク都市圏を代表する空港で、その管理・運営・警備はすべて同地域の地域開発公団であるニューヨーク・ニュージャージー港湾公社が行っている。巨大都市ニューヨークの空の玄関口であるケネディ国際空港は、アメリカを代表する国際空港のひとつとしても位置付けられ、50を超える国々から100社近い航空会社の定期便が就航、1日の国際便の離着陸は400件に達する。しかも国内線の離着陸はその2倍近くもあり、朝や夕方の繁忙期には数十機の出発待ちが発生するなど、世界でも有数の繁忙空港となっている。ターミナル数は9つで空港施設の規模としては全米一、面積は約20平方キロメートル(成田国際空港の約2倍)で、マンハッタンの42丁目通り以南の面積に匹敵する。なお、アメリカ以外の航空会社としてブリティッシュエアウェイズの専用ターミナルが存在していた。ジョン・F・ケネディ国際空港はデルタ航空とジェットブルー航空がハブ空港にしているほか、アメリカン航空も準ハブ空港の一つとしており、その混雑はますます進んでいる(かつてはイースタン航空、ナショナル航空、パンアメリカン航空、タワーエアー、トランスワールド航空などもハブ空港としていた)。現地では一般に “ジェイ・エフ・ケイ” (JFK) と呼ばれている。“ケネディ・エアポート” でも通じるが、“ジョン・エフ・ケネディ・エアポート” とはまず言わないので注意。当時パンアメリカン航空の本拠地であったこの空港は、ロンドン・パリ・ローマからはノンストップで行けるのに対し、日本からのアクセスは747就航後でもアンカレジまたはホノルル・シアトル・ロサンゼルスを経由する必要があった。そこで、極東からJFKまでの無着陸飛行のためにボーイング社が開発したのが超長距離用747SPである。4本の滑走路が中央ターミナルを囲み、それぞれがペアで平行に走っている。13R-31L滑走路は商用滑走路としては北米最長の4440m。1948年から1957年まではターミナルが1つしかなかった。その後国際線到着ターミナルは老朽化のために14億ドル掛けて2001年に第4ターミナルとして改装された。その他8つのターミナルは1958年から1971年にかけて各ターミナルはそのターミナルのメインとなる航空会社によって設計され作られた。これらのターミナルは貨物の取り扱いに関しても非常に大きな機能を持っている。パンアメリカン航空のメインターミナルで「パンナム・ワールドポート」の愛称で呼ばれていた第3ターミナルは1962年に完成した。特筆する点として長円形の屋根が、放射状に32本ものケーブルで吊るされている。屋根は旅客エリアをカバーしている。これは乗客がスポットに泊められた飛行機に楽に移動するための特別な橋となっている。トランス・ワールド航空のメインである第5ターミナルも1962年に完成した。家具デザイナーとしても知られるフィンランド生まれのアメリカ人建築家エーロ・サーリネンによって設計された。また第3ターミナル、第5ターミナルともに1970年代に改装されている。貨物の取り扱い量も多く、現在コンチネンタル航空、エミレーツ航空、エバー航空、大韓航空、日本貨物航空、ノースウエスト航空、スカイチーム・カーゴ、ユナイテッド航空の9社が貨物専用便を就航させており、敷地内には航空貨物を取り扱う施設も数多い。当初はイースタン航空(1991年運航停止)によって占められていた。1998年に、同空港に乗り入れる複数の航空会社(エールフランス、日本航空、大韓航空、ルフトハンザ)によって建て替えられた。ゲート数は11。1962年にノースウエスト航空、ノースイースト航空、ブラニフ航空により完成した。のちにパンナムも国内線が乗り入れてきた。デルタ航空が主に利用し、2006年4月までは同社の運営するソングが利用していた。ゲート数は11。1960年にパンナムにより完成し、パンナム専用ターミナルとなっていた。1971年には拡大し“フライングソーサ”という屋根が有名で最も大きなターミナルとなっていた。パンナムの倒産した1991年以降はデルタ航空が買い取り、改装された。ゲート数は17。通称「ワールドポート」。現在は、第3ターミナルの全機能が第4ターミナルに移管されており、第3ターミナルは完全に解体された。2001年に改装された。唯一の24時間利用可能ターミナル。ゲート数は38。かつては国際線到着ターミナル (International Arrivals Terminal) と呼ばれていた。エーロ・サーリネンの設計で1962年に完成し、旧トランスワールド航空のターミナルとして使用されていた。「サーリネンのターミナルビル」としても知られる優美なデザインは、第3ターミナルとともにケネディ空港を代表する建築物となっている。また、歴史的建造物にも指定されている。I・M・ペイの設計で1969年に完成し、旧ナショナル航空のターミナルとして使用されていた。ナショナル航空が旧パンアメリカン航空に買収されると、隣接する第5ターミナルを使用していた旧トランスワールド航空が第6ターミナルを買収し、その一部をユナイテッド航空にリースした。2001年にトランスワールド航空がアメリカン航空に買収されると、ジェットブルー航空が同ターミナルを買収、750万ドルをかけた大改修の後、同航空のハブとして再デビューした。ゲート数は21。当初、ブリティッシュ・エアウェイズのターミナルとして1970年に完成した。1991年と2003年にそれぞれ改装された。ゲート数は20。2008年4月現在、改装作業が進められている。ブリティッシュ・エアウェイズはヒースロー空港とジョン・F・ケネディ国際空港にコンコルド搭乗客専用の空港ラウンジ『コンコルド・ルーム』を用意していた。現在はファーストクラス専用ラウンジとして利用されている。当ターミナルを使用していたユナイテッド航空は、2015年10月24日をもって、当空港における全てのサービスを終了した。。当初、アメリカン航空のターミナルとして1960年に完成した。ゲート数は15。2007年8月に新しい第8ターミナルが完成して、従来2ターミナルに別れていた国際線、国内線などが統合された。ゲート数は29。1959年に10のゲート数で完成した。アメリカン航空の国内線を中心に利用されていた。2007年に完成した新しい第8ターミナルは、第9ターミナル敷地を中心に建設されたので、現在は存在しない。1998年から高速軽軌道システム「エアトレイン」の建設が始まった。2001年の9.11テロの影響で当初の計画を大幅に縮小し、予定より1年遅れの2003年12月17日に開業した。ケネディ空港内の各ターミナルや、駐車場、レンタカー会社のオフィスなどを結び、そのまま南は地下鉄のハワードビーチ駅に、北は地下鉄/ロングアイランド鉄道のジャマイカ駅に接続する。ターミナル間の移動は無料、両駅まではそれぞれ運賃5ドルがかかる。エアトレインを計画建設したのは、ニューヨークの空港を管理運営するニューヨーク・ニュージャージー港湾公社だが、同公社は崩壊したワールドトレードセンターをはじめ、テロ被害により一部使用が不能になったパストレインや、被災現場に近いことから通行規制が1年近く続いたホランドトンネルなども運営しており、これらの施設からの賃貸料、運賃、通行料などが途絶えたことや、観光客の激減で定期便のキャンセルが相次ぎ空港発着料をはじめとするさまざまな空港関連収益が減少したことで、深刻な財政難に直面することになった。そのため当初計画されていたジャマイカ駅からラガーディア空港を経由してマンハッタンの三番街59丁目通りの新駅に至る2期工事は中止となってしまった。ケネディ空港は3空港のなかでもマンハッタンからは最も遠い。しかもエアトレインが接続するのは一般の地下鉄と通勤電車で、前者利用では時間帯により所要時間が90分から120分、後者でも乗り継ぎによっては45分から90分はかかる。大きな旅行カバンを抱えてこうした公共交通機関に乗り替えなければならないというのは、旅行者にとってはいかにも不便であり、来訪者はもとより地元市民でもマンハッタンへ向かう者のほとんどはこれを敬遠して、落ち着いて座ることのできる空港リムジンバスやタクシー(3人で乗れば1人あたりの負担がリムジンバスの運賃とほぼ同じになる)を利用する傾向にある。このためエアトレインは開業以来採算割れが続き、これを改善するには2期工事を断行する以外に方策はないにもかかわらず、そもそも無い袖は振れないという、ジレンマの状態にある。マンハッタンの中心部から約30分(渋滞がない場合)でアクセスできる。タクシーや空港リムジンバスなどでのアクセスが一般的である。
出典:wikipedia
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